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多田野総司の災難


このお話について

このお話は、「不可研最恐の五日間(ふかけんさいきょうのいつかかん)」の中の登場人物、多田野のパートのみを再構成したものになります。
下のリンクは、そのあらすじになります。
物語のネタバレも書かれておりますが、大まかな顛末がわかると思います。

掲載に関しては、書きかけの状態から完成まで、その過程も含めて公開していますので、お暇な時にでもご覧いただければ、そのうち完成版がお読みいただけれるようになりますので、よろしくお願いいたします。

プロローグ

 効きの悪いエアコンが、耳に障る動作音を立てている。
 液晶モニターが放つ明かりが、深夜で外からの光もなく、さらに照明の消えている暗闇に満たされた部屋の、唯一の光源を作り出している。
 液晶モニターは、その前でキーを叩き、マウスを操る男の上半身を明るく照らしていた。
 彼は、モニターに表示された文字列を眺めながら、安い焼酎の水割りで満たされたプラスチックの使い捨てのコップを、ソロリソロリと口に運んで、ズズズと啜り、ゴクリと飲む。
 冷たい液体が、喉をスルリと降りていき、徐々に体の感覚の外側に膜がはられたような気分になる。
少し酔いを感じながら、モニターに映し出された、密林を思わせる画像で覆われたウェブブラウザを見つめていた。
 時刻は、深夜0時ちょっと過ぎ。
 件のホームページにアクセス可能になってから、まだ数分しか経っていないが、たったそれだけの時間で、彼は今回の話を聞いてしまったことに、若干後悔していた。
 アクセスしたら死ぬという噂が立っているホームページ。
 そんな、話に聞くだけなら、眉毛に唾液をたっぷりつけて、大笑いで聞き流すような、そんな荒唐無稽な話なのに、それが単なる噂ではなく、その一つに現在進行系で自分がアクセスしている。
 これまでは、こういった「話のネタ」は、自分が参加する数少ない呑み会で披露できる数少ない話題程度のものでしかなく、自身も「ああ、興味深い出来事だ」程度の認識しかなく、そうした出来事に出遭えるならめっけものだと思っていた。
 が、この出来事はそうした毛色のものではない。
 心の何処かで、そうした気配を察していた。
 その気配の正体と出処を探ることが、自身に課されたミッションだと認識してはいるが、それが可能なのかは定かではない。
言語化も視覚化もされない、感覚的な何かが、自身を拒絶しているのではないかと、彼は感じていた。
 世話になっている旧友の頼みでもなければ、こんなことには携わらなかっただろう。
 だからこそ、弱気になってはいられない。
 彼はパソコンのF12キーを指先で軽くトンと叩き、ウェブブラウザの開発者用ツールを呼び出して、ホームページのHTMLソースコードを表示して、一行ごとに最初からソースコードを目で追っていく。
 ウェブブラウザに表示されたホームページの構成要素の一つ一つにマウスカーソルをあてて、その部分に該当する部分のHTMLソースコードと、その部分のスタイルシートの記述を目で追う。
 彼は幻視する。
 ホームページの向こう側に蠢く怪しげな密林を。
 電子の迷宮の先にある、果てしない不可解な空間を。
 事前に聞いている話によれば、このページにアクセスできる時間は少ないらしい。
時間は無駄にできない。
彼はもう一口水割りを啜ると、ウェブブラウザを更に注視した……。


 時間は数日遡る。
 彼、多田野総司は夜行バスに揺られていた。
 昼間に、サインをした緑の紙を市役所で出し、そのままバスタ新宿に向かい、名古屋までの深夜バスのチケットを買い、何度も読んでボロボロになった文庫本を読みながら、半日ほど時間を潰して夜行バスの出発時間を待っていた。
 ボロボロのリュックサックから、コンビニで買った安ウイスキーのポケット瓶を取り出し、キャップをひねってチビリチビリと呑んでいると、自身が置かれている状況や、招来の不安が、徐々に頭の中から薄れていく。
 閉塞感から逃げ出すために、地元から離れたことも。
 同じ業界にしがみついてはみたものの、人間関係や自身の能力に限界を感じて、職場を転々としていたことも。
 自身で始めた制作オフィスの集客がままならず、まったく軌道に乗らずに二年ほどで廃業したことも。
 派遣社員として働いてはみたものの、やがて生活費にも困るようになり、昨年に弁護士のお世話になって借金の返済から逃げ出したことも。
 そして、それらがきっかけになって配偶者にも愛想をつかされたことも。
そんな、自身に積み重なった負の要素を、一時的に40%程度のアルコールで麻痺させた感情でせせら笑いながら、自虐的に呟いた。
「あーあ、なんかうまくいかないもんだねぇ、僕の人生ってのは」
見渡せば、数倍速で動いているように見える世の中の景色。
夏季休暇を先取りして、何処かに出かける家族の姿が、目の前を横切る。
みんなが笑顔で、楽しげに見える。
はしゃぐ子供たちと、それを優しい眼差しで見つめる女性。
大きなスーツケースを押しながら、誇らしげに一行を導く男性。
彼が手に入れられなかったものたち。
酔った心の中が、酔いのままささくれる。
「早くバスの時間になんねぇかなぁ」
現実から目をそらしたいう思いが、思わず口からこぼれた。

