データベース研究はつまらない、システマティックレビューは研究じゃない?
この記事は一年近く前に書き溜めてあったのですが、中々公開するタイミングがなく放置していました。僕が見てきた案件は下記あたりでしょうか。
臨床研究とかいうのは研究じゃない
SR/MAは人の褌で相撲をとっている
データベース研究は深みがなく銅鉄研究でしかない
業績稼ぎのSR/MAやデータベース研究ばかりやってる人を研究者とは言わない
臨床研究者はRCTをやってこそ
個人的には言わんとすることは分かるのですが、わざわざ声に出していう必要はないと思うんですよね。わざわざ言う人の大体はポジショントークか嫉妬心かなと。自分の研究に邁進している人は自分の研究ストーリーに必要なものを用いているだけであり、他者の研究や研究姿勢に対してわざわざどうこう言わない…かもしれない(優秀な研究者が人格的に優れているわけではない)。
医学でも研究でも自分の専門領域以外の事なんてたいしてわからないものです。
あと、わざわざ言う人は大抵その研究をやってないのに何故か言う気はしています。他領域から殴りかかってくる人も同様に、一緒にやる気があるのかな?と思います。
僕はよく寺澤先生に「出羽の守」になるなと教えられてきました。いきなり「俺たちはこうやっている、こうやるのが正しい」というスタンスで従来のところに殴り込んでいっても、誰も味方になってくれず孤立、なんなら断絶が深まるだけという話。中に入って変えるには10年かかるんですよね。
論文の瑕疵を指摘するとか自分の関連領域に関しては科学的に議論すればいいし、研究者としてのキャリアが心配なら個別に相談に乗ってあげればいいと思います。
僕が好きな言葉の一つに、誰が言っていたかは忘れましたが「誰もが自分のキャリアを否定したくない」というのがあります。というわけで、以下の記事もポジショントークということは念頭に置いて読んでいただければと思います。
1. 臨床研究とかいうのは研究なのか?
なかなか衝撃的な発言ですが、ある臨床研究の大家が、昔とある高名な基礎研究者に言われた言葉だそうです。僕が研究し始めた10年前、臨床の一流誌に論文を何本も出している先生から『旧帝大の教授は基本的に基礎研究であり、CNS(Cell, Nature, Science)に通してナンボで、NEJMなどの臨床医学誌はインパクトファクターばかり高いけど評価されにくい』ということを聞きました。
そういう視点にいる研究者からすれば、この記事のタイトルに挙げたようなことで色々言っているのは五十歩百歩なんでしょう。
今は臨床研究も評価され、多面的な評価がなされる時代になってきていると思いますが、それでもこの考え方はそれなりに根深いのではと思います。ともすれば時間がかかる・大変・結果が出ないという事で敬遠されがちな基礎研究ですが、基礎研究がないと臨床研究も発展しません。
僕が留学中に『臨床研究者はデータいじるだけでたくさん論文書けていいよな〜。基礎研究なんて3年いても一本出るかどうかだし、出ない人も沢山いるし。基礎研究のデータ捏造する気持ちもわかるわ』と言われたことがあります。
この「論文沢山書けていいよな〜(しかも良い雑誌に掲載される)」が、SR/MAやデータベース研究などを用いた研究に対して何かと言われやすい理由の一つなのかもしれません。僕は基礎研究、羨ましいんですけどね。
2. システマティックレビューは人の褌で相撲をとっている
そもそもSR/MAは原著論文なのか?つまり研究としてオリジナリティがあるのか?というのは世界各国で同様の論争があるようで、日本でも諸外国でも博士課程の卒業論文としてSR/MAを認めないところも多いことからも、所謂「研究者が行うことではない」と思われてきた経緯があるのでしょう(ResearchGateなどのコミュニティで調べた範囲)。
例えば下記の2019年のBMJ Openの論文では、主要な医学誌の編集者に対して「SR/MAは原著論文か?」というアンケートを行ったところ、80%がyesと回答しています。この結果に対して、海外の有名な研究者達が『20%もの編集者がSR/MAを原著論文とは考えていないとはありえない』『いや、僕は原著論文と考えない気持ちもまあ分かる』などのやり取りをしていました。
でも実際に行うとわかりますが、SR/MAは専門家でないと正しく行うのは難しいですし、手法論も更新され、十分な知識と経験がないと行うことができません。正しく過去の研究を評価して統合し新たな知見とするという意味では、その必要性と価値は高まる一方です。
また、原著論文はnew knowledgeが大事と言うけど、世の中のどれほどの研究がnew knowledgeで、その疑問に答えるだけの研究を行っているのでしょうか?雑な予後予測モデル研究や関連性の探索研究よりはSR/MAの方が遥かに研究として成熟しているだろう?などの批判もあります(僕は若干論点逸らしだと思いますが)。
ただ、それでもSR/MAなどの二次研究は一次研究があってこそであり、そこから真に新しい何かを生み出すわけではない、という批判に対してはどう対応するのか難しいところかもしれません。統合された結果こそが真に新しい結果、と捉えることになるでしょうか。
臨床研究が基礎研究者に認めてこられなかったのと同様、SR/MAもそうなのかなと思います。海外では専門の研究室がありますし。SR/MA領域の人たちがどう考えているかは分からないので、詳しい人に教えて欲しいところです。
3. 業績稼ぎの研究ばかりやってる人を研究者とは言わない
これは研究者としてのオリジナリティやキャリア視点からの議論と、いわゆる数多く論文を出せる業績稼ぎに対する議論が含まれていると思います。この発言をSR/MAやデータベース研究への非難と捉えるとおかしくなります。
SR/MA・データベース研究はやろうと思えば濫造でき、雑誌に掲載されやすく、また引用もされやすいとメリットが大きいです。しかもIRBもIPD(individual participant data)とかでなければ不要と、取り組みやすい。
