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ワガママな僕らの胃袋

僕らはとてもワガママで

前回の記事とダブってしまいますけど、先日伺った下仁田町の一番さんのタンメンと餃子は本当に美味しかったんですよ。

素朴で、やさしくて、「こういうのでいいんだよ」と頷かせるような味わいは、僕の身体や心の疲労を癒すのに十分でした。

しかし、食べログをあとで見ると、あまり評価が良いとは言い難く、読んでいた残念だなぁというレビューもチラホラ。

テレビで取り上げられたから味が荒れた(意訳)だのと書いてあるのを読んだら、僕はちょっと悲しくなって食べログをそっと閉じました。

今時、あの価格であれだけのものを食べさせてもらって、それで満足しない人がいるのかと思うと、ああ僕らはワガママなんだなぁと、ちょっと寂しくなりました。

「僕には合わない」という感想

人間なんて完璧ではないので、その時の体調や精神の状態で、味覚なんて変わってしまうものだと僕は思っていますから、基本的に食べログなんかは気にしないのですが、よくわからない批判コメントのマスはお店の人を苦しめるのに十分なのだろうと想像もできます。

中には自分の知識をひけらかしながら、レビューサイトに長文を垂れている人もいて、乱暴ではありますが「ブログでやれよ」と思ったりもしました。

プロでもないただの人の味覚を基準に5段階で評価されて、見当違いな感想でお気持ちを表明されたとしたら、厨房で鍋を振って野菜炒めてる本人は、相当堪えると思うんですよ。

中には本当に食べて後悔するような味のものもあるかもしれませんが、その中には単に「自分には合わない味だった」という話だってあるかもしれませんから、安易に不当な評価はしたくないもんだなぁ……。

口に合わなきゃ行かなきゃいい

話は変わりますが、僕の職場で以前に「山岡家論争」というのがありました。

24時間営業してる貴重なラーメン屋として、富めるものにも貧しいものにも、等しく特徴的な味と高い満足感を与えてくれる山岡家なのですが、僕らの職場のある社員さんに山岡家のラーメンを食べに行ったと話すと「あんな臭いものをよく食えるよなぁ」言い放たれたわけです。

その話が周囲に波及して「山岡家大好き派」と「山岡家大嫌い派」に割れてしまい、ラーメンの話がしにくくなってしまいました。

好みは人それぞれですから、あの豚骨を煮た時の匂いが臭いと感じる人も当然いると思います。

いや、最初に山岡家行った時は、僕もあの匂いにビックリしましたよ。

でも、それは人の好みでしかないので、それでその人やその店を否定するのはどうなんだろうと思うのです。

ましてや、所詮は味覚の曖昧な素人の意見ですから、それをレビューサイトでさも正しいように書かれてしまったら、料理を出している方も悲しくなってくるだろうと。

口に合わない料理が出てきたら、次に行かなければ済むことですから、悪口めいたことを書き記すことは、しなくても良いのかなと思ったりします。

レビューサイトは参考程度に

それでも失敗したくない人にとって、レビューサイトのレビューは福音のようなものなのでしょう。

僕らの胃袋はワガママですから、見知らぬ土地でできるだけ美味しいものを食べたいという欲求は、誰にでもありますよね。

でも、だからって、そのレビューサイトの星の数で過剰にハードルを上げて店に入るのは、正直どうかなって思うんですよね。

別に機械が料理を作ってるわけじゃなくて、僕らがいい加減な人間なように、相手もまた人間なのですから、忙しかったら体調悪かったりしたら、普段と味が変わることだってあると思うんですよ。

それをさも絶対の評価のように書いてしまうのは、あまり公平だとは思えないし、なんなら食べる方の体調による味覚の変化が評価されないというのは、このシステムの欠点なんじゃないかなと個人的には思います。

情報は情報。
レビューはレビュー。

参考にするも程々にしたほうが、お互いの幸せのためじゃないかなって思いました。

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ただのいそじ
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