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第1章 人類はいつから 戦ってきたのか?

人類とチンパンジーは仲間同士で殺し合う

 戦争と殺人・傷害はどう違うのでしょう?

 暴力で他者を殺傷し、屈服させることでは同じです。

 個人または集団が他者を殺傷し、社会的に罪とされるのが殺人・傷害であるのに対し、戦争は個人ではできません。また社会的に罪とされないどころか、英雄的行為として賞賛されることが多いのが戦争です。合法化された暴力行為ということもできます。ここでは仮に、こう定義しておきましょう。

「ある社会集団が、別の社会集団と武力で闘争すること」

「国家」ではなく「社会集団」というあいまいな表現をしたのは、「国家」が成立するはるか以前から戦争はあったからです。また、一つの国家の内部で社会集団同士が抗争する「内戦」も、戦争に含まれるからです。

 人類(ホモ・サピエンス)のDNAの98%はチンパンジーと同じです。人類の行動の多くは類人猿でも確認されています。それでは、類人猿もまた、人類と同様に集団で殺し合うのでしょうか?
 類人猿(ゴリラ・チンパンジー・ボノボ・オランウータン)のうち、単独行動をとるオランウータンは除外されます。ゴリラやチンパンジー、ボノボは群れを作りますので、彼らの生態を調べてみれば何かわかりそうです。

 動物園にいるチンパンジーはバナナを食べる穏やかな生き物ですが、野生のチンパンジーはかなり凶暴です。普段は果実を食べていますが、ときには集団で小形のオナガザル(アカコロブス)を襲撃し、食べてしまうのです。
 いやいや、他の生物を捕食するのは肉食獣で、チンパンジー同士は殺し合わないはずだ、と思われるかもしれません。
 しかし、タンザニアやウガンダでの観察によれば、チンパンジーは集団で殺し合いをします。原因はえさ場の奪い合いだったり、メスの争奪だったりします。血縁関係にあるオスたちが徒党を組んで、他の集団を襲うのです。人間のように武器こそ使いませんが、ツメでひっかき、歯で嚙みつき、相手の体を引き裂いて殺します(山極寿一『暴力はどこからきたか』NHKブックス)。

 見かけによらずおとなしいゴリラやボノボ(ピグミーチンパンジー)には、このような行動は確認されていません。同種間で殺し合いをするのはチンパンジーと人間だけです。
 余談ですが、チンパンジーは子殺しもします。1頭のオス(ボス)が複数のメスを引き連れて群れを作るのですが、若いオスが外から入ってきて、ボスの座を奪い取ることがあるのです。
 クーデタが成功すると、新たにボスになったオスは授乳中の前のボスの子供を嚙み殺します。もちろん母親は抵抗しますがなすすべもありません。さらに驚くべきことには、子供を殺されたメスは発情し、我が子を殺した若いオスと交尾するのです。このような行動はライオンでも見られます。

 力のある個体が優れた遺伝子を残すというダーウィンの進化論、適者生存の原理に従えば、合理的な行動であるともいえます。人間社会で犯罪や病理とされるいくつかの行動は、実は進化の過程にさかのぼる原初的な衝動に基づいている可能性があるのです。


石器時代の戦争

 最新の古人類学の成果によれば、最古の石器は約330万年前に東アフリカのケニアで作られました。近辺から石器で傷つけられた動物の骨が出土していることから、狩猟または調理に使われた道具であると推測できます(『ナショナルジオグラフィック』2015.05.22)。

 人類同士の殺し合いに石器が使われた確実な証拠が見つかったのは、スーダンの砂漠で発見された1万5000年前のジェベル・サハバ117遺跡です。ここで発見された59体の遺骨のうち、23体は大量の細石器(矢じりや槍の刃として使われた小型石器)とともに出土し、骨まで貫通しているものもありました(『WIRED』https://wired.jp/2016/01/22/10000-year-old-mass-killing/ 2016.01.22)。


 ケニアのトゥルカナ湖畔のナタルク遺跡では、約1万年前に石器で殺された大人21人、子供6人の遺骨が発見されました。犠牲者の多くは鈍器で頭を殴られており、手足を縛られた妊婦も含まれていました。
 いまだ農業も知らず、狩猟採集生活を送っていた人類の戦争の記録です。
戦争が始まったのは農耕による余剰農産物が生まれてからで、狩猟採集の時代は平和だった、というこれまでの常識は覆されました。

 フランス革命に大きな影響を与えた思想家ジャン・ジャック・ルソーは、文明以前の自然状態における人類が、善良で無垢の精神を持ち、争いのない生活をしていたのであり、私有財産の発生があらゆる罪悪を生んだのだと想像しました(ルソー『人間不平等起源論』光文社古典新訳文庫)。この思想を受け継いだマルクスとエンゲルスは、原始共産主義という理想郷を想定しました。


 富が蓄積される農耕社会が始まってから戦争が大規模化したことは事実ですが、「狩猟採集時代が平和だった」というのは近代人の妄想です。
 パプアニューギニアで民族学的調査を行ってきた高橋龍三郎氏によれば、個人間のいさかいが部族間抗争に発展するのはよくあることだそうです。
「例えば『息子が見下された』『女房に色目を使った』といったごくたわいないもめごとも、最終的に相手を壊滅させる部族間の戦争にまで発展しかねないのです。……第二次世界大戦前まで弓矢と槍を使った攻撃で4~5人の死者が出るのは日常的なことで、それに対するリベンジも日常のことでした」(「新鐘」No.82早稲田大学)


 古代ギリシアの大叙事詩、ホメロスの『イーリアス』に描かれたトロイア戦争も、妃ヘレネをトロイア王子に寝取られた王の私怨に端を発しています。英雄アキレウスが出陣するのも、自分の身代わりになった友人の仇討ちをするという個人的動機のためであり、「戦争の大義」のようなものは見当たりません。
『日本書紀』の神武東征神話では、九州にいた神武が古老から「東に美し国あり」と聞いてヤマト(大和)に攻め込みます。ヤマトには長髄彦という首長が率いる先住民がいたのですが、「すばらしい国だから、いただこう」という単純な理由で神武は攻め込むのです。


 縄文時代の人骨からは攻撃を受けた痕跡が20例ほど見つかっています。これは戦争というより私闘、あるいは殺人というべきものでしょう。
 興味深いのは使用された武器です。縄文時代には60%が矢じり、26%が石斧であるのに対し、弥生時代には刀剣が54%、矢じりが44%という統計が出ています(内野那奈「受傷人骨からみた縄文の争い」立命館大学)。これは弥生時代に鉄器の刀剣が普及したことの反映でしょう。


 国家と呼べるものはまだなかった時代にも、部族間戦争は日常的に行われていました。同時に、これを防ぐ努力も続けられてきました。フランスの人類学者マルセル・モースは『贈与論』で、「贈与と交換」の慣習が、社会集団間の緊張を緩和し、戦争を抑止していることを鋭く見抜きました。弱者が強者に「貢ぐ」ことで、安全を保証してもらうという習慣は、人類に広く見られます。中華帝国が周辺諸国に強いてきた「朝貢」がいい例です。戦争は常にありましたが、一定の抑止装置が働いていた、ということができるでしょう。


 このような歯止めが利かなくなったとき、戦争は大規模化して大量虐殺が生まれます。
 個人の私怨や仇討ちの延長だった小さな戦争が、社会集団の大義や宗教を掲げてぶつかり合う大規模な戦争になるのは、文字の発明によって抽象的な思考が可能になり、戦争を正当化する宗教やイデオロギーが出現してからです。多くの文献が残されている古代中国と古代ギリシアの例を見てみましょう。


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