 翌朝、名古屋のバスターミナルに降り立った彼は、バスの到着場所が変わっていることを知って、最初は困惑したものの、かつて自身が慣れ親しんでいた場所だったこともあり、少々歩けば牛丼チェーン店があったことを思い出す。
 待ち合わせの時間まで、あと2時間のほど時間があるので、軽く腹ごしらえをして、近くのコンビニでウイスキーのポケット瓶を買い足して、それをチビリチビリと呑みながら、時間を潰すことにした。
昨日、既に一度読み終えた、ボロボロの文庫本をリュックサックから取り出し、ページをめくろうとして、偶然ビルの窓に写った自分の姿を見てしまった。
 もう、三年ほど履きっぱなしのトレッキングシューズもどきに、薄汚れたジーンズ、シワの寄った紅白チェックのシャツ、ヨレヨレの黒いTシャツ。
 そして、3日ほど剃っていない無精髭で、頬がこけて疲れ切った顔。
 「……こりゃ酷い」
 我が事ながら呆れてしまう、落ちぶれまくったの風体だ。
 数年ぶりの再会に、この格好は流石にどうかと、少し悩んでからコンビニに引き返して、携帯歯ブラシのセットとひげ剃り、そしてシェービング用のジェルを買い込み、そのままトイレに駆け込んで葉を磨き、髭を剃る。
 コンビニで髭を剃るなんて、こりゃあ貴重な経験だなと、半ば自嘲気味に呟くと、汚した洗面台をささっとお手拭き用のペーパータオルで拭き上げると、店員に叱責される前逃げるようにコンビニを出た。

 「よう、長旅おつかれさん!」
 日差しが徐々に強くなってきた頃、歩道にある、地下鉄の入り口あたりで力なくしゃがんでいる多田野に、歳の頃が近しい男が声をかけてきた。
 小奇麗な黄色のポロシャツに、ベージュのチノパンを履いた、休日のお父さんといった雰囲気の男は、軽く片手を上げて小さく振り、こちらだと合図する。
 視線を向ける多田野に、男はニコリと笑いながら続ける。
 「相変わらず、着るものにこだわりのねぇヤツだなぁ! 奥さん、元気にしてる?」
 「久しぶり……。昨日、離婚届出してきたところさ」
 痛いことを訊くなぁ、とやや不機嫌になる多田野。
 「おいおい、そりゃ本当か? ……そりゃあヤなことを訊いたな。まあ、とりあえず、飯でも食おうか。その後は宿に案内するよ」
 声をかけた男、飯野は、心の中で「あちゃー」とでも言いたげな表情をしたが、気を取り直して優しく微笑む。
 以前に会ったのは、多田野が数年前に名古屋を離れる際の、見送りのときだったが、その頃からは若干太ったのか、不健康な表情の多田野に対して、飯野の顔は、少々丸みを帯びていた。
 「実はさっき、牛丼食ったばかりでさ。どっちかっていうと、ビールが呑みたい。缶じゃなくて、ジョッキのやつが」
 「だったら、先に宿に案内するか。クルマ取りに行くから、ちょっと待っててくれ」
 そう言い残すと、飯野は早足で駐車場に向かう。
 「急ぐのはいいけどコケんなよ」
 多田野はやや呆れた感じで、力なく言う。
 言ったというか、呟いたという感じが正しいのかもしれない。
 飯野と自分、一体何がここまで違ってしまったのか。
 高校時代の三年間、放課後に図書準備室で、共にバカ話をし続けた仲間だったのに、どうして彼はいろんなものを持っていて、自分はそれらを持っていないのだろうか。
 そう思うと、やはり心がささくれる。
 ささくれた心を隠しながら、ボロのリュックサックを持ち上げて、肩にかけると、飯野が運転してきたミニバンに乗り込んだ。

