想起できることが羨ましい。
コラム、小説、何でもいいが、文章が多色にできることが羨ましい。
「といえば」というつなぎで何かを引用される事が素敵に見えて、色んな本を読むようになったという一面もある。それなのにそんな想起されるのとからの引用なんかは一度もしたことが無い。
何よりも何かを思い出そうとしても一度吸収された言葉や思考は、ただの自分の脳みそに混ざって手前味噌よろしく吐き出されるのみ。何かを引用しようとすれば「〜と偉い人が言ってた」くらいなもので、言葉すら正確に出てこない。
一先ず国内で引用して楽しそうな人を学んでみよう。一人をじっくり見る方が頭に残るように感じる。
そう、一人をじっくり見るとあまり考えなくても思考がわかり始めるので進むのも早くなるし、言葉にも馴染む。
そんなこたぁどうでもいい。まだ何にも成らぬ自分の脳みそに何が入ろうと関係ない、何を出すかだ。
さて吐き出せ脳みそ細胞諸君。ほれそこにひっかかった言葉は誰それのと言い始めろ。まだ寝てるのか、起きろ諸君もう昼膳も食い終わった。栄養は足りたろう。
なんだ寝てるのは頭じゃなくて体か、春の光に馴染んでやがる。ぼやきも温るくなってるな。
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