すかし1

第4話 あやかしの刀

 相模屋のダンナの羽振りの良さは、江戸の太鼓持ちたちのあいだで瞬く間に噂に上った。
 若いがもとはお城の若様。遊女や芸者を揚げるときの遊び方にも品があり、金払いの良さは一流だったから、女たちにも太鼓持ちにもよくモテた。

 そんな若様に一人の老人が、「こんな刀は要らないか」と、持ちかけてきた。帯刀を許されない商人には売れないが、若様なら実家の江戸屋敷に置くことができるだろうと、老人は言う。
 若様は、一目見てこの刀を気に入った。
 ほどよく鍛え上げられた、透き通るように磨き抜かれた刀身。鞘や柄は、いったいどこの名匠の手によるものか。
「いかほどだ」
 若様は刀の値段を聞いたが、老人は首を振る。
「実は、私の友人が鍛えたものなのですが、その友人が亡くなってしまいました。管理しようにも我が家には置くところがありませんし、この年ではどうせあと数年しか持っておられぬ。お代は戴きませんから、どうぞ若様のご実家で保管してくださいませ」
 だが、若様はこの太刀が気に入った。
 太刀の素性を探らせようと、帰りに実家に立ち寄ったのだが、実家の江戸屋敷でも、太刀の美しさに魅了された者は多かった。この太刀は相模屋に持ち帰らず、殿様に献上した方が良いと家臣たちが若様を説き伏せたが、若様はがんとして首を縦に振らない。
「町人に帯刀が許されているのはごくほんのわずかのお大尽のみ。それに若様は刀を抜いたことも、帯刀して歩いたこともございますまい。若様にはお取り扱いが難しゅうございます。江戸屋敷でお預かりいたします故、毎日でもご覧になりに参られませ」
 江戸家老がそこまで言ったが、それでも若様は渋り続ける。
 最後にはついに長兄の殿様まで現れて、「真剣など家に置いては相模屋の女将に迷惑がかかる」と説き伏せたので、若様は仕方なく、太刀を実家において帰ってきた。

 だが、帰ってから激しく後悔した。寝ても覚めても、太刀のことが思い浮かぶ。
 家老に言われたとおり、毎日江戸屋敷に通ったが、太刀を管理しているという家老がいないと見せてもくれない。
 それで、若様はまた、わがままを言った。今度は殿様の方も折れ、ついにお信乃を呼び出して、太刀の管理を申しつけた。お信乃にとっては迷惑だったが、殿様に命じられては仕方がない。刀にしっかり封をして、床の間に飾っておくことにした。

 念願叶って我が家に太刀を迎え入れた若様は、それからずっと、家に居る。
 あれほど遊び歩いていたというのに、日がな一日、太刀の前でゴロゴロと寝転がり、本を読み、たまに起き上がったと思ったら舞を舞ったり、歌を詠んだり、茶を点てたり。
「じいちゃんに似てらあ」
 鶴松が「死んだ祖父の晩年の行動に似ている」と笑うと、藤吉郎も「そういえば」と笑った。

――だが――
藤吉郎は鶴松とは少し違う思いで、この若い父親の行動を見ていた。

 江戸の町に、「辻斬り」がでた……と言う噂が流れたのは、相模屋に太刀が来てから一ヶ月後のことだった。

 藤吉郎と鶴松が寺子屋で刀傷を負ったゴロツキが神田川を流れていた……という噂を聞いてきたのは、お信乃と若様のあいだに義太郎が生まれてから少し経ったころのことだった。

 神田川にはよく遊びに行くから、寺子屋の仲間と二人、藤吉郎は震え上がったが、お奉行所の見立てではゴロツキ同士のケンカの末の殺傷事件……と言うことのようだったし、事件があったのは真夜中のこと。昼間しか遊び歩かない藤吉郎や鶴松には、それほど大事件だという実感はわかなかった。

 二度目に話を聞いたのは、それから2ヶ月も経たない頃。今度は、路地裏に刀傷を負った男がうち捨てられていたという。今度もやっぱりゴロツキで、奉行所もそいつを追っていたと言うほどの悪党だったから、「もしやこれは、正義の味方が悪党を懲らしめているのでは」と、思った。

 三度目は、二度目の事件から1ヶ月もあかない頃。ついに、大通りで刀傷を負った男の死体が発見された。こいつも、やはり奉行所が追っていた男だったから、これで町の人間は皆、「正義の使者が奉行所も追い切れていない悪党を懲らしめるために立ち上がった」と噂した。

 斬った方は謎の人でも、斬られた方は江戸では悪名だかい悪党。そんな噂を聞きつけたどこかの講釈師が「月夜の使者」などという名前を付けて面白おかしく語るものだから、「月夜の使者」は江戸の町でずいぶん、有名な正義の味方になってしまった。
 寺子屋で「月夜の使者」の話ばかり聞くので、藤吉郎も鶴松も、「月夜の使者」は正義の味方だと信じて疑わなかった。
 一枚一文の姿絵を買い込んだり、「月夜の使者」の歌を歌ったり。寺子屋で使わなくなった半紙をたくさんもらってきて棒を作り、庭で剣術のまねごとをして夕餉の時間まで一生懸命遊んだ。
 お信乃は「そんな物騒な人のマネなどするな」と二人を叱りつけたのだが、若様が「まあまあ」とお信乃をなだめる。
「男の子が力の強いものに憧れるのは仕方ないこと。よその子に暴力を振るっちゃいけませんが、兄弟の中で遊ぶくらい、いいじゃないですか」
 若様がそういうので、お信乃も子どもたちを叱ることをしなくなったのだが、そんな中で、また、月夜の使者が現れた。

 ところが、今度は、被害者は生きていた。
「……よ、夜の町を歩いていたら……突然、襲われたんだ」
 息絶え絶えになりながら、切りつけられたゴロツキの矢七が言う。矢七は確かにゴロツキだが、奉行所にお世話になるような、重い罪を犯したことはない。
「それでは『月夜の使者』ではなく、違う辻斬りが出たのではないか?」
 誰かがそんなことを言ったものだから、江戸の町では悪者を襲う「月夜の使者」と、「月夜の使者」の模倣犯、辻斬りは二人居るという噂で持ちきりになった。

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