コラム:入院中の思い出(社長という役割が出来ている理由)
経営者とエンジニアの属性をもつ私が、精神分析を独学で学ぶ中で思い出した実体験に関して書いています。
小学校1年から2年生の1.5年くらいの間(1980年頃)、私は急性腎炎で地元の病院に入院していた。そしてこのことは私の性格形成に大きく影響していると感じている。今でも思い出すエピソードを書いていく。
月に1回、たくさんの医師が患者を回って治療方法を確認・検討するようなイベントがあった。
私が入院していたのは6人の相部屋で、保護者は締め出され、患者(子供)だけになる。ベッド脇で担当医が治療方針を説明し、他3-4人くらいの医者が質疑応答したりする。それを相部屋にいる全員に行う。基本的には、患者は「存在」するだけで、その場で何か聞かれるわけではない。触診や喉を見せたりするのはあったと思う。相部屋なので、他の子の検診内容も聞こえるし、聞かれている。私は、小学校1年生だったので内容はあんまり分からなかったけど、印象的だったことがたくさんある。
治療方法がいろいろ試されていたこと:治療方法って確実な方法があると思っていたけど、そんなことはなくむしろ様々なチャレンジは推奨されていた。
すぐに数字や確率論がでる:良くなっています、じゃなくて検査結果の数値で判断する。また治療法の成功率なども患者の前(これはたぶん子供だったからだろう)で話される。
ここで決まった方針は、看護師さんも含めて遵守される。(怖そうな治療や検査もここで決まり、確実に執行される。だからこれは子どもにとっても重要だった)
現在は子供の前で医師同士で治療検討をするようなことは(プライバシー問題から)していないと思うが、昔は医者同士のコミュニケーションコストが優先されていたのだと思う。確かに本人を前にするので効率的で確実だ。話の半分くらいは分かったので、そのことで傷ついたり喜んだりした。
医師が啓示を行いながら、看護師さんがそれを遵守していき、患者と家族はそれに従うという完全なエディプスな環境が、私の治療に注がれているというイメージはここで深く心にインストールされた気がする。
というのは、私はビジネスの現場にいる時に、この病院のエディプス的イメージがふっとよぎるのだ。これには、基本的にはメリットを感じている。大きく感じるのは以下の2点だ。
プロフェッショナルとして仕事を果たそうと心から思える
組織の維持に必要な作業(経理や納税)も素直に行える
(1)に関しては医療従事者の人の働き方を間近で見ていたからだと思う。
最近気が付いたのは(2)だ。途中で会社を諦める人を何人も見てきたけど、そういう社長さんは、儲けを意識しすぎて組織の維持を疎かにしている印象がある。具体的には、納税や社員の労務を軽く見る。いやむしろ避けがちだ。だから破綻が起きる。
私は、そういった作業がなんの苦も無くできる。努力している気持ちもないし、やらなくちゃ、という気負いもない。ここでさっきの病院のイメージがよぎるのだ。
病院というところは、組織で動いている。スーパーなドクターがいても、看護師さんがミスしたらダメだ。この記憶からビジネスは組織で行う事が当然で、その維持も当然という常識が私にはインストールされているようだ。
精神分析を学ぶと、自分を構成している細かな記憶に気が付きやすくなる。
私は自分がなぜ会社の社長が出来ているのか?不思議に思う。なんとなく社長になってここまで来てしまったから。
何か無意識に出来ている事が会社が継続しているコツになっているのだと思い、それをいつも探している。なので、こういう気付きは大変うれしい。