潮時
見えないところをきれいにするのが私の大掃除、だから働いたわりに部屋はあんまり片付かない。
かつてはタンスを動かしたり引き出しをひっくり返したので、延々終わらなかった。
近頃は寄る年波には勝てず、タンスは動かず、いい具合に諦めが良くなった。
今年の初めに三男と二人で不用品の大処分をした。
押入れの段ボールや衣装ケースを総ざらいして、上から下への大移動、車に積んでリサイクルセンターやエネルギーセンターに通った。
そのおかげで、見えないところにあるものは、その時点では必要品となり、しばらくは触る必要がない。
けれども、不要は一概に不用とは限らない。
モノには思い入れやエピソードがあり、おいそれと手放したくないこともある。
ステラレナイのは心の問題です!
呪われる心当たりはありません…
それら不要品は、部屋のわりと目につくところに置いたままだ。
もう二度と、見えないところに仕舞われることはないだろう。
案外、そこに在るのが常態になって馴染んでしまうのかもしれない。
共にいて、一緒に古びていく。
それも悪くない。
それら除けて掃除機をかけてまた戻す。
それが面倒になり、捨てるかもしれない。
それならそれまでのことである。
その時を待とう。