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タコライスの発祥の街 金武町

私の育った場所、タコライス発祥の街で有名な金武町新開地。
米海兵隊基地『キャンプハンセン』の第1ゲート前に広がる社交街。

ここにあった『パーラー千里』のオーナー儀保松三さんの考案で1983年か84年ころに誕生した。

幼いころ、幼稚園児ころだったと思うが、父親に初めて連れられて千里にタコライスを買いに行ったのを覚えてる。

その時に、父親が千里のカウンターでおじちゃんとおばちゃんと話している内容
その先でもう一つ店をオープンさせる話をしていた。

そう、言わずと知れた『キングタコス』の話だ。

私にとっては見慣れた風景だがが、一昔前の金武町新開地は凄かった。。

【回想】(1985年~1990年ころ)
幼少期の遊びと言えば、
実家の隣にあったフィリピンバーを覗き見してバレて追いかけられたり、米兵に回し蹴りして走って逃げたり、
ジッポライターオイルで火遊び、特に楽しかったのはロケット花火と爆竹を使った戦争ごっこ。。

小学生4年生になるとタバコを買っては自宅屋上で隠れて吸ったり、眉も剃ってみたり。自転車盗んで改造したり、万引きなんて当たり前。
「悪餓鬼」を通り越して、まさに「クソ餓鬼」。

両親はベトナム戦争時代(1963年~)から祖父母が経営していたAサインバー「CHINA NIGHT」「ROCK AMERICA」「EAST COAST」を引き継ぎ経営。

決して裕福な家庭ではなく、両親はバーを開けるため夜はいつも不在。

夜は兄貴と2人でお留守番。
妹2人はまだ小さかったので、コザのおばあちゃんの家に預けられていた。

自宅1階の「ROCK AMERICA」から大音量で流れてくるロックミュージックは心地良い子守唄。

夜ひもじい思いをしては、不在の親の部屋に忍び込み、お金を盗んで夜な夜なタコライスを買いに外出。

通りは酒に酔った海兵隊員で溢れ、近くでビール瓶が割れる音が聞こえる。それも1回2回どころではない(笑)
…割りすぎでしょ😆
兵隊どうしの殴り合いの喧嘩なんて(笑)
もはや風景(笑)

幼少期はまさに劣悪な環境でした。

よくグレずに大人になったもんです(笑)


【兄貴と通い詰めたパーラー】

『ピノキオ』
タコライスチーズ(しっとりミート)
タコスはソフトシェル

『パーラー千里』
タコチキンライスチーズ
チキンバラバラ

『ニューフィーリー』
チキンテリヤキライス

『ガリバー』
ビーフインチラーダ

『トミー』
黄色いカレー

『イタリアキッチン』
ミートボール

『ホワイトキッチン』
チキンテリヤキライス
タコライスチーズ

『ミッキー』
チキン照り焼き

『キングタコス』※金武の人は「キンタコ」とは呼ばず「キング」と呼んでいた
タコライスチーズ野菜

『みかど』
野菜炒め

『ウインピー』
フライライス
焼き飯
焼きそば
※フライライスと焼き飯の違いは?(笑)

『ポパイ』
タコライスチーズ

(パーラーの順については、キャンプハンセンを背にして左手から順番に並べてます(笑)金武の人には分かるはず(笑)その当時はまだ『ゲートワン』と『リトルキッチン』はオープンしてない)

本当に各店のオーナーさんたちに可愛がられ、
いつもサービスでジュースやコーンドック貰ったり、大人達の優しさに触れていた。

米兵さんたちからもヤキトリ奢ってもらったなぁ。
よく抱き上げて貰っていた。



ありがとうございました。ごちそうさまでした。

私がグレなかった理由は、
日本人米兵問わず『大人の優しさに触れていたから』だと思う。

グレるどころか、今や沖縄の子どもの貧困問題を本気で解決したいと考えている。

タコライスラバーズはその活動目的を

『子ども達にひもじい思いをさせない』
『子ども達に笑顔を届ける』

としている。

私の持論
『諸悪の根元は貧困にある』
『優しさに触れた子供は感謝を覚える』

私がそうだったように。

人に優しく❗感謝を忘れず❗タコライスラバーズ‼️
(タコライスラバーズの理念)

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