 「飯野やん、仕事は大変か?」
 後部座席にだらしなく座っている多田野は、車を運転している飯野に話しかける。
 「まあ、相変わらず全国飛び回ってるよ。春頃にさ、多田野ん家の近くまで行ったんだけどさ、お土産に納豆味のスナック菓子を買って帰ったらさ、娘にドン引かれた」
 ケタケタと飯野は笑う。
 「ああ、あれか。僕もあれは苦手だったなぁ」
 味を思い出して、飯野の娘さんに同意する多田野。
 ところが、飯野の反応は違った。
 「そうか? あれ美味かったぞ」
 「えーっ、そ、そうかぁー!?」
 飯野の嗜好は、多田野からすると、昔から理解しがたいところがあった。
 高校生の頃、仲間同士で持ち寄ったジュースを、ことごとくミックスして得体の知れないカクテルを作り、嬉々としてそれを飲んでいた。
 コーラにミルクティーを混ぜて、うまいうまいと飲む姿に、飯野以外は全員引いていたのを、今でも思い出すことができる。
 多田野は高校時代の仲間たちのことを、薄っすらと思い出していた。
 なんとかして部活をサボりたくて、放課後の図書準備室を堂々と占拠、もとい使わせてもらうために、「不可解研究会」なんて得体の知れない同好会をでっち上げて、三年間は楽しく遊ばせてもらったことを。
 フィルムの多重露光を利用して撮影した心霊写真もどきを、様々な霊能者やオカルティストに送りつけて、その写真についてのご講説を壁新聞で晒して遊ぶような、まああまり趣味のいいとはいえない活動をして、教師たちと説教された後に討論したり、近所の田んぼでミステリーサークルを作って写真撮影して、新聞にその写真を送りつけ、掲載された後に作り方を壁新聞で公開して、やっぱり教師たちに説教された後に討論に持ち込んだり、そんなこんなの同好会の活動が、いつのまにか奇妙な出来事を解決することになったり、本当に楽しい三年間だった。
 その怪しげな同好会の会長が、今まさに車を運転している飯野で、多田野は件の心霊写真やミステリーサークルを捏造した張本人。
 他にも、格闘と情報収集の得意な兵藤、都市伝説やオカルトに詳しい三田、そしてそんな面々の語るバカ話に楽しげに耳を傾ける、紅一点の早崎。
 放課後に五人で、近所のコンビニで買い込んだおやつを食べながら、延々とバカ話をし続けていた。
 あの時から三十数年が経ち、自分は何も持っていないただの中年になってしまった。
 自分のいい加減な生き方が原因なのはわかってはいるが、今更どうしようもない。
 どうしようもないことではあるが、どうにかならないものだったのかと、思わずにはいられない。
 楽しかった思い出も、今となっては手の届かない幻になってしまった。
 手が届かない上に、今の自分には眩しすぎて、直視し続けるには精神的につらすぎる。
 そもそも、自分がここから逃げ出したのも、その面々のことを忘れたかったのもあった。
 特に、飯野のことは、できる限り忘れていたかった。
 自分に持っていないものを持っている、飯野という存在は、ことあるごとに自分に足りないものをまざまざと見せつけてくる、厄介な存在でも会った。
 誰も、そんなことを考えてはいないだろうに、自分と飯野とを比べてしまい、勝手にささくれた心を抱えて、勝手に憂鬱になってしまう。
 そんな自分が嫌になって、ここから逃げ出したのが数年前の話。
 しかし、結局戻ってきてしまった。
 若い頃の自分のように、何も持っておらず、居場所もなく、何者でもなかった頃の自分に、強制的に戻されてしまった劣等感と憂鬱が、自分の心を苛んでいた。

 ホテルに着く前に、飯野に言われるがままに、少々遠回りにをして母校の今の姿を見に行くことになった。
 自分たちが卒業した頃は、全校生徒1,000名を超えていた母校は、その後の少子化の影響を受けて、来春で廃校の憂き目に遭っているそうで、その後は治安の問題もあり、取り壊して何らかの施設が立つとのことで、おそらく最後の母校訪問になるだろうからと、飯野は気を利かせてくれたのだろう。
 高校の駐車場に車を駐め、飯野はそそくさと校舎の中にいる受付のところに行って、何か話をして戻ってきた。
 「思い出の部屋、見に行かねぇか? 許可自体は予め取ってあるからさ」
 相変わらず、気の回るやつだなあ。
 多田野は改めて飯野の根回し能力を思い知る。
 飯野が不可解研究会の会長になった理由は、他の面々と違って対外的な交渉能力に長け、目的のためには誰彼構わず根回しし、言いくるめ、ときには議論を重ね、最小限のコストで最大限の効果を引き出せると思われたからで、全員が「飯野以外に会長はありえないだろう」と意見が一致したからだ。
 結果、所属メンバー5人の同好会が、卒業アルバムに正式に認可されている部活動と同様に、写真掲載されるようになり、活動内容が実際は単に雑談してるだけにもかかわらず、あまり真っ当とは言えないにしても、定期的な活動報告の壁新聞の作成だけで、ほぼ制限なく認めてもらえるようになり、その内容のコアさが受けて、一部の生徒に熱狂的に支持されるようになったり、校外からも相談事が舞い込むようになった。
 部活動がそれほど盛んでもない母校のなかでは、局所的には超有名な同好会になってしまい、同好会の解散の際には、校内校外問わず、熱烈なファンからも惜しまれたもした。
 そんな、正体不明な集団を、そこまで意味も意義もある同好会に仕立て上げることができたのは、ほぼ飯野の能力によるものだろう。
 飯野は現在、物流企業の施設課の課長として勤めており、新しい拠点を設ける際の様々な折衝を一手に引き受けているとのことだ。
 頭の出来はそれほど変わらないはずなのだが、どういう使い方をしたら、こんな成果が獲られるのだろうか?
 当時もそうだったけど、飯野の立ち回りは今でも自分でも、到底考えが及ばないことばかりで、どうしたらそんなことを思いつくのかと、周りの誰もが驚かされていたのを、今でも覚えている。
 そんな飯野が、深刻さが伝わってくる声色で電話をしてきたのが、つい先日の話だった。
 詳細は会ってから話したいと話していたが、今の飯野の行動は、先日の電話口で深刻な悩みを抱えている飯野とは別人のように思える。

