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川上未映子『乳と卵』感想(ネタバレ有り)

川上未映子の『乳と卵』を読んだ。
この本は私の中学からのマブダチ(女)からおすすめされた。マブダチは本をめちゃくちゃ読む人なので、私は「お前が言うなら…!」と卒論がヤベーのにすぐ読んだ。

ここからは本の感想をつらつらと述べていきます。ネタバレ有なので注意ですが、多分私の感想文を読んでも本の内容はなんにも分かんないと思います。
ちょっとでも『乳と卵』に興味のある人は、ここでUターンして本屋に行くのをおすすめします。

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「女でいること」って気持ち悪いな、とずっと思っていた。私のこのなんか気持ち悪いなという感情の解像度をこの本は上げてくれた気がする。


女には生理が来る。
女にはふくらんだ胸がある。
女は出産をする。
女が子どもを育てる。
女が料理をする。

全部、世間が考える「女」だ。全部、うっすらと気持ちが悪いし負担だなと思っていた。
前3つは事実、というか女なら当たり前だよね、と思うかもしれないが、これらは全然当たり前じゃない。生理が来ない女性もいる。スレンダーな女性もいる。出産を出来ない/しない女性もいる。生物学的事実だろ、と前3つのことを押し付けてくる人(女も男も)、気持ち悪すぎる。

後の2つも、今でこそ男性も育休が取りやすくなったが(取りやすくなったというのは個人の問題ではなく、人間社会の問題だと思う。法律じゃなくて人間が今まで男性に育休を取りにくくさせていたのだ。)、子育ては女がするものとは言わないまでも、女の方が子育てが上手いと思ってる人は多いと思う。女の方が子育て上手いって、それって本当なのかな。嘘だと思うな。男のための嘘だと思うな。
あと、女に料理を強制する人、女の方が料理つくるの上手いと思ってるからそうしてるのかもしれないけど、それって本当なのかな。一流料理人と呼ばれる人に、女性がほとんどいないのはなぜ?古代から女が料理して男が狩りをしていたから、本能的にそうなっているのだと私に説いてくる人に、少なくともマンモスとか捌くのは男の方が上手かったんじゃないの、あとはそれを干すとか煮るとかするだけだけど、そんなこと男もやってたんじゃないの、と思う。

こういうことって、みんな考えないのかな。考えても言わないだけ?考えたのに、言葉にしない人は、それをずっと溜め込んでいられるのかしら。本書で登場する、紙媒体でしか会話をしない緑子みたいに、考えたり書くことはできても、それを人に言えないひとは、いつまで溜め込んでいられるのかしら。


緑子はずっと自分の身体のこと、お母さんとの考え方のギャップ、同級生の成長、社会からの性の押し付けに悩んでいる。目をあけると、そういうものが自分にどんどん入りこんでくるから、目をあけているのが厭で、苦痛らしい。

緑子の母親である巻子は自分の胸に自信がなく、豊胸手術をしようとしている。緑子はそんなお母さんを阿呆らしいと思ってるし、厭だと思ってるし、可哀想だと思っている。でも言えない。

緑子って、自分が考えることと世間が考えることがズレていることを思い切り自覚してしまっているから、その考えを世間や親に話しても、受け入れてもらえないのがわかりきってるから、言葉にして相手に伝えられないのかなと思った。
価値観が合わないな〜と少しでも思った人に自分の本心を伝えることはなかなか難しいと思う。同じ高度にいないと、自分の考えが変に伝わってしまう可能性もある。

緑子はずっとずっと自分の感情を溜め込んでいて、ついにお母さんに吐き出した言葉が「ほんまのことをゆうて」だった。巻子は「ほんまのことなんて、ほんまはないこともある」と言う。それもそう。ただ、緑子が聞きたいというか伝えたいのは、緑子がお母さんを理解できてないということなのだ。多分。理解しようと思って、まだ隠された「ほんまのこと」がお母さんのなかにはあると思って、聞いたのだ。

本書の主人公である「私」は、傍観者である。物事を常に俯瞰して見ている。本書には「私」の感情がほとんど出てこない。

そしてクライマックス、消費期限が迫っていて廃棄のために流しに置いてあった卵を、緑子と巻子は感情を吐き出しながら、自分の頭にぶつけ合う。ぐしゃり、どろり、と卵と巻子と緑子は無惨な姿になっていく。私は卵がもったいないな、と思った。でもふと、スーパーで買う鶏の卵は無精卵だなと思った。人間の卵(卵子)も排卵されてから時間が経って、精子と出会わなかったら、卵子は子宮内膜とぐしゃぐしゃになって、股から排出される。それと、消費期限間近の鶏の無精卵を壊しつづける光景が少し重なった。

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普段は何も気にせずに生きていける。ただ、誰かが「女子力がない」とか、「女のくせに可愛げがない」とか「あなたの子どもが見たい」とか言った瞬間に私の世界は灰色になって、目の前の人の唇と目だけが紅くて、嫌悪感が溢れてくる。
なんで、なんで、そういうことが言えるのだろう。世界には言葉にできない感情がたくさんあるのに、なんであなたはその言葉を、言葉にできたのだろう。
私は自分で居たいのに、誰かに性別を通した色眼鏡で見られるときがあって、それはほんとうに苦しいのだと、ここで言葉にすることで誰かに伝わればいいと少し思いました。


川上未映子さんの文体は、狙ってなのか、一文がダラダラと長く続くのが印象的でした。それは「女性であること」のけだるさ、息継ぎがままならない閉塞感を表現するのにも効果的だと思いました。
センシティブなテーマだと思うけど、説教みたいな印象も受けなかったので良かったかなと。多分それは主人公の「私」があんまり感情とかジェンダー観を明らかにしないからなのかなとも思いました。


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私のマブダチは次に『夏物語』を読んで欲しいと言ってるけど、卒論ゾンビな私は少しチキっています。『夏物語』は少し長いので。でも近いうちに読むと思う。


ここまで、とりとめもない私の思考のような文章を読んでくださりありがとうございます。この文章で、私は女と男で二分してしまっているけど、現実そうでないことはわかっていますので、お気を悪くなさらず。
まだ読んでない方は是非『乳と卵』読んでください。

多くの人に読んで欲しい。男だから、この小説が理解できないとか言わないで欲しい。理解出来なくていいから、分かろうとして欲しいし、考えて欲しいと思う。


おわり


ティソ

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