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来た道、行く道

ふと思い出したこと

「おじさん構文」「おばさん構文」という言葉を聞いて、都々逸か何かで「子供を叱るな来た道だもの、年寄り笑うな行く道だもの」みたいな言葉を思い出して、少し検索してみたら、都々逸ではなかったらしい。

後に「子供泣かすな来た道だもの、年寄り笑うな行く道だもの」というふうに、微妙に変化した類似の言葉が何百通りもあることを知りました。作者は不明ですが、浄土宗の信徒という説や、広めたのは永六輔さんだとも言われています。

もとは「子供叱るな来た道だもの、年寄り笑うな行く道だもの、来た道行く道二人旅、これから通る今日の道、通り直しのできぬ道」のようです。

https://renaissance-media.jp/articles/-/1147

どうやら都々逸などよりも、しっかりとした意味合いの言葉のようだけれど、その悲哀を帯びた内容から、僕は都々逸なのだろうと勘違いしていたようだ。

すぐに過ぎ去っていくもの

さて、時代というのはメチャメチャな速さで過ぎていき、一瞬先に流行ったものが時代遅れになってしまう世の中ですが、その最たるものがテクノロジー関係の諸々のように思えます。

かつて電話線をモデムに繋いでダイアルアップで接続していたインターネットも、今や無線どころか携帯端末で気軽に使えるようになり、小さな画像一枚ダウンロードするのにそれなりの時間を要していたのが、今では動画は当たり前でオンラインで対戦ゲームすらできてしまうんだから、20世紀末にインターネットを始めた僕のようなおっさんにとっては「すげえ未来になったなぁ」と思ってしまうわけですよ。

マナーは時代で変わるもの

で、そんな中で、やはり奇妙なマナー的なものはいくつもいくつも出てきた気がするんですよね。

キリ番の踏み逃げ禁止とか、ブログにトラックバックする際はコメントであらかじめその旨を通知するみたいなのとか、そういえばFacebookでもシェアする前にコメントしろとか訳のわからないことを言う人が時々いますね。

僕にとっては、「おじさん構文」やら「おばさん構文」というのは、そうしたよくわからないマナー的なもののように思えました。

何故それが生まれたかを考える

その裏側には、新しいコミュニケーションに慣れていない上の世代の人たちが、一生懸命若者に合わせようと四苦八苦している涙ぐましい姿が想像できて、思わず「ご苦労様です」と声をかけたくなってしまうんですが、まあ余計なお世話でしょうからそういうことはしません。

まあ、ただ、それでも上から目線で助言を押し付けようとする仕草は「うるせえ馬鹿野郎」みたいな気持ちにもなるのはわからなくもないです。

でも、それを笑ったり、後ろ指さしてどうのこうのと言うのも、なんか違和感あったりします。

そこで、最初の言葉になるのですが、若い人たちに言いたいのは「やがてあなたもそうなるんだよ」と言うことなんです。

「まさか自分はそうはならないだろう」って思うでしょう?

でも、恐らくそうなってしまうんです。

誰もが、そう言う道を辿っていくのですから、それを笑うのではなくて、そうならないためにはどうしたら良いかを考えてみる方がいいのではないかなと思えました。

逆に、「おじさん構文」や「おばさん構文」と言われて嫌な気持ちになった人もいるでしょうが、もしそうなら一度振り返って欲しいんです。

あなたも、若い頃に「あの人は古臭いなぁ」とか思ったことありますよね?

あなた方がきた道を、彼らもまた来ているだけなのです。

そんなに目くじらたてなさんな。

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ただのいそじ
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