わたしとモヒカン
はじめまして。ただのジョンと申します。
社会というシステムに組み込まれて、想像力が完全に失われる前に、文章の力で抗うべくnoteをはじめました。
ブログ的なものに過去触れたこともなかったので、若干戸惑いはありますが楽しんで書けたらと思います。
たまたま目に留まった方に、暇つぶしに読んで面白いと思ってもらえたら嬉しいです。
汚物は消毒だ
僕は19歳から20歳ごろ、とってもやさぐれていました。
ヤンキーではなかったので、見た目ではわかりづらかったかもしれません。イメージとしては、エヴァのシンジくん的なやさぐれ方です。
しかし、人生の中で一度だけ、めちゃめちゃわかりやすいやさぐれ方をしたことがあります。
どんなやさぐれ方かというと・・・。
そう、モヒカンです。
世の中への怒りを隠しきれなかった僕は、ある日思い立って美容院に行きました。
「タクシードライバーのロバートデニーロみたいにしてください。」
1時間後、パイナップルのような頭になった自分が鏡に映っていました。若干イメージと違う感じでしたが、人生初のモヒカン頭にテンションが上がっていました。
このときの僕は、自分に新たな壁が立ち塞がることにまだ気づいていませんでした。
社会でパンクを貫く難しさ
当時社会人だった僕は、念願のモヒカンヘアーを手に入れた翌日、スーツを着て出勤しました。
ここまでくればお分かりいただけるでしょうか。
通勤するサラリーマンや、通学する学生たちで溢れる早朝の電車に、ただ一人モヒカン頭が乗り込んでいるのです。しかも、身にまとっているのはレザージャケットやジーンズではなく上下紺色のスーツ。ファッションのちぐはぐさもあり余計に浮いています。
僕が電車に乗り込むやいなや、車内に張り詰めた空気が漂います。なんかヤバそうな奴が乗ってきたのですから、当然の反応です。
まるで、自分だけが異界の生物になった気分でした。異世界系の小説や漫画はまだ流行ってなかったと思いますが、それらの主人公も同じような思いをしたことでしょう。
しかし、僕は諦めませんでした。僕は怒っているんだ。これは社会に対する、僕からのメッセージなんだと言わんばかりの表情で両目を固く瞑っていました。
そこから先の記憶はほとんどありません。
パンクとは心の持ちよう
モヒカン記念日翌日の通勤で心が折れかけた僕ですが、それ以降は通勤時にイヤホンをして目を瞑ることで事なきを得ました。
いろいろあったものの、その髪型は気に入っていましたが、僕の怒りがモヒカンを通して周りに伝わることはありませんでした。(会社の方からは「何かのパーティ?」と言われました)
そのときに感じたことは、現代の日本でパンクファッションを貫いても、服装の意味や姿勢が伝わるのはごく一部なんだということでした。
そして、大切なことは、既成概念に抗い、自分の愛する道を歩む精神そのものだということに気づきました。
それから僕がモヒカンヘアーになることはありませんでしたが、今でも心の中にパンクを愛する気持ちを持ち続けています。
おわりに
セックス・ピストルズのジョン・ライドンはこんなことを言っていたようです。
「パンクとは自分自身に忠実であることだ、ファッションじゃない。」
当時の自分に言ってやりたいですね。それでも、昔のピストルズやパンクス達が着こなしていたパンクファッションは間違いなく格好いいと思います。
ところで、私がなぜモヒカンヘアーを辞めたかお伝えしていませんでしたね。理由は簡単です。
新しく入る人が怖がるという理由で、会社からモヒカン禁止令が出たのでした。
(おわり)