2022/05/09
壊れた方がよりいっそう綺麗なものもあるな、と居酒屋の玄関先に飛び散ったガラスを見て思った。お酒の瓶がわれてしまったのだろう。緑がかったブルーの瓶は、壊れる前、多分そのままでも十分に美しかった。それが粉々になると、断面が沢山できるので余計に光が屈折し、キラキラ、チラチラと輝いていて綺麗だった。ほんのりとアルコールの匂いがする店先で。
最近、皆が新しい生活を始めているなかで、1人だけ一生懸命タップダンスしている気持ちになって、自分を見つめることもままならなくなっている。
読みかけの本がいっぱい溜まっている。自己嫌悪になる。本をたくさん読めることが自分の長所だったのに。
電車のなかで本を読もうとしても、なんだかウトウトしてしまって、気づいたら目的の駅のすぐ近くなんてことが増えてきた。電車のなかで本を読む、あの贅沢をみすみすドブに捨てている。
言葉にしないと伝わらないのに、言葉にしたら今度はその言葉の檻に囚われてしまい、それ以外を伝えられなくなる。私が言いたいのはそれだけじゃない。もっともっと私の言いたいことには広がりと深さがあるのに。私がそれを言葉にしようと浅はかに考えるから、せっかくの素敵な気持ちは、ただの平凡な言葉になってしまう。
私の発した言葉は、聞き手によって解釈されてしまうので、100%理解してもらうことなんて不可能で、それはわかっているのに、そしてそれは私の責任なのに、どうしても相手のせいにしたくなってしまう。
私が、私の魂が、粉々になって、本当にバラバラになって、断面が何千にもなったなら、私の言いたかったことも、私の考えていたことも、色々な角度から見ることが出来て、私がこのままひとつの塊でいるよりも、もっとずっと綺麗なのでしょう。
おわり
ティソ