 無人の校舎の中を二人は歩いていた。
 来客用のスリッパの立てる、パタパタという足音が、反響してかなり大きく聞こえる。
 久しぶりに歩く廊下は、当時は少々長く感じていたが、今はとても短く感じている。
 階段を上り、二階の図書室を通って、隣の図書準備室に着いた。
 「おおっ、懐かしいなぁ。今はどんな風になっているのかなぁ?」
 引き戸をソロソロとゆっくり開けると。
 古紙に特有の、若干癖のある匂いがしてきた。
 神田のかなり老舗の古書店に、ふらりと迷い込んだような感覚。
 この部屋には、図書室の蔵書の管理に必要な帳簿や、希少すぎて貸し出すには難しい歴史的価値がありそうな古書などを管理するための閉架があり、日が当たらないように暗幕で仕切られた閉架の方で、オカルト好きの三田が自身が作ったメモを頼りに、黙々と古文書の買得に挑戦していたのを思い出す。
 三田がいうには、学校という特殊な施設の性格上、公設の図書館などの施設よりも、郷土史や民俗学的に興味深い史料が寄贈されているケースが多いそうで、解読した結果を別のノートに記録し続けていたら、学校周辺の郷土史に大層詳しくなり、地元の地主なんかが蔵に眠らせていた古文書などの、名指しで高校に持ち込んでくるようなこともあった。
 こんなエピソードの一つ一つが、自分たちが特殊な集団だったことに気付かさせる。
 そうしたことの一つ一つが、自分たちの自信や誇りにつながって、学校の成績は下の方でどんぐりの背比べで、異性にも注目されることなく、パッとしない高校生活の中で、なんとか自分を保つための重要なものになっていた。
 そんな風に少々物思いに耽っていたところ、別の足音が聞こえてきた。
 パタリパタリと特徴のある足音が、徐々に大きくなっていく。
 そして足音は、開いている図書室の戸に誘われるように、こちらに向かってくるようだ。
 「おーい、いるのかぁ?」
 やや低い、そして太い声の男の声がした。
 「こんなところに呼び出すなんて、どんな心境なんだよ! 直接うちに顔出せよなっ!!」
 やや高く、早口で、それでいて滑舌の良いハキハキとした男の声が続く。
 図書準備室に入ってきたのは、健康的に日焼けした、やや色の黒い肌の背が高く体格のよい男と、小太りで冴えない印象の、メガネをかけた無精髭の男だった。
 「いやあ、すまんねぇ。貴重な休みに呼び出して」
 飯野は入り口の方を向いて、やや大きな声で言うと、ニコリと微笑んだ。
 「別にいいんだけどさぁ……。おおっ、多田野が来てんじゃん! どうしたん?」
 小太りの男は、多田野を指出して大きな声で言うと、やや大げさにのけぞった。
 「総司、久しぶり。って、酷い顔色だなぁ。大丈夫か!?」
 日焼けした男が、多田野を気遣う。
 「兵藤やん、三田やん、久しぶり。多田野三等兵、恥ずかしながら還ってまいりました。とりあえず心臓は動いてる」
 多田野は力なく敬礼の真似をする。
 それを見て、小太りの男、三田は「おお、やっぱり多田野だ。間違いない」と言い、日焼けした男、兵藤は「心臓て……。まあ、生きてるのは確かだな。足はある」と笑いながら言った。
 「この面子で『足はある』は笑うなぁ! とりあえず、いつのも店に行きますか。まだ時間早いけど、あいつなら許してくれるだろう」
 飯野は四人揃ったことに若干喜びを感じながら、思い出の部屋を出ていくことにした。
 「その前に宿連れてってくれよ」
 多田野は飯野の後ろに続き、残りの二人もそれに続く。
 思い出の校舎に、思い出の部屋。
 多田野は、自分たちが輝いていた頃の記憶を思い出し、懐かしむと同時に、失ったものを再確認して耐え難い喪失感を感じていた。
 この時間は戻ってこないのだ。
 ここに来てしまったことで、そのことが心に刺さってくる。
 耐え難い痛みを紛らわせるために、ポケットの中に忍ばせたウイスキーの小瓶にこっそり口をつけ、少しだけグビリと飲み込んだ。

