2024/03/05 雨

今日は、朝から雨。
通勤時に傘をさしていても、ズボンが雨に濡れてしまい、冷たい。

相変わらず肌の調子が酷く、上司から依頼されている顔写真の提出が煩わしい。
そのことで頭が占拠されてしまい、早く提出すれば、その不快感から解放されると分かっているのに、写真に映る自分の顔を見たくなくて先延ばし。

火曜日は安定のメンバーで、今日はしっかり休憩をとることができた。
精肉店のまかない丼を従業員割引きにて購入。
100円も値引きされることに驚愕。安すぎではと心配になる。

ある部下の言動がやはり気になる。
が、考えるとイライラが止まらなくなるので、視界に入れるのをやめる。
それに彼女だけが唯一週5のフル勤務なので、多少素行が悪かろうが目を瞑る。

やっとひと段落という時に業者の人間があまりにも上から目線で感情的に物を言うので、今年に入って1番感情的になってしまった。
明らかに不貞腐れた態度で、面倒くさそうに「すみませんでした」と言われ、
さらに怒りが込み上げる。
面と向かって「社会人としてその態度はないんじゃないですか?」とキツく突き放してしまう。
ロジックが破綻していて、もはや相手にならないと思い、業者の会社へ連絡。
いつもなら我慢していたであろうことも、あまりにも理不尽すぎるので、率直に相談した。言うつもりはなかったのに、「担当を変えてほしい」という本心もつい口から出ていた。先方からは「なんでも気になることがあったら言ってください」と優しい言葉をかけてもらう。

理不尽なことを人からされる→我慢できずにキレる。
このパターンは、私が幼少期に幾度となく経験してきたものなんだろう。
両親(だけでなく祖父母も)はいつも機嫌が不安定で、自分が気に入らないことがあると、感情的に怒りをぶつけてきた。
謝っても、すぐには許してもらえず、家の外に裸足で放り出されたことも数えきれないほどあった。
時には明らかにこちらに非がない場合でも、一方的に感情をぶつけられた。

子どもながらに、理不尽なことは我慢して生き延びるということを覚えた。

しかしそれは決して消えず、癒えることのない傷として、怒りとして、
今もなお私の中で燻っている気がする。

他人のことを考え始めると、どうしても怒りにつながることが多い。
勝手にジャッジが始まり、多くの場合は失望し、苛立ちに変わる。

植本一子さんの「かなわない」をようやく読み終えた。
まさに自分だった。
そして苛立ちが人生を台無しにしている様が、
読んでいて辛かった。

今日は居た堪れなくなって、Amazonプライムで前から観たかった、
「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」をポチる。

期待が大きすぎたというのもあるだろうけど、
もう一度観たいほどではなかった。

でもどこまで行っても親子の関係が、
私たちの人生のベースになっているということ。
それを「かなわない」からも「エブエブ」からも感じ取ってしまった。

だからといって、もう母親のことも考え続けたくない。
頭の中に誰のことも入れたくない。
もっと心が明るくなるようなことを考えたい。

やはり今の私の人生にはなんにも考えない時間が必要だ。

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