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アセクシュアルとは何か?|透明化され、いないものとされる存在

はじめに
この記事には、性的な感情や性的な行為への言及が含まれます
抵抗のある方はご注意ください

具体的な感情や行為の内容への言及、性的体験に関する内容はありません



2024年

10月20日~10月26日



これは

Ace Week

と呼ばれる週間の日付であり、

アセクシュアルに関わる普及啓発が
活発に行われる週間

だ。


とはいっても、

「アセクシュアルって何?」

という人が大半だろう。

まあ、そう言われても仕方ない。

レズビアン(女性のことが好きな女性)や、ゲイ(男性のことが好きな男性)、バイセクシュアル(男性も女性も好きになる人)、トランスジェンダー(身体性と性自認が一致していない人)などのセクシュアル・マイノリティと比べても、

その認知度は、ものすごく低い。


断言する。

本当に、めちゃくちゃ低い。


マイノリティの中のマイノリティ

なんて言われることもあるくらい、アセクシュアルは、本当に認知度が低い。


では、

なぜ、アセクシュアルの認知度は低いのか?


その理由は、他のセクシュアル・マイノリティに多く共通していることを考えてみるとわかる。


女性が女性を好きになる、レズビアン

男性が男性を好きになる。ゲイ

男女どちらも好きになる、バイセクシュアル

性自認の要素のほうが深く関係するトランスジェンダーはあえて省いています


もうお分かりだろう。

好きになる」。つまり、

誰かを恋愛的に好きになることが前提

になっているのだ。

さらにいえば、現代の日本社会においては、

恋愛的関係=性的関係

といっても過言ではない。
恋愛と性愛を同一に見る価値観があるといっていい。

だから、ある相手に恋愛感情を抱いたとき、

同時に性愛感情を抱くことは、
とても自然なこと

だとされる。


誰でも、いつかは誰かを好きになる

誰かを好きになるということは、
恋愛感情を抱くということ
そして、性愛感情を抱くということ

今の社会で疑われもしないこの言説

これこそが、アセクシュアルが受け入れられにくい原因
それだけではなく、

アセクシュアルが
存在しないものとして

無視されてしまう原因だ。


誤解しないようにいっておくが、恋愛感情と性愛感情を同一視することそのものが間違っているわけではない

なぜなら、それはマジョリティ側からしたら、ごく自然なことだからだ。
マジョリティ側の感覚を否定するつもりはない。

ただ、

恋愛=性愛という等式が、

人類全員に
当てはまるとは限らない

ということは主張しておきたい。


恋愛と性愛は強く結びつくものだと感じる人もいれば、そう感じない人もいる


多くの人にとって、恋愛と性愛は強く結びついたものなのかもしれないが、

アセクシュアルの中には
それらが結びつかないどころか、

性愛感情を抱かない人や
性愛を理解できない人もいる

からである。

そんなわけあるかと思うかもしれないが、大いにある

その受け入れがたいという感情が、アセクシュアルをなきものとして、透明化してしまうのである。

どうしても受け入れがたく思ってしまうのは、アセクシュアルではない人々(セクシュアル)の感覚とアセクシュアルの感覚が違うからだと思う。


誰かを恋愛的にも、性的にも好きになる
(恋愛感情も性愛感情も抱く)

好きになった相手と性行為をしたいと思う

好きになった相手にも
自分と同じ気持ちを抱いてほしい
(性愛感情、性行為をしたいという思いなど)


アセクシュアルではない人たち、
つまり、セクシュアルの人たち

の感覚は、恐らくこんな感じなんじゃないだろうか。

これは、アセクシュアルの持つ感覚とは違う

アセクシュアルの中には、誰かを恋愛的に好きになっても性的に好きにならない人もいれば、仮に恋愛的に好きな相手だとしても、誰との性行為も望まない人誰からも性的に見られたくない人もいる。


簡単にいえば、

誰かを性的に好きになる
セクシュアルの人たちに対して、

誰のことも
性的に好きにならない人たちが

アセクシュアルなのだ。


マジョリティのセクシュアルとは異なる感覚を持つ人たちがアセクシュアル


しかし、一言でアセクシュアルといっても、様々な人がいる

当事者によって、細かいニュアンスが異なることも珍しくない。


性欲、性的嫌悪、性体験の有無
性的接触が可能か否か(可能ならば、どこまで可能か)
性行為が可能か否か(または、するかどうか
性的に惹かれることがまったくないか、ほとんどないか
恋愛的に惹かれるか否か

など


たとえば、これらの要素が当事者によって違っていることは、何もおかしいことではない。

ちなみに、性欲があることや性体験があることは、アセクシュアルではないことの証明にはならない

性欲や性体験の有無は、誰かを性的に好きになるかどうかには、まったく関係がないからだ。

(ただし、性欲、性的欲求、性愛感情、性的に惹かれるなどの定義も、人によって異なることを注意されたし)


当事者間にもグラデーションがある


当事者間の違いを見てもらうとわかるように、アセクシュアルといっても様々なタイプがいる。
そして、それぞれのタイプに名前がついている場合もある

それらは、アセクシュアルのグラデーション(スペクトラム)の一部、要はアセクシュアルの仲間とされている。


アセクシュアルのグラデーションの例


え?これも
アセクシュアルの一種?

アセクシュアルって
誰にも性愛感情を
抱かないんじゃないの?


そう思った人もいるかもしれない。
でも、思い出してほしい。

アセクシュアルは、
セクシュアルではない人たちを
示す名称の1つである

ということも。


マジョリティのセクシュアルとは異なる感覚を持つ人たちがアセクシュアル(再掲)


誰かを恋愛的にも性的にも好きになって、相手との性行為を望み、相手からもそう望まれたいと自然に感じるセクシュアルではない人々、マイノリティ側の人々を指すのがアセクシュアルだ。

だから、ある種、マイノリティであるアセクシュアルは受け皿が大きいともいえる。
マジョリティではなかった人々の多くが含まれるのだから、当たり前といえば当たり前だ。

でも、マジョリティではないこと、マイノリティであることは、断じて異常なことではない
これは、アセクシュアルだけではなく、他のセクシュアル・マイノリティに対してもいえる

マジョリティではない人々

そういう人も存在する
というだけの話である


だからこそ、アセクシュアルに限らず、
相手がどんな人物であっても

存在を否定せず、
抹消もすることなく、

「あなたはそうなんだね」と

自分とは違う存在を肯定する。

存在を否定されるのも、
いないものとして扱われもしないのも、
どちらもつらい
ことだ。

ただその存在を認めること。


それが、

すべての人が生きやすくなる社会に、
一歩でも近づくことだと信じている。




最後に、この記事を書くにあたって参考にした資料やサイトなどについて載せて終わろう。
せっかくなので、他にもアセクシュアルについて参考になりそうなものもつけておく。

興味のある人は、参考にされたし。




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