感じたことを猫を愛でるように扱う
なんだか自分にぐっとくるインスピレーションのような内容って、なんにも考えていない「隙」みたいなところにサクッとやってくるなぁと思う。
今日も家の廊下にいたら、「感じたことを猫を愛でるように扱う」というアイディアがやってきた。
はは〜ん、さてはこれは、昨日と一昨日、友人の家で猫をもふもふしてきたから出てきたアイディアだな〜?とほくそ笑みつつ、なるほどな〜と納得する。
なんかよくわからないけど不安。
と湧いてきたら、その「不安」を三毛猫を愛でるように見守る。
なんかふつふつと怒りが。
と湧いてきたら、その「怒り」を黒猫を愛でるように眺める。
なんかやけっぱちな気持ち。
と湧いてきたら、その「やけっぱち」には、錆び猫を愛でるように寄り添う。
何か感じきれなくなりがちな感情がやってくると、感じることから逃げて始末してしまいがちだったり、どうにかしようとしすぎてしまったり、なんてこともあるけど、自分の家の猫じゃなくて、よそのうちの猫や野良ちゃんに構わせてもらってるくらいの感じでいたらいいのか、なんて思ったらすごく気楽で、救われるなぁと思った。
解決「しよう」とか、どうにか「しよう」と構えちゃうと、猫が怖がって逃げちゃうみたいに、自分の中の柔らかい感性も気持ちもどこか硬くなるような気がするから、「あ〜、そうなんだ〜」くらいで一緒に居ながら、必要なときに何かするくらいがちょうどいいのかもしれない。
もし、自分が猫だったらどうしてほしいか?くらいの感じで、猫や動物とも、自分の内側とも、子どもとも、他の人とも、付き合ってみたらいいのかもな。
そう思うとちょっとわくわくしてくる。
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