 尾揃市駅から少し離れたアーケード。
 メインの通りから一本入った路地にある、少し古びれた居酒屋風の店舗には、臙脂色の時に白抜きの文字で「居酒屋はやさき」と書かれた暖簾が玄関前にかかっている。
 店の広さは、カウンターとテーブルが3つほどとこぢんまりとしていて、カウンターの内側では、かなりしっかり煮込まれた季節外れのおでんがいい匂いをさせている。
 「でさぁ、何であんたらはここに来るわけ? 今はお盆よ! お、ぼ、ん!! あたしも亭主の墓参りに行かせてよ」
小柄でややふっくらとした印象の女性が、いそいそと冷凍庫からジョッキを取り出して、生ビールを注いでいる。
 「いやあ、申し訳ない! 安心して内緒話ができる場所を、ここ以外に思いつかなかったんだよ!」
 飯野は、手を合わせて陳謝する。
 「僕は他人の金で生ビールが飲めるならどこでも良いや」と多田野。
 それに「お前は既にいい匂いさせてるだろうが。まだ酔い足りないのか」と兵藤が返す。
 「お、俺は早ちゃんのおでん好きだからさ」
 シラフのはずなのに、三田は若干顔を赤らめながら言う。
 「あんたらは、相変わらず自由だねぇ……。あの頃と変わんないわ」
 カウンターに頬杖ついて、呆れながらため息混じりに女性は呟く。
 「で、早崎やん、あんじょうやってる?」
 「多田野がなんで関西弁なのよ。あ、まあまあ、ぼちぼちよ」
 カウンターの中の女性、早崎は集まった四人の方を向くことなく、せわしなく動き回って四人分のジョッキを並べ、熱々のおでんを器に盛り付け、同じように並べる。
 キンキンに冷えた生ビールと、熱々のおでんが、カウンターの席に座っている四人の前に並べられると、早崎は冷蔵庫から烏龍茶のペットボトルも出してきて、手近にあったグラスに注いで手に持った。
 「んじゃあ、再会を祝して乾杯」
 全員がジョッキやグラスをカチンと合わせる。
 全員が揃ったのは、十数年前の飯野の結婚式以来だろうか。
 多くの場合は、警察官だった兵藤が欠席していたり、出張で飯野が捕まらなかったりだった。
 そういえば、ご主人が亡くなられて、しばらく喪に服していた早崎がいなかったり、最近は関東方面に引っ越した多田野がいないことが多かった。
 待ちに待った生ビールを飲み干して、あっというまに空にした多田野、生ビールをおかわりすると、おでんの大根を割り箸で突いていた。
 下戸の三田は一口だけジョッキに口をつけ、残りを多田野に押し付ける。
 「で、どうした? 何かあったのか?」
 ゆっくりとジョッキを傾けて、生ビールを半分ほど飲み干すと、兵藤は飯野に尋ねた。
 「電話の声がさ、深刻そうだったから、気になってはいたんだけど……」
 と、兵藤は続ける。
 そこに三田が重ねて話す。
 「そうそう。何かあったんか? 俺らを頼ることなんて、今となっては珍しい。っていうか、大概のことは飯野なら何とかしちゃうもんだと思ってたから、びっくりしたよ」
 「だよなぁ。飯野やん、どしたの? 何か悪いものでも…」
 「食べてない!」
 多田野がふざけたようなことを言おうとしたのを、飯野が制した。
 「……まあ、とりあえずちょっと訊いてくれ。順を追って話すから」
 飯野は、言いにくいことを話すように、ぎこちなく、言葉を選びながら話し始めた。
 その姿は、高校時代の飯野を知っている彼らからは、とても違和感を感じるように、別の人物のようでもあった。

