地に足のついた研究をしている人
が好きです。色々定義はあるんでしょうが、僕が思う地に足のついた研究をしている人とは、自分なりの仮説に立脚し、ストーリーを持って積み重ねている人です。誰が言ったかは忘れましたが、「研究とは小さな泉を育てて大河とする」といった研究です。
これを言うと、純粋な(?)研究者からは「医師研究者はそうじゃないのか?」と思われるかもしれません。臨床研究をしている多くの医師は研究のみで生きているわけではないですし、医者のライセンスで十分生活できる上に、医学系雑誌のインパクトファクターのインフレはすごい。やりたい時に好きな時に好きな研究だけをやっても生きていけますし、データベースも豊富にあって非常に恵まれています。だからこそ、テーマが無くても別に問題ないようにも思います。
研究テーマというのは症例報告から始まるかもしれませんし、あるいは先に理想のゴールが見えていてそこから逆算するのかもしれません。初めは指導医にもらったテーマだけどやってみたら面白くてどんどん広がっていくこともあるでしょう。
臨床的な研究であれば、最初は症例報告だったけど、次はカルテレビューで研究し、数施設で前向きにデータを作り、ここまでやりました。次からはここで得られた知見を基にランダム化比較試験まで繋げていきます。そして、ガイドラインを変えていき、世の中に広め、その影響をまたリアルワールドで評価していく流れやストーリー。
あるいは、これまで形のなかったニーズを自分のアイデアから形にして、最初は受け入れられなくてもそれを広げていって世の中に浸透させるストーリー。
研究者としての業績よりもそういうナラティブに惹かれますし、仮に掲載されている雑誌のIFがそこまで高くなくても、引用数が多くなくても、いいなあと思って見ています(そういう人は大抵数字もあるんですが)。PubMedなどで見てみたらその人の研究ストーリーがよく分かりますし、研究費を合わせて見ればさらによく伝わります。
僕は特に定まっているわけではないので、より羨ましく見えるのはあるかもしれません。横断領域の先生方(総合診療・救急・集中治療など?)はこの辺ちょっと陥りがちな気はしますが(色々つまみ食いしたがる)、それでも一貫して手法論の視点やPatient Reported Outcomeなどの評価基準から確立している人もいます。
メンティーには、最初は色々経験して学ぶこと、途中からはストーリーを持つことを意識した方がいいと伝えています。それは循環器とか、敗血症とか、そういう単に領域を絞るという漠然としたものではなく、もっとspecificに仮説を持ってこれまでの研究とこれからの研究ストーリーを熱く語って実践できるようなテーマ。研究者として頑張るなら、ついつい扱いやすいところや時節に流れるのではなく、情熱を持って人を巻き込んで、動かしていける人を目指して欲しい。
利根川進氏の名言がありますね。
『一人の科学者の一生の研究時間なんてごく限られている。研究テーマなんてごまんとある。ちょっと面白いなという程度でテーマを選んでたら、本当に大切なことをやるひまがないうちに一生が終ってしまうんですよ。だから、自分はこれが本当に重要なことだと思う、これなら一生続けても悔いはないと思うことが見つかるまで、研究をはじめるなといってるんです。科学者にとって一番大切なのは、何をやるかです。』
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