写真集を読む|『マイハズバンド』
写真家・潮田登久子(うしおだ とくこ)さんの『マイハズバンド』を紹介します。
潮田さんは1940年生まれの今年83歳。荒木経惟や森山大道と同年代の写真家で、夫は写真家の島尾伸三、娘はエッセイスト・漫画家のしまおまほ・・・
というわけで、本作は2007年に出版された島尾伸三の写真集『まほちゃん』と比較せずには語れません。
現代アメリカを代表する写真家、アレック・ソスも昨年のベスト写真集で本作を推薦し、長島有里枝が寄稿文を寄せるなど、国内外の写真家からも注目される本作。撮られたのはしまおまほさんが1歳頃の1979年からの数年間で、6×6判のものと35mmフォーマットのものの2冊から構成されています。どちらもモノクロ。
帯にはこうあります。
40年以上前のある家族のプライベート写真なのに、いわゆるノスタルジックな空気というものはなくて、むしろモノクロなのに白熱灯の暖かなゆらぎや夜の洋館の冷たい佇まいなど、「いま、ここ」で起きているかのような張りつめたリアリティが本から迫ってきます。
それは色がないからなのか、歴史ある洋館という時間の封じられた空間だからなのか、まほちゃんがあまりにもかわいく整った目鼻立ちをしているからなのか。おそらくそのすべての要素でもって、余計な「古さ」を感じさせない。
本書には、写真家・牛腸茂雄も写っています。
有名なセルフポートレートとはまったく違う優しそうな笑みにページをめくる手が止まります。牛腸さんが写っているってことは、そのくらい昔の写真かぁ、と思う不思議さも。
ご自身が写真家で、夫も写真家というのはどんな心境なんでしょう。島尾伸三の『まほちゃん』は娘の愛嬌が余すところなく撮られた作品で、僕個人は決してこの方から影響を受けたことは一度もないはずですが、まあどの写真を見ても「俺が撮ってるみたい!」と思っちゃうほど、視点に親近感が湧いてきて、写真家に失礼ですが、『まほちゃん』はひたすらホッコリするのです。
翻って『マイハズバンド』。やんちゃな娘に振り回されるでもなく、夫を「エモく」撮るでもなく。
この写真集でいちばん多いカットは、じつは誰もいない部屋なんです。
しかし撮っているのは部屋ではなく「孤独」だと思う。
行くあても告げずにいなくなる夫や寝静まった娘の気配がかろうじて残る部屋をただ無心に見つめる、妻でも母でもないひとりの人間の孤独を。
写真家・長島有里枝の寄稿文を引用します。
ここに、この写真集の普遍性を見る思いがします。家族のアルバムじゃない、1979年にある写真家が浸った孤独が現代の僕の夜と繋がる瞬間。
クリストファー・ノーランの映画『インターステラー』で何万光年も離れた宇宙からの交信が子供部屋に届くという描写があるのですが、大げさにいえばそういった時空を超えた交信をしているかのような気分にさせてくれるのです。
この40年前に撮られた写真の束は、引っ越しを機にごろっと出てきたそうです。「あ、これ写真集にできるかな」と思い立って、いつもなら夫の島尾伸三に編集を頼むそうですが、過去にお願いした仕事は1冊に仕上がるまでに20年もかかったそうで、「あまりに近すぎる人間に頼むのは今回はやめよう」と考え、数多くの写真集を手がけるデザイナーの須山悠里さんに束のままぜんぶ渡しちゃったそうです。
なのでこの写真集は深瀬昌久の『鴉』同様、写真家が一切編集せず第三者が組み上げている作品なのです。『まほちゃん』より冷静で、ある意味「読みやすい」のは第三者の手によるものだからなのかもしれません。
そんな潮田登久子さんのインタビューと、須山悠里さんのインタビューを載せておきます。写真集の末尾にある長島有里枝さんの寄稿文も素晴らしい。どれも併せて読むと、さらに鑑賞(読解)が深まりますのでおすすめです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
また折に触れて写真集の紹介をしていきたいと思います。
■潮田登久子さんインタビュー
■須山悠里さんインタビュー(『マイハズバンド』について語った部分)
■『マイハズバンド』
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