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あなたとはオトモダチになれないわ

言わない方が良いことをうっかり、なのか意識してかはどうでも、口にする人がいます。
失言が多いのか、口が悪いのか…
わたしも当てはまるように思います。

自覚しているのならしないように気をつけるのが正解なのでしょうが、わたしの場合は思いついたことをすぐ口にするので、褒め言葉もアイデアも失言も同じレベルで放出されます。

まずいことだけ飲み込む、というテクニックというか、処世というか、知恵がありません。
キャパシティの問題なので仕方がありません。

これまでに何度か、叱られたり責められたり、非難の手紙をもらったりしています。 
最も痛烈だったのは、お寺のご住職さんか何かをされている、少し年上の知人女性から、言葉は心を表すから改めるように、達筆の流暢な文書が送られたことでした。

わたしはその方が話をする時に、他人の動作について、〜しておられる〜というのがとても気になっていました。
その言葉はおかしい!と常々思っていたので、そんな手紙を送りつけるとは、我が身については頓着なしなのだなあと思いました。

とは言え思い当たる節がないわけではなかったので、お礼と反省の意を慇懃無礼に認め返信しました。
その後は挨拶以外の言葉を交わさないまま、わたしの前から姿を消しました。

なぜ口頭でなく手紙をよこしてきたのか不思議に思いました。
面と向かって言うと気を悪くしたのを態度に見せられたり、怒って喧嘩腰になるかもしれないのを避けたのかしらん。

この手紙を受け取って、わたしが自分の言動の悪さに気づき、深く反省し改めようと決意し、言いづらいことをよく言ってくださった!と感謝すると思ったのだろうか…
期待に添えなくて申し訳ない。

もし、わたし以外の人がこれをもらったら、どんなリアクションをするのだろう?

でも、そんな手紙を他人から貰う経験はそうあるものではないようで、少なくとも私の周りの幾人かはないようでした。

異口同音に、あなたがそんなに口が悪いとは思わないと言いましたが、本当のことを言ったらわたしが傷つくかもしれないとか、逆ギレされても困るなどの理由で、配慮したのかもしれません。

それにしても、なぜあんな手紙をくれたのか、きちんと聞いておかなかったのは残念に思います。
もし、聞いていたら場合によれば予想外に親密になれたように思うのです。

本当のことを言ってしまう人が、わたしはそれでけっこう好きだし、信用しているのです。

それとわかる失言や言わない方がいいことを言うなんてことをしていないつもりでも、それはその方にとってそうなのであって、わたしが聞けば失言であったり、言わない方が良いことだったりします。

つまり、尺度や価値観が異なるのと、少数派か多数派の違いかに過ぎません。
大きな声で訴えるか、小さな声で泣いているか、広く同意を求めるか、胸の奥に収めるか。

先のご住職の言葉を借りて、言葉は心を表すのなら、心は言葉で表せるでしょうか?

そんなことあるはずがありません。
心には言葉にできない、言葉にならないことがたくさんありますもの。

表出された言葉だけで心を判断する浅はかよ。
心の問題にまで踏むこむ無礼さよ。

あなたの言葉に腹がたつ、そんなむき出しな言い方の方がぐっと心に刺さったでしょう。

やはり、あなたとはオトモダチにはなれないわ。

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