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バックパックを新調した話し~赤色と灰色と記憶のかたまり~

ついこのあいだ長年使っていた愛用のバックパックに引導を渡したのだけれど、なかなか吹っ切れなくて困っている。吹っ切れないというのは愛着があって未練がましく捨てられないままでいる状態なのだ。


長年愛用してきたバックパック、今はもうこの形は絶版になっていると思うんだけど、salomon(サロモン)というメーカーから出ていたagile17(アジャイル17)というモデルだ(agileシリーズ自体は続いている)。

salomon agile17(赤色)

ネットの購入履歴を調べたら2013年の8月に購入していたので、かれこれ11年間使用していたことになる。当時、1万円弱で購入しているので驚嘆するコスパの良さだ。


salomonを選んだ理由はスノーボードのギア周りをsalomonで揃えて使っていたからという単純な理由。

agileというモデルは宿泊には向かないけれど日帰りなら充分なサイズ(17L)、目立つ赤色にsalomonの格好いいロゴ、後付でハイドレーションパックをインストール可能で長距離の散歩や登山、トレラン(トレイルランニング)にも持っていける。

泊まりを考えなければこれで必要十分だ。


こんなにも長期間(11年間)使ってきたので一番荷重のかかる底面やウエストベルト部分のメッシュ生地はさすがにボロボロで穴も空いているし、洗濯を繰り返してsalomonのロゴもとうの昔に消え失せている。

見た目はボロボロだけど気心の知れた相棒だ

各部ジッパーの機構は壊れていないものの塩で固着して何度熱湯に沈めたか分からないし、ジッパーを引っ張る紐は2箇所ぐらい朽ち果ててどこかにいってしまった。

極めつけは左右の肩紐間を繋げるチェストストラップが自然分解し始めたことだ。

分解が止まらないので途中で縛った状態のチェストストラップ

長年使うとストラップってこんな風に崩壊していくのか・・・。

これだけ各所ボロボロになっているし、結構乱暴に使ってきた自負はあるのにひときわ異彩を放っているのが縫製の丈夫さだ。

多少緩んできている部分はあるものの明らかなほつれや破けといった部分が一箇所も無いのだ。改めてまじまじと各部を見ていてこれには本当に驚いた。

何事もなかったかのように今も整然と並ぶ縫い目の美しさを眺めていて、新しいバックパックをネットで注文した後だったのに後ろ髪を引かれた。


11年間も使ってきたからもちろん思い出が沢山ある。それはこの相棒(agile17)と一緒に作ってきた歴史といってもいいのかもしれない。

主に長距離の散歩や山登り、自転車のロングライドによく使っていたこのバックパックだが、特にここ5年ぐらいは5月になると南の島のジャングル地帯を毎日のように駆け巡ったのが特に思い出深く愛着も増した期間だった。

GPSを持たずにジャングルに入って遭難しかけた日もこいつを背負っていたし、真夜中に背中から1mぐらい下の側溝に落ちたとき重傷を負わずにすんだのも(めちゃくちゃ痛かったしその後のリハビリも辛かったけど)この相棒を背負っていたからだと思っている。ムカデに噛まれたときやハチに刺されたときもこいつと一緒だった。

他にも何時間も藪漕ぎをしたり洞窟の中を這いつくばって移動したり崖をよじ登ったりと、まさに一心同体としていろんな場所についてきてくれた心強い相棒だった。

その道を極めた達人やプロスポーツ選手が愛用の道具を身体の一部のように感じるというが、僕にとって11年間使い込んできたこのバックパックはまさにそれだったのかもしれない。

それに、これだけ長い時間を一緒に過ごしてきたのだから記憶の一部や想い、感情が染み付いているといってもいいだろう。それはもしかしたら”モノに魂が宿る”と表現できるのかもしれない。

赤色のそれは僕にとってそれぐらい”何か”を感じさせる存在感を今もなお放ち続けている。


ネットで注文しておいた新しいバックパックが1週間ほどで自宅に届いた。

梱包を開けると真新しいケミカルな香りとともに見たことのない子が灰色の顔を覗かせた。この瞬間にこのバックパックは僕に使われるという未来が運命づけられた。

新調したバックパックどこかまだ余所余所しい

今日からこの灰色の子を背中に背負って歩くのか…と、試しに背負ってみるとなんだか他所の子を背負っているみたいで背中がもぞもぞと落ち着かなかった。

さっそく数日間散歩やサイクリングに連れ回して少しずつ新しい相棒が生活に溶け込んでいくのを感じている。

つい先日も100km程サイクリングを楽しんで帰宅し、部屋で背中から灰色のバックパックを下ろして荷物の整理をしていると赤いかつての相棒が視界の隅に入っていることに気がついた。

少し申し訳無さそうに部屋の端っこに置かれたかつての相棒はやっぱりどこか寂しそうで所在なさ気な雰囲気を漂わせながらじっと恨めしそうにこちらを見ているようだった。自己の存在を示すそれを視界の隅で捉えながらも、僕はまるで気づいていないかのように真新しい相棒の世話をし続けた。

それから1ヶ月程たったのだけれど、やはり自分自身の記憶のかたまりを手放すような気がしてしまって僕はまだかつての相棒を処分できずに今も変わらず部屋の端っこに置き場所を作ったままでいる。

ミニマリストほどじゃないけれど元々身の回りの持ち物が結構少ないし、着なくなった洋服や要らなくなった小物・日用品なんかはほとんど迷わずに躊躇なく断捨離できる性格なんだけど、やけに自己主張してくる赤色のあいつにまさかこんなに後ろ髪を引かれるだなんて。

新旧の灰色と赤色を交互に眺めながら、これからしばらくはローテーションして使っていくという妥協案をさっき彼らに提示したところだ。


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