 話によれば、それは一週間ほど前のことだったそうだ。
 いつものように出張続きの日々を送っていた飯野は、久しぶりに我が家に還ってくると、奥さんが深刻な面持ちで出迎えてくれたそうだ。
 何かあったのか気になって、奥さんにそれとなく訊こうとしたら、奥さんはハラハラと涙を流し始め、中学生の娘さんが学校に呼び出されて、結構な詰問を受けたらしいことを話し始めたそうだ。
 その内容については、娘さんからは大まかには聞いてはいるものの、その内容があまりにも突拍子もないというか、自分たちの思いもよらない出来事についてだったこともあって、奥さんもかなりショックをうけているようだったと。
 で、娘が受けた詰問の内容は、最近頻発している「連続児童失踪事件」についてで、どうやら同じクラスに行方不明になっている生徒がいて、その女の子が娘さんと仲が良かったこともあり、行方を知っているのではないかと、しつこく追求されたそうで、合わせて校内で噂になっている「学校裏サイト」のことや、失踪した児童の多くが持っていたとされる、謎のカードの存在についても同様に聞き取りがされたそうだ。
 同席していたのは学年主任と担任教師、そして愛知県警からきた刑事だとかだそうで、ただでさえ娘さんは強いプレッシャーを感じていたのに、強い口調で詰問されたことがストレスになって、しばらくは自室に引きこもってしまっていたらしいが、飯野が帰ってきた頃には、普段のように明るく振る舞っていたものの、飯野が学校に呼び出されたことについて尋ねると……。

 「こんなものを持ってきたんだ」
 良いのは胸のポケットに入れていた名刺入れから、一枚の名刺大の大きさのカードを取り出してカウンターの上に置いた。
 カードはかなり透明度の高い素材の真ん中に、暗褐色をもう少し暗くしたような、赤みのある黒い塗料で印刷された、四角いマークのようなものがあるだけのものだった。
 「QRコードかぁ。普通は下地に白インクでベタを敷かないと、読み取りが難しいんじゃなかったっけ……。お、読み取れるな」
 多田野は躊躇なく謎のカードのマークをスマートフォンで読み取ると、スマートフォンの画面を興味津々に見つめている。
 「おい多田野、ちょっと待てって」
 慌てる飯野を気にせず、多田野はスマートフォンの画面の挙動を見守る。
 謎のマークを読み取ったスマートフォンは、読み取った情報からウェブブラウザが起動して、何らかのホームページを表示しようとしたが、どうやらうまく接続できなかった。
 「ありゃりゃ、アクセスできないみたいだな。って、飯野やん、何慌ててんの」
 「……それな、見たら死ぬらしいんだよ」
 多田野が呆けた目で飯野を見る。
 「飯野やん、4月1日はだいぶ前だぞ」
 「俺らに向かっていう冗談じゃないな」
 「もし本当なら興味深いけど、まあそういうフォークロアってありがちだからさあ……。もうちょっと捻ったほうがいいかも。40点」
 「三田……、その採点には異議ありだ。少なくとも俺が作った話じゃないし、都市伝説だとかなら、そのホームページ自体が存在しないだろ?」
 飯野はひたすら弁解するが、他の面々の視線は冷ややかだった。
 「他の誰かが、他の誰かに語る与太話なら、まあアリなんでしょうよ。でも、こいつらに話して『ナニソレ怖い』とはならないよね」
 黙って聞いてた早崎も話に加わる。
 「そう言われるとは思ったんだよ。でも、ただの与太ではないは……」
 うろたえながら飯野が話すのを、兵藤は制する。
 「確かに、単なる与太ではない、と思う」
 兵藤は、自分のスマートフォンに入っている画像をいくつか見せながら語る。
 「本当は守秘義務み反する行為だから、見せてはいけないものだけど、今扱ってる案件が、まさに『児童集団失踪事件』に関するものなんだ」
 兵藤はスマートフォンを何度かスワイプして、一枚の写真を画面に表示させる。
 その写真は、飯野がカウンターに置いた、謎のカードと同じもののように見えるカードが何枚かテーブルに置かれている様子だった。
 同じように見える、というのは、中央の四角い印が全て微妙に異なることだった。
 「これは依頼人、まあ失踪した児童たちの両親が、子供たちの部屋で見つけたもので、現在は俺の事務所で預かってる」
 兵藤は続けた。
 「俺もさ、最初は正直半信半疑でこの件の依頼を受けたんだが、まさか、飯野がこの件に絡んでくるとは思わなかった」
 思わぬところから思わぬ話が出てきて、飯野は困惑した。
 まさか、自分の身近に、この件を調べている奴がいるとは思わなかった。
 「それはこっちのセリフだよ。というか、浮気調査が専門じゃなかったのか?」
 飯野は冗談交じりに言う。
 「失礼な奴だなぁ。そういうのもあるけど、こういうのもあるのさ」
 兵藤は呆れながら返すと、スマートフォンの中のメモを読み始める。
 「この事件で、一番最初に失踪した児童の部屋にあったカードが……」