臨床研究の流れというのは大まかには
1. Clinical questionを見つける
2. Scoping reviewで現在の立ち位置を確認/Knowledge gapの明瞭化
3. 観察研究(後ろ向き・既存のデータベース)
4. 前向き観察研究やRCT
5. SR/MAでの結果の統合
であり、SR/MAは研究全体のプロセスの最後、あるいは最初にあるものと思います。研究テーマが決まっていてこのサイクルを回している、あるいは手法論を開発・応用するのであれば誰も何も言わないのでしょうが、実際はSR/MAで論文実績を積むのが比較的容易なため、色々なテーマでSR/MAを行って論文を出すことが主目的になっているため色々言われるのでしょう。
でもSR/MAをやってくれる人がいるから僕らの研究が世の中に出てエビデンスとして貢献してるわけですし、文句言うなら自分がSR/MAやるかガイドライン編集委員になればいいわけです。研究費を取ってSR/MAやっている人もいますしね。
臨床をしていて疑問を持ったら自分で調べて(質の高い)SR/MAを行っていくこと自体は賞賛されるべきな一方、研究者としてのストーリーを求める人にとっては物申したくなる気持ちは分からなくもないです。
4. データベース研究はつまらない、銅鉄研究でしかなくオリジナリティがない
SR/MAと同じ問題?を内包するわけですが、一般に医療ビッグデータ=レセプト/DPCなどの保険請求データみたいな思い込みがある気がします。データに罪は無いし、データベース研究=DPCではないです。そもそもあれだけのDPCを集めて整備し、研究利用可能な形にして、人を集める。その苦労は半端じゃないです。
レジストリもビッグデータだし、採血項目をポチポチ入力させるならシステムからまとめて抜いて、必要な項目だけを入力させる方がはるかに効率が良い、ということで当社の紹介です(すみません)。
前に中洲でとある臨床研究指導者と飲んでいたら、「某研究室は毎年同じデータベースを使って何十本も論文を書いているが、あれはどうなんだ?」と切り出され、そこから延々と批判?が始まりました。ただ、その後「ちなみにあのデータベースはどうしてるんだ?」と言い出し、結局は自分達がそうありたかったのかなあと思ったこともあります。また、DPC研究が嫌いと公言していた先生がいつの間にかDPC研究をしていた、なんていうのも目にしてきました。
本来はDB研究が何を指すのか定義しないといけないのですが、自分たちの解決したいクリニカルクエスチョンがそれで解決できるなら何の問題もないです。ヘルスサービスリサーチとかポリシーであれば、むしろ保険請求データでないと研究は難しい部分がありますし。
一方、臨床現場の課題を解決するために保険請求データを用いる際には、確かに生理学的指標に欠ける点が問題となります。でも今は検査値やバイタルサインが取れるデータベース(TX…)も増えてきてます。また、それらの欠点が本当に「統一されたフォーマット」・「圧倒的なサンプルサイズ」のメリットを上回るのか?観察研究においてnが大きいことは最大の強みの一つですし、サンプルサイズに比べて軽視されがちな前者の統一フォーマットも相当強い。これは多施設研究を自分でやったことがある人なら分かるはず。
あと生理学的指標の欠落によるバイアスはどの方向にどう結果をどの程度修飾するのか?までをちゃんと批判した声はあまり聞きません。確かに生理学的指標はないけど、そこまで交絡として重要ではない、あるいは他の変数で結構調整されているし、下手な多施設研究で欠損が多い研究よりも良い検討ができているんじゃないか?と思う例もあります。
少し前は病名のvalidationも不十分でしたが、近年は相当な数のvalidationが行われています。
研究キャリア論に関しては、そもそもその人はそれが面白いと思って研究しているので、他人がどう言おうが関係ない話というのはSR/MA同様です。
ただ、データベース研究してれば分かるんですが、飽きるんです。そのデータに。銅鉄研究(exposureとoutcomeを似たようなものに変えるだけ)が非常にやりやすいので論文が量産できますし、良いデザインと切り口を見つければ数本はトップジャーナルに載ります。僕はずっとそういうビッグデータを解析してきたので、つまらないなと思う時は正直あります。そこから先に進むのが難しいので。まあ、結局は「あなたが本当にやりたい研究はなんですか?」これに尽きるわけです
4. 臨床研究者はRCTをやってこそ
最後にRCTですが、これはなんて言うかもう臨床医の憧れみたいなもんなんですよね、起業したいって言っていつまでもやらない人と、いつの間にか起業していくつも会社持ってる人みたいな。やはりゴールデンスタンダードなわけで、観察研究でもかなり模倣できると言っても、やりたい気持ちは臨床医ならあるでしょう。
データベース研究が総合商社での出世とすればRCTは起業みたいなものでしょうか?(全然違うかもしれない)。となると、男なら起業でしょ、って言う人、会社で出世したい人、自分のペースで個人事業主になりたい人色々いるのと同じで、RCTやってるから偉い・凄い(起業したから偉い・凄い)は個人的にはちょっと辟易します。
最近手伝っていた数億規模の大規模RCTが終わったんですが、まあPIと現場の苦労は凄まじいものです。新たなRCT2件にも参画していますが、PIの行動力が一番と言うのは起業も同じですね。TXPの社長もずっと働いてます。
ある先生が日本ではtrialistを学ぶ道がない、と仰っていましたがこれは賛成な一方、起業家スクールがうまくいかないのと同様、やれる人がやる、やれない人はやれないだけな気もします。そのボーダーにいる人を掬い上げられる仕組みづくりは相当難しそうです。
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