記憶の中にある夜の街
ブルクロさんのこちらの記事を読ませていただいて。
一人焼肉の専門店?があるのですね。
一人鍋や一人焼肉は、具材に火が通るのをコンロの前で待つ、あの時間がしみじみとして良いものです。
今日あったことや、遠い日のことを思い出して、一人ほくそ笑んだり半べそかいたり、とにかく誰もいないから時間は自分だけのもの。
煮えばなを口に放りこんで、黙々と咀嚼する。こめかみの辺りが動いているのがわかる。
奥歯でギュッギュと噛み砕くと、やがて口中に旨味が満ちる。
次はどれに行こうかな?
パクパクぱくついて、グビグビ飲んで、今日もいい一日だったとしみじみ思う。
感染症が蔓延する前の数年、キルトの上位資格を取るために一月から二月に一度のペースで東京や大阪で開催される講習に出かけていた。
講習はたいてい午前10時スタートなので、一番の飛行機では乗り換え等含めると、前泊しないと間に合わなかった。
講習は二日連続だから、最低二泊三日の旅になった。
東京会場を選ぶのは千葉の実家に寄るのを兼ねてのことだった。親弟妹と会って楽しい夜を過ごした。
日程の関係で大阪会場を選ぶこともあった。
大阪は、長男が大学時代六年間住んだが他には親戚も友人もなく、ホテルで一人で過ごした。
当時はなんとなくぶらぶら街を歩いていたが今になると、まるで夢の中を彷徨っていたような不思議な感覚で蘇る。
なにせ土地勘のない夜の街である。
一度出かけた街を再び訪れることができるかどうか…
ある夜は適当に電車に乗って、焼肉の匂い立つ駅に降り、適当な店で韓国料理を食べた。
鶴橋である。
ある夜は大阪から深夜バスで東京に向かうことになった。
東京方面行きのバスはそれこそ数えきれないほど本数があった。
千葉の実家に向かう予定なので、西船橋に停まるバスを選んだ。電車を乗り継いで停留場のある町に着いた。
停留場付近には、大きなアリーナがあってこれからコンサートが何かあるようで建物の周囲にたくさん人が並んでいた。
停留場には大きな日帰り温泉施設があって食事や仮眠もできた。
私は床屋に入り、顔の産毛を剃ってもらってから温泉に浸かり、その後一人で食事した。
ある夜はどこかの町のイオンのシネコンのレイトショーで、中島みゆきの夜会を記録した映画を観た。
どこの町だったか…
さっぱり覚えていない。
夢かうつつか、幻想的な体験だった。
講習会場は上本町だったので、ハイハイタウンという商業施設の中の焼肉店で一人焼肉をしたこともあった。
ホテルに戻ってシャワーをしようとすると、突然膀胱炎の症状が現れた。
突然ではなかったかもしれないが、疲れを意識していなかった。
ラブホテル街を抜けると、こんな夜なのにチェーン店の薬屋が営業していて薬剤師がちゃんといて、薬を選んでくれた。
飲むとすぐに良くなった。
十二月のある夜は、御堂筋を歩いて大阪市中央公会堂のプロジェクションマッピングを見に行った。
その他にもどこをどう歩いたのかわからないが、断片だけが記憶に残っている町の風景がある。
私に物語を作る才能があったら掌編小説を書くのに!