新米ばあちゃんドキドキする
なんでも丸投げしてしまう。
とても楽な生き方である。
行くところも、食べるものも、歩く速さも、何を話題にするかも、みんな丸投げだ。
私が自分で決めるのは、決めなくちゃならない立場の時と、一人きりの時。
決める立場の時はみんなの意見を聞いて最適解を探る。
そんなことを言ったってわがままばかり言う人や、対案がないのに文句をつける人がいるからベストはないのだけれどモア・ベターよ(はあと)
とっても大変なのでできるだけそういうシーンは避ける。
自分は人が決めたことに従い、不満を感じたりアクシデントが起きてもネガティブなことを言ったりましてや責めたりしない。
ゆえに一人が楽、最上といえる。
本来、そこそこ意見も述べて要望も伝え、多少揉めることがあっても爽やかに解決して最終的には良かったね、となるのが大人の嗜みであろう。
しかし生まれつきの性なのか、成長の過程で何かがうまく行かなかったのだろうから仕方がないのだ。
私は私で生きていくしか。
来週長男のところに誕生した第二子長女に会いに行く。
姑らしい振る舞いというのがどういうものなのか良くわからない。
娘がいないのでわからないが、息子の子どもはどこかよその子のようだ。
何かにつけてどこまで何を介入するものなのか…
母が産まれたての長男に会いにきてくれた時に、私の預かり知らぬところで意思が疎通しあっているかのように長男の要求を代弁して実行した。
例えば
出産した病院の方針で母乳でやっていたが、粉乳で育てた母は長男がグズグス泣くのをお乳が足りないせいだと言って私に粉ミルクを作らせて飲ませた。
挙句ゲップをさせている時にみんな吐いてしまった。
風呂上がりに着替えさせた衣服やら布団やら私の着ていたパジャマやら下着やら、全取り換えである。
吐いたのは追加の粉乳に違いないと恨みがましく思う。
産後ブルーだったかも知れない。
そんなことを繰り返すうちにとうとう疲れて、思春期の頃のように母に反抗的になってしまった。
あれからはずっといい娘だったのに。
母は後年、何回目かにウチに泊まりきた帰り際に言ったものである。
タダちゃんのウチに来ると最初はいいけど三日くらいで帰りたくなるのよね。
そりゃお互い様ですわ、おかあさん。
三日が限度。
新米ばあちゃんはドキドキしながら身の振る舞いを案じているのである。
新米ばあちゃんシリーズ化決定!