 多田野は液晶モニターを凝視していた。
 ウェブブラウザには、ホームページにアクセスできない旨の表示がされている。
 このホームページに接続できる時間は、深夜0時からおよそ30分程度だった。
 スマートフォンのストップウォッチアプリで、一分ごとにアラームを鳴らし、アラームごとにキーボードのF5キーを叩く。
 ウェブブラウザの再読込が正常に終われば、その時間は問題なくアクセスができる。
 読み込みができず、画面が切り替われば、正常にアクセスができない。
 まあ、単純な調べ方でしかないが、そのホームページの正体がわからない以上、最初からブラックな手法を試みるのは不味いだろう。
 時間的な余裕が、どれほどあるかはわからない。
 そんな中で、自分のできることを最高の効率で、最大限果たさなければならない。
 多田野は、スマートフォンのメールアプリを起動して、一通のメールを送信する。
 自分だけの実力でできることは、たかが知れている。
 でも、自分でできないことは、できる誰かに頼めばいい。
 だから、今回は専門家の手を借りようというわけだ。
 多田野は、先程ダウンロードしたソースなどの内容を吟味する。
 CSS、Javascript、HTML、そして付属するイメージファイル、それらを一通り確認した頃に、スマートフォンが振動する。
 「上田さん、わざわざすいません。ええ、大丈夫です。ちょうどメールの件のを見てまして」
 電話の主は上田という人物だった。
 多田野の極々限られた人脈の中で、ウェブシステムに強い人物といえば、上田のことしか思いつかなかった。
 「ええ。はい。やはり、そうですよね。アカウントから個人の特定って可能ですかねぇ? ……本当ですか!? あ、ありがとうございます!」
 会話の後、簡単なお礼を述べて、通話を切る。
 そして、間髪入れずに飯野や兵藤、三田にメッセージを送る。
 夜中にメッセージを送られても、気がつくのは朝になってからだろうが、情報共有を速やかな方が良いだろう。
多田野はそう考えた。

 再びダウンロードしたソースなどを確認する。
 気になったことがいくつかあった。
 例えば、背景画像として配置されていた、樹木のような緑色の画像。
 これは、大きな一枚の画像を、座標を固定して配置しているのだが、横幅が10000ピクセル以上あり、通常ではそのほとんどが画面外にはみ出てしまうために非表示になっている状態のはずだ。
 画像自体も、一枚の画像を繰り返し配置しているものを一枚の画像にしているだけのようだ。
 その画像サイズの割にファイルサイズが小さいのは、画像がGIF形式だからだろう。
 画像に使える色の数が限られるため、JPEG形式よりも画像としては荒いのだが、同じような色合いの画像のファイルサイズを小さくして保存できることもあって、インターネットの何処にでもある、ごくありふれたものだ。
 気になったので、その画像でカラーパレットを作成してみると、明暗、濃淡、様々な緑系の色がパレットに配置されていた。
 しかし、パレットの最初には、とても鮮やかな黄色がある。
 スポイトツールで確認したら、#FFD700。
 検索してみると、黄金色というらしい。
 しかし、画像を一瞥しても、どこに使われているかわからない。
 色域を指定して、選択をしてみると、どうやら画像の左側に何箇所かに使われているようだ。
 その部分を拡大すると、アルファベットが書かれている。
 http://…………
 どうやらURLらしい。
 しかも、件のホームページの中のディレクトリのものらしい。
 「んんー、なんだこりゃ」
 確認してみたいのはやまやまだが、今はアクセスができないので、確認のしようがない。
 「これは次の晩に回すしか無いか」
 氷が溶け切って、さらに薄くなった水割りを、ひと思いに飲み干して、椅子の背もたれに体を預けた。
 ざっくりと全体を見てはみたが、記述されているHTMLやCSSの仕様が古いというくらいで、特に怪しい記述は見当たらなかった。
 「今日のところは、これくらいで勘弁してやるか……」
 そのまま意識が徐々に遠のいていく。
 疲労と寝不足、そして酔いのせいもあって、いつの間にか寝落ちしてしまい、気がついたのは、日が高く上ってからのことだった。

