人にはそれぞれ事情がある
詰めが足りない。
私のことである。
そう言われたことがないし、誰かについて思ったり、あの人詰めが足りないよね、と話し合ったこともないし、誰かについてのそんな噂を耳にしたこともないから、どういうのを「詰めが足りない」というのかはよくわからない。
「詰め」は「足りない」ではなく、「詰めが甘い」と表現されるようだ。
なるほど…と、いともかんたんに納得するところも「詰めが甘い」
もっとよく考えろ!
克服する方法も書いてある。
そうはいうけど、計画を立てても、そこにあがってこなければどうしようもない。
綿密な計画を立てるには、想像力が不可欠だ。
想像力の過不足は、地頭のあるなし。
要は頭が悪いのである。
頭が悪いなら悪いなりにできることをして良しとすればよいのに、なんで思いつかなったのだろう?なんて、
うっかりしたのではない、思いつきもしなかったのである。
さて、足りないのは詰めではなく、頭…と書いては語弊があるので控えるとして、想像力であることがわかった。
そこで検証してみる。
想像だけなら猿でもできる…いや、猿に聞けないからそれはわからない…
いったい何が私の想像を阻むのか?
何に阻害されるのか?
感情が揺さぶられることに、真正面から向き合わないからではないか。
向き合わない、向き合えないのには様々な理由がある。
こうしたいのだ!という、素朴な感情のままに突き進むことを心のどこかで軽蔑していないか。
それによって誰かを傷つけたり、自らが傷つくかも知れないのに臆病になりすぎてはいないか。
感情というと、いかにも熱い情熱のようだが、そうとは限らず、面倒くさいや煩わしいなどの冷えた感情、どうでもよい、も含む。
そうはいっても私は私で今から生まれ直すことも育ち直すこともできない。
こういうのを総じて「後悔」という。
今さらどうしようもない事をあれこれ考えるからだ。
ここで述べているのは「愚痴」である。
ロマンス
マーシーのソロアルバム『人にはそれぞれ事情がある』より。
ロマンスを聴いて癒やされて、
布団をかぶって寝るしかない!
※時計台の画像は すぴーさんよりお借りしています。
ありがとうございます♪