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わたしってぇ、

若い娘じゃあるまいし自意識過剰気味な問いかけをするのもなんだが、私という人は他人からはどんなふうに見えているのだろうか?

人が思うことや考えることは聞いてみないと(聞いてもその人もわかっていなかったり脚色したり嘘を言ったりするかもしれないから当てにならないが)分からない。

若く瑞々しい頃のように、人からどう見られているか気にしてクヨクヨしたり恥ずかしさに身悶えするような感性は失ってしまったけれど、おそらく自分で提供しているもしくは醸し出している(意識的にあるいは無意識に)私とは全く違うのだろうと想像する。

おそらくこの文章や文体から、思ったこと考えたことをはっきりと言葉にする、サバサバおばさんを想起されているのではないだろうか?

逆である。

noteのリアクション記事を手早くアップするので、約二名の方から感心された。
とても嬉しく光栄です、ありがとうございます😊

しかし、リアル対人ではこうはいかないのだ。
自分の思いや考えを言葉にするのは得意ではない。

リアル対人では言葉のキャッチボールは平面で直線的である。

けれども文章は、立体的な奥行きをつくることができる。
()や注釈、引用、ハイパーリンクなど使えば私の小さな頭で考えたこと思ったことくらいなら書き出すことができる。

しかし普通の会話となると、言いたいことの一割もまとまらない。
とっても頭が悪いのだ。

私が得意なのはどうでもいいようなツッコミを入れて笑いを取ることである。
非常に軽薄そうである。
面白いとよく言われる。
余計に中身がなさそうである。

結論はない。

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