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『Return to ’78-’85 - 洋館で暮らした私たち - 島尾伸三+潮田登久子+しまおまほ』レビュー

僕は
写真展で
時空を超えた。

としか言いようのない体験をしてきた。

『Return to ’78-’85 - 洋館で暮らした私たち - 島尾伸三+潮田登久子+しまおまほ』

が、世田谷区豪徳寺の旧尾崎テオドラ邸にて6月4日まで開催中である。

写真家・島尾伸三、同じく写真家・潮田登久子、ふたりの娘であり漫画家・エッセイストのしまおまほ一家による、写真と、文章と、数々の思い出の品で構成された展覧会。

旧テオドラ邸公式サイトより。

真南の開いた大きな窓から、眩しいばかりの太陽。
静けさの中に眠る私たちに、月と星の優しい光が降り注ぎます。
窓にカーテンをかけるのがもったいなくて、
カーテンの無い窓の外に広がるのは、
豪徳寺の森、森の上を飛び交う小鳥の群れ。
雪の日も、雨風の暴れる台風の日も、
つましい私たちを見守ってくれていました。

そんな日々の記録を、写真や当時の思い出の物でご覧ください。

旧尾崎テオドラ邸 公式サイトより

潮田さんについては過去に2回テキストに起こしているので、そちらもどうぞ。

『マイハズバンド』や『冷蔵庫』など、潮田さんの作品は神奈川の展示でも、先日のKYOTOGRAPHIE2024でも拝見したが、それらとはまったく別の体験だった。

1978年にまほさんが生まれてから1985年までの約7年間を、家族はこの明治に建てられた洋館で暮らした。

私たちは、写真が撮られた現場で彼らの暮らしぶりを見る。

潮田登久子『マイハズバンド』より。
写真集で見たのと同じ階段。
壁に印画紙がそのまま貼られている。猫が踏んだ足跡もあり、生々しい。

写真の画面の外には、写真の中にあった家がそのままある。歩くたびに、木目の床がミシミシと音を立てる。

ここで僕は、画面の内側と外側を意識せずにはいられない。

その濃度の違いを見るに、家というものは人が生活して初めて生きるのだなと、当たり前のことに思いを馳せる。

それは潮田の「冷蔵庫」シリーズにも言えるが、家族の物語が形成された現場で鑑賞することによって、僕は画面の外にいることを感じながら他者の生活を懐かしむ・・・・という不思議な体験にほくそ笑む。

箱の中にいながら箱の中身を覗き込む、というか。
全然うまく言えてないな。

昆虫の標本を入れるようなガラスケースには、使い古された玩具が。

会場には、まほさんが使い倒した玩具や塗り絵、ボロボロのぬいぐるみ、ランドセル、図工の時間に作った巨大な埴輪、大人とやり取りした手紙、絵日記なども丁寧に展示されている。一見、乱雑に散らかっているように見えて、ものすごく丁寧な配置に優しさを感じる。

さらに、会場にまほさんの音声が記録されたテープがずっと流れていて、家族が確かにそこにいた気配が家全体を包み込む。それはまるで写真展を超えた巨大な“時のインスタレーション“の中にいるようで。映画『インターステラー』の本棚の向こうに広がるブラックホールから子供部屋を覗く主人公を思い出した。

なぜそんな感覚に陥るのか。

やはり目と肌(足下に伝わる床のきしみ)、耳から入ってくるまほさんの幼い声、洋館のにおい、など、味覚以外の五感を刺激しつつ「画面の内と外」を考えてしまうからだろう。生活はもうないが、洋館だけは残っている。ここにある写真は時の結晶だ、と。

帰ってきた写真、ともいえるし、写真は時を繋ぐワームホールのようだ。
写真がイタコのように3人を帰してきてくれたような気もしてくる(お三方ともご健在ですが!)。

写真から教わることはまだある。
この結晶が家族3人それぞれの創作活動から立ち現れていることと、創作活動なんて大げさなものでない、それも含めて生活だったんだということ。

あ、思えば、会場で音声テープがループしているのも、『インターステラー』の冒頭の(展示場と化した)家屋と符合するなぁ。

何度も書いて恐縮だが、写真が撮られた現場で写真を鑑賞することの贅沢さよ。・・・・こんな体験はきっと二度とできない。


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