サッカーに正解を求めない。日本人である強み。
11人対11人でボールを奪い合い、最終的に相手ゴールにボールを多く入れたチームが勝ち。
他のスポーツよりも制約がなく、自由度の高いスポーツ。サッカー。
しかし、自由度が高いからこそ人間の本質的な部分が見え隠れするスポーツ。
日本人の特徴である「右向け右」が通じないこともあるスポーツ。
その状況に合わせて自分で考えて対応する力が求められる。
近年では様々な戦術論が上がっており、どれも理論的には正しいがこういう疑問が上がる。
サッカーに正解ってあるの?
例えばマンチェスターシティというクラブはペップ・グアルディオラ監督によるポゼッションサッカーが理念となっている。
これはある意味チームとして1つの決まり(ここでいう正解)を共有しているともとれる。(実際はそうではない)
では選手たちはフィールドに立ったら、その正解通りに動けば試合に勝てるのか。
そんなわけがない。相手チームがその正解に対する対策を練ってくれば、どこかでその正解が引っかかる。引っ掛かりが生まれるとその正解に疑問が生じる。
ではこの決まりを「正解」ではなく、1つの「手段」と捉えたらどうか。
手段とすれば、それだけに固執する必要がなくなるだろう。
サッカーは自分たちのチームだけでやるわけではない。相手がいてこそのサッカーだ。相手をリスペクトして、相手のやり方を分析して、それに対応した手段を遂行する。
しかし、手段という言葉に逃げて自分たちを捨てるのもよくない。やはりチームとしての哲学は必要である。それはピッチ上だけに限った話ではない。チーム理念、フィロソフィー。そういったチームの指標も間違いなく必要だと思う。
まとめると、サッカーに正解はない。正解がない中で、チームとしてどこに向かっていくのか。どういう考えを持つのか。相手のやり方に対して、どういった手段をとるのか。
こういった所を突き詰めているチームが各国のリーグのテーブルを見ても、上位に来ている気がする。
そしてサッカーに正解はないといったが、ある程度どんなチームにも通じる手段も確率されてきているように感じる。
ビルドアップのポジショニング、プレス陣形。もちろん1つのやり方だけではないが、大まかに分けることができる。
つまり完全な正解ではないが、ある程度決まった動き方もあるということだ。
一昔前はチームより個への重要性が高かったように感じる。このチームといえばこの選手。リオネル・メッシ。クリスティアーノ・ロナウド。
しかし、現代はチーム戦術の中に個が組み込まれている。ある程度制約を設けた中で、自分の良さを発揮する。世界全体でそういった考えに向いている。
そこで我々日本人の特徴。ルールを重んじる。規律を守る。こういう性格は現代のサッカーにおいて、アドバンテージではないか。
昔のような個に重きを置かれたサッカーでは日本人は不利だ。体格的には恵まれておらず、圧倒的な技術があるわけでもない。
しかし、現代のサッカーではどうだ。チーム戦術を守りながら、自分の主張をする。物理的な良さだけではなく、内面的な良さがより求められている。
去年のカタールワールドカップで日本がドイツとスペインを破り、グループ首位突破。これは偶然だったのだろうか。
現代のサッカーの志向と日本人の特徴がマッチしていることの片鱗をあの大会で見れたのではないだろうか。
正解のないスポーツがこれからどんな方向に向かっていくかは分からないが、これからサッカーにおける日本人の需要は高まっていくかもしれない。
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