壮絶な格差の中で、人は生きている Part1
人生は平等ではありません。
生まれながらの平等はあり得ません。
人生は不平等であり、
辛くて、苦しくて、どうしようもないものです。
僕は、常に劣等感を抱えて生きてきましたから、
その思いは人一倍強かったように感じます。
白血病、発達障害、抑うつ、社交不安障害
過食嘔吐、アトピー、低身長 etc…
劣等感はその名の通り、感情を指す言葉ですが、
今挙げたことは、言葉の羅列に過ぎません。
ただ、その羅列の中から僕の劣等感を読み取って欲しいです。
心を閉ざした小学時代
幼稚園の時に、白血病にかかりました。
1年間の入院生活の末、退院しました。
小学校1年の終わりに、白血病が再発しました。
1年間入院生活の末、退院しました。
後から親に聞いた話ですが、
僕と一緒に入院していた子のほとんどは、
もう亡くなっているそうです。
入院していた頃の、嫌な思い出はたくさんあります。
何度も採血されて、血管も細くなって、
1時間以上も看護師さんやお医者さんに、
代わりばんこに注射針を打たれて、涙がこぼれてきました。
点滴は手の甲に打っていました。
ですが、ある夜に先生がやってきて、
長い入院生活になるから、胸の上あたり変えた方いいと、
親に提案をしていました。
メスを入れる手術になるとか、全身麻酔をするだとか、
小さい自分にとってはどれも怖くて、涙がこぼれてきました。
点滴注射をされた時に鼻から抜ける薬臭さも、
輸血をされた時の喉のイガイガも、
抗がん剤を投与された時の吐き気も、
注射針で骨髄液を採取された時の激痛も、
全て今でも鮮明に覚えています。
入院生活が終わって、小学校に戻った時、
僕は人と話せなくなっていました。
人と話す気力も勇気もなくなっていました。
小学校3年生の運動会の時に、
みんなでダンスをする発表がありました。
僕はその中心で踊るように言われました。
真ん中は、あまり動かなくてもいいからと、
先生が配慮してくれたと親は言っていましたが、
僕はそれを、悔しいと感じました。
運動会当日は、日差しがきつかったのを覚えています。
みんなと一緒にグラウンドに並べられた席で座っていると
先生から呼ばれて、テントのついた関係者席に座らせられました。
親は「よかったね」と言っていましたが、
なぜだか涙が止まりませんでした。
特別扱いをされると、恥ずかしさや、怒りや、悲しみが
混じったような、どうしようもない感情が湧いてきたのです。
病気をしていた可哀想な子。
配慮が必要な子。
僕は、そのような目で見られるのが嫌でした。
小学校を卒業する時に、
僕はある先生に卒業文集の寄せ書きを求めました。
その先生は、僕の文集に
「〇〇くん、強くなったね」と書きました。
それが、今でも記憶に残っています。
僕は、その先生が嫌いではありませんでしたが、
寄せ書きを見た時、なぜか心が締め付けられました。
自分を表現できた中学時代
中学生にもなると、
日常生活に困らないくらいの体力は戻りました。
ただ、別に運動ができたわけではありません。
長距離走はいつも最後尾でへとへとになって走っていました。
体力のある人と僕の間に、
どうしようもない差ができていることはわかっていました。
小学1年の時に通ったスイミングスクールで、
僕は、一緒に入った数人の友達より早く進級をしました。
学校の水泳の時間で、
どれだけ水に顔をつけていられるかのゲームが行われた時も、
僕は2番目に遅くまで顔をつけていられました。
それが中学の水泳では、誰よりも遅くなっていました。
一番、運動神経が伸びる時期に、
僕は今日の体調が良いかどうかを
気にしていたのですから仕方ありません。
しかし、部活で始めた剣道は違いました。
なぜか厳しい練習も頑張れました。
最初のうちは、体格とか運動神経とかで
負けてしまうことが多かったのですが、
剣道の先生はこのようなことを言っていました。
「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」
相手をよく見て、頭を使って、工夫して、
すべて剣道の先生に教わったことです。
粘り強いとか、型が崩れないとか、コテが上手いとか。
褒められて、自分が認められたように思いました。
”特別に”や”配慮されて”じゃなくて、勝負で勝って、
レギュラーに選ばれたことは、僕の自信に繋がりました。
部活だけではありません。
勉強も頑張りました。
中学最初の定期テストは学年13位です。
僕にはふたりの兄がいますが、
そのふたりとも勉強のできました。
そもそも、うちの親が勉強をさせる人でした。
だから、中学で勉強を頑張ることは、
僕にとって自然のことだったのです。
授業では積極的に挙手をして、
時には、奇をてらった回答をして人を笑わせたり、
自分が注目されることに快感も覚えました。
ある時、国語の授業で「少年の日の思い出」についての、
作文を書くという課題が出されました。
「最低、原稿用紙1枚でまとめること。
もし、書き足りないなら職員室にもらいに来てください」
そんなこと言われても、わざわざ職員室に
原稿用紙をもらいに行く人なんていません。
みんなが嫌そうに文章を書いている中で、
しかしなぜか僕は、それに没頭していたのです。
どうしたら面白い作文になるのか。
仲の良かった友達にも見せて、
こうしたら面白くなるんじゃないかと。
そうしたら、どんどんアイデアが浮かんで、
クラスで僕だけが、2枚目の用紙を貰いに行きました。
次の週、僕の作文がクラスメートの前で読まれました。
そして、そのストーリーで笑ってくれたのが、
恥ずかしくもあり、嬉しくもありました。
きっと、これが今の仕事を始めるきっかけになった出来事です。
そんな、中学時代でした。
僕が今、かろうじて希望を持ちつづけているのは、
中学時代の風景がまだ残っているからです。
高校、大学、社会人の過程の中で、
僕の劣等感は膨らみ続けました。
そこで絶望的な格差があることを理解したのです。
今まで思っていた、”特別視されたくない”が
”特別視されたい”に変わったのは、
自分という存在が、社会の中で弱い立場にあると
僕自身が理解してしまったからなのかもしれません。
(Part2に続く)