画像生成AIと人体
OkazuAIに味をしめて、別の画像生成AIのアプリも試し始めたんですが、共通して起こる、ある現象から気になったことを書いてみたいと思った次第。
無いものは描きにくいってことなのかねぇ?
あれれ、おかしいぞ?
先日書いた記事でも紹介したことだけれど、画像生成AIは指や四肢の扱いが苦手なのか、指の本数をよく間違えるし(一本余計に描いてくれる事が多い)、別のパターンでは足の向きが違ったりました。
僕らはそれがおかしなことだと、一目見て理解できるし、それを別の誰かに伝えることもできる。
しかし、画像生成AIは理解できないし、恐らく共有もできていないのだろう。
多分、今、この瞬間にも、世界中の画像生成AIが余計な指や向きのおかしな四肢を描いてしまって、ユーザーから「そうじゃねえんだよなぁ……」と呆れられていることだろう。
その光景は微笑ましいと思うけど、それが実際に増えた指や、おかしな向きの四肢の数を想像したら、軽くホラーな光景になるのかもしれない。
願わくば、そんな凄惨な光景を想像しなくても済むように、正しい姿の人物を描いて欲しいと思ったりする。
確かに人の身体は難しいよね
まあ、絵を練習していた人なら、経験はあると思うのだけれど、人間を描くのは難しい。
絵を描いている人が、人体を理解して、それを絵として描くのは、それなりのトレーニングを必要とするのは、恐らく手足をそれらしく表現するには、相応の鍛錬を要するからで、全体の大きさのバランスや全体の繋がりの流れ、また個々のパーツの造形や大きさのバランスなど、ただの立ち姿をらしく描くだけでも気をつける必要のありそうなポイントは多い。
そこに遠近法や風でなびく髪や衣服の表現、身体の重心がどこに置かれていてどんな動きの過程なのがも考えたら、らしい絵を描くのには、たくさんのトレーニングが必要になるんだと思う。
僕自身、練習しても上達せずに挫折した口なので、AIにそれができなくたって「まあ仕方ないよね」って気にはなる。
だからこそ、絵師と呼ばれる人たちの描いた絵はすごいと思うし、敬意も表したいとも思う。
逆に僕のような、そうした技術をAI任せにして、プロンプト書いてシード値いじってるだけの立場の人に対して「絵を描いている」とは思えない。
課題は身体感覚なのか?
ちょっと話がズレてしまった。
話を戻すけど、AIには身体がないわけだから、人間のように鏡に映った自分や、自分で自分の写真を撮ったりして観察しながら描くことはできないでしょうし、そもそも肉体を持たないのだから、人間の身体を理解できないだろうから、指を余計に描かれようが、足の向きが逆に描かれようが、仕方のないことといえば仕方がない。
この絵のように、手前の部分より奥の部分の方が大きく描かれていても、それは仕方がないことだ。
また、上の絵のように「握る」ことが理解できていないので、残念な絵になっていても、仕方がないといえば仕方がない。
以前にも描いたけれど、画像生成AIに、自分の知らないものを描いてもらうのは難しいという僕の予想が仮に正しいとすれば、画像再生AIに人間の身体は完全に理解できていないから、そうした変な画像が出来上がってしまうのかもしれない。
そして、残念なのは、そのことを画像生成AIに教え込む手法が確立されていないのか、それとも誰もそれをしなかったのか、そのせいもあって未だに間違った表現がされてしまうということだろうか。
この弱点が克服されたら、画像生成AIはさらにすごいことになるんじゃないかなぁ。
そんな未来、ちょっと怖いけど気になるなぁ……。