 多田野は、スマートフォンの振動する音で目を覚ました。
 いつの間にか、寝てしまったようだ……。
 酔いの覚めていない頭を、二、三度振って、作業机の上に置かれたスマートフォンを手に取って電話に出る。
 「ふぁーあい、多田野です」
 言葉とあくびが混ざったような、間の抜けた口調で返事をする。
 電話の相手は飯野だった。
 「ああ、夜中のメッセージ読んだんだね。……ちょっといつになるかわかからないけど、多分ホームページのオーナーのことはわかると思う。……ハハハ、大丈夫だよ。ちゃんと生きてるからさ」
 昨晩、飯野が早崎の店で話していたことが、頭の中になかったわけではないが、そんなものを信じていたら、不可研のメンバーだった自分の存在理由が揺らぐことになるだろう。
 それに、それなりに長い間ホームページ制作に携わってきた自分としては、マーケティングでそういったホラー要素を付加させることはあるかも知れないが、そもそもどういった理屈でインターネット上のデータによって殺人を可能にするのかが、自分の中では理解できない。
 「……はい。んじゃあ、また後で」
 多田野は通話を終えると、スマートフォンの画面にメッセージとメールの通知が表示されていることに気がついた。
 メッセージは三田からで、一言「音声ファイルは絶対に再生するな」とだけ送られてきた。
 三田は、普段は早口で口数か多いが、メッセージやメールでは必要なこと以外を書かない、ぶっきらぼうな感じになる。
 「音声ファイル……? 確か、なかったなぁ」
 寝る前の記憶を辿っていくが、思い当たるものがない。
 多分、大丈夫のはずだろう。
 メールの方は上田からだった。
 「えーっと、ご質問の件、多田野君のご指摘どおり、DDNSサービスのURLと思われます。以下、サービスを提供している企業の担当窓口のメールアドレスになります。担当者は……。なるほどなるほど。上田さん、あるがとうございますっ!」
 ぶつぶつと呟きながらメールを読んで、早速記載されていたメールアドレス宛にメールを送信すると、あくびを一回、屁を一発かましてから椅子から立ち上がると、ぐうぅと腹が鳴った。
 「あーっ、腹減ったなぁ」
 Tシャツとトランクスでは部屋から出られないので、ジーンズだけは履いて、バッグとルームキーを手に取ると、廊下に出て部屋の鍵をかける。
 「この辺は、僕がいた頃とそれほど変わってないはずだから……」
 確か駅ビルの中に飯が食える店があったはず。
 歩きながら、何を食おうか考えていると、白くて大きな駅ビルが見えてきた。
 壁面に設置されている大きな時計は、正午近くを指していた。
 半日くらいで口にしたのは焼酎の水割りだけなのだから、そりゃあ腹も減るだろう。
 「ガッツリ食べて、作業に戻るかねぇ」
 確か大手の、中華レストランチェーンが店を出していたはずだ。
 早くしないと、昼飯時だから店も混むだろう。
 多田野は少々早足で、駅ビルまで歩いた。

 運ばれてきた大盛りの、チャーハンとラーメンを黙々とかき込んでいると、多田野のジーンズの尻ポケットに入れていたスマートフォンがブルブルと振動した。
 取り出して画面を見ると、相手は兵藤だった。
 「はいはい多田野でーす。兵藤やん、どしたのー? ……あ、ちょっと待ってね」
 口の中のチャーハンを、ラーメンのスープとともに飲み込んで、再びスマートフォンを耳に当てる。
 「……ああ、ごめんごめん。飯食ってた。で、どうしたの? ……ああ、昨日のカードの件ね。普通にQRコードを読み込んでもらって、ウェブブラウザのURLんトコのアドレスをメールなんかにコピペして送ってよー。……ああ、多分今はアクセスできないし、昨晩に飽きるくらい件のホームページをガン見してた僕がここで飯食ってるからさ、なーんも問題ないって! ……んじゃあ、よろしくお願いしまーっす!」
 噂のホームページの話、兵藤も動揺しているらしい。
 我ら不可研の面々が、そんな非科学的な話を、疑いもせずに信じてるということに、多田野は少々憤りを感じていた。
 「みんな、日和っちまったのかなぁ……?」
 ラーメンの丼に浮いている、薄いチャーシューを箸で掴んで持ち上げながら、そう不機嫌そうに呟くと、パクリと一口で食らいつく。
 なんだか、飯がまずくなった気がする。
 だんだん食うのが面倒臭くなってきたので、ガツガツとチャーハンの残りとラーメンをかき込んで、支払いを済ませて外に出る。
 本当なら、混雑しているであろう駅ビルの中のホールは、それほど混み合っておらず、周りの店も比較的空いている。
 よくよく考えると、今は盆休みのせいか、昼飯を食いに出てくるサラリーマンたちがいないせいもあるのだろう。
 「まあ、僕みたいなビンボー人には、帰省も旅行も関係ないからなぁ……。残念なことだがしゃーないですなぁ」
 持っていないから羨ましい。
 持っていないから妬ましい。
 手が届かないから、狂おしいほど渇望してしまう「幸せ」という形のないものを、頭から振り払うように、早足でホテルに戻ると、デスクに据え置いてあるメモ帳を一枚破る。
 ホテルに戻る途中で届いた、兵藤からのメールに書かれていたURLを見ながら、件のホームページのサイトマップや各種ファイルの置かれているディレクトリを紙に書きながらまとめることにした。
 


 
 
 


 
 


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ただのいそじ
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