DaiGoの炎上について
最初はDaiGoを叩くひと全員が偽善者だと思っていました。
「生活保護問題対策全国会議」
「一般社団法人つくろい東京ファンド」
「新型コロナ災害緊急アクション」
「一般社団法人反貧困ネットワーク」
声明を挙げた4団体らしいですが(特に調べてません。)
ここの人たちは自分の価値をDaiGoがどうでもいいと言った人たちのために使おうとしている。働いている。
それは文句をいって相応しい。なんの偽りもない気持ちでしょう。
DaiGoに比べて金額は少ないかもしれないが、
自分が他のところでもっと価値を生み出せるかもしれないのにそこで働いている。
ここでしか価値を生み出せないと言う人もいるかもしれないが、DaiGoが否定した人たちのために働いている。
人生においてそこに掛ける比率が違う。
ただし、手放しで叩いている人たちは偽善としか思えない。
例えば上野駅の近くで転がっているホームレス(命)これは何かの発作で倒れているのか、ただ寝ているだけなのかわからない。
それでも基本的に避けて過ごす。(少なくとも自分は)
それが命が平等だ!と言い張る人たちのやることでしょうか?
命が平等だ!
というなら、自分の命とホームレスの命も同等。
自分が問題が発生したら、貯金を切りくじしてでも生きようとする。
だとしたら、ペットを買う前に声明を挙げてるような団体に寄付するのが筋なんじゃないか?
ペットかわうぃぃいい!の前に人間の命なんじゃないか?
まず命を助けるために、ペットブリーダーに説得に行くべきではないか?
助けなくてはいけない命を増やす前に、ホームレスを救うべきではないかと。
尊い大切なこの世に一つの命なのだから。
私も昔ホームレスだったんだから!
→知らねーよ。そのときに会ってたらあんたも避けるよ。
あなたの要素を含む人は全員好きにならないといけないんですか?
ごめんなさい。そういう人は苦手です。
自分がホームレス や生活保護受給者にならないとでも思ってるんですか!?
→思ってません。
ただ、そいういう立場になったら申し訳ないと思って生きます。
少なくとも、誰かに疎まれるとは思って生きます。
個人としてお金という面でも、行動という面でも、DaiGoと同等、またはそれ以下の人たちがやたらと叩く意味がわからない。
行動で示してから言えと。
自分がどうでもいいと思っているような行動をしておいて、
他人がどうでもいいって言ったら、そんなことない!!大事!!
ってなるのはなんでしょう?
大体の人が思っている、「どうでもいい」ということを伝えただけ。
死ね、殺せではなく、自分にとって「どうでもいい」というだけ。