第9話 お沙汰
翌日。
あたしは、目の覚めるような、可愛らしい桃色の小袖に袖を通す。
「あ、え? あ……」
あまりにも可愛らしい色合いに、あたしは恥ずかしくて、それを着せてくれようとするりさを拒絶する。
「今日は、いつもの派手な振袖は、ちょっとね……可愛く、しようね」
りさがそう言って、禿《かむろ》や鑓手《やりて》の姐さん達よりはるかに上手に、あたしに着物を着付けてくれた。
髪の毛も、町娘のような小袖に似合う丸髷に結い直し、着物に似合ったかんざしまで揃えてくれる。
「りさお嬢さん、準備はよろしいんで?」
昨日のおにぎり頭のハチさんが、あたしを迎えに来た。
ハチさんに案内されて詮議の場につくと、知った顔が何人も並べられていた。
いつも、ぬしさまと一緒に居て、ぬしさまの名前で酒や飯をツケていくゴウや、バクも居る。
あの向こう側の白い顔のは、先月うちの大部屋姐さんと好いた惚れたと騒いでいたヤツだし、あの大きいのは無銭飲食を繰り返し、親父様がその支払いをチャラにしてやったヤツだ。
「そなたら、巷を騒がせたる大泥棒、赤鼠の一味に相違ないな」
涼やかな、若い男の声がする。
「いいえ。赤鼠は、某(それがし)一人にて」
頭を蓙にすりつけたままのぬしさまが、ハッキリとその言葉を遮った。
「そうだ!! 俺は、赤鼠なんかじゃねえ!!」
「俺もだ!! なんかの間違いですぜ、お奉行様!!」
ゴウを始め、後ろに居た連中が、口々に赤鼠ではないと騒ぎたてる。
「うるせえ、てめえら!! 静かにしろい! ゴウ、テメエ、俺のこの顔、見忘れたか!!」
お奉行様らしいその人は叫ぶけど、ここからじゃ、その顔は見えない。
だけど、赤鼠たちは心底驚いた顔で、お奉行様らしい人を見上げている。なかでも、ぬしさまが一番驚き、目を見開いて首を小さく振り続ける。
「ダンナ方は、どうかなさいんしたか?」
ハチさんに聞くと、「ご自分でご覧になるのが一番手っ取り早い」と、あたしはお白州に押し出された。
あたしの姿を見ると、ぬしさまが一瞬驚き、それからそっと微笑みかける。そこら辺の町娘みたいな姿をしたあたしは、なんだか自分が恥ずかしく……ぬしさまから目をそらした。
「これなるは、一昨日から捜索願の出ている遊女の、さち香。相違ないな」
あたしはハチさんに促されるままに蓙の上に座る。
そして……お奉行様の顔を見つめ……。
お奉行様の顔を……。
「りさ!」
あたしは、思わずお奉行様にそう呼びかけた。
目の覚めるような空色の裃を着付けた若侍……。青々と月代をそり上げたりさが、「よお、さち香」とあたしに手を挙げた。
「相違ある!! こんな女、知らねえ!」
だけど、そのあたしの言葉をかき消すように、ゴウが叫んだ。後ろの男達も、桃源楼で何度もあってるのに……あたしのことなんて知らないと、口々に騒ぎ出す。
「さち香は吉原桃源楼の、野菊付きの振袖新造。拐かしたのは、かが水《み》という遣手《やりて》です」
ぬしさまの言葉に、お奉行様の姿をしたりさは、じろりとぬしさまを睨み付ける。
「テツジ。この女に渡していた物はないか」
「渡していたもの?」
ぬしさまが首をかしげると、りさは着物の懐から二包の薬包を取り出す。
白いのは……しらない。赤いのは……あたしが、姐さんに渡していたものだ。
「神田の……薬屋の越後屋佐平から、妾のひな美へ……。母に内緒で遊郭上がりの女を囲っていたが、母にも妻にもバレてしまい、会うこともままならず、病を得たのは知っているが、薬を届けてやることも出来ない……そう申すので、某《それがし》はその妾の妹分だという吉原桃源楼のさち香に通い、この薬を届けておりました」
ぬしさまがそう言うので、あたしも「間違いござんせん」と、頷く。
「なるほど、左様か……では、越後屋佐平を、これへ」
りさが左の方に視線をくれると、あたしが来たのとは反対側から、中肉中背の、四十がらみの男が現れた。
「佐平」
あたしは思わず、その男の名前を呟く。
佐平は一瞬、あたしに視線をくれて、それからあからさまに目をそらした。檀上に座るりさには、丁寧に頭を下げる。
「お初にお目にかかります。手前、神田の薬問屋、越後屋の主の名代《みょうだい》を務めております、佐平と申します」
「越後屋さん、お久しゅう。面をお上げなさい」
りさが、幾分落ち着いた丁寧な口調で、佐平に声をかけた。佐平はのっそりと顔を上げ、檀上に座るりさを見つめる。
「これは……これは……」
檀上のお奉行様の顔に、驚いているのかもしれない。だけど、佐平はいつも、表情をあまり変えない。
「大黒屋のお嬢様が、なぜこのようなところに? 男装のご趣味がおありで?」
佐平の言う、「大黒屋」という屋号に、ぬしさま以外の赤鼠が全員驚いた。
ざわざわと騒ぐ赤鼠たちを、お奉行様の姿をしたりさが、手に持った扇子を床にうち、黙らせる。
「黙れ」
りさはけっして、大きな身体じゃない。だけど、その声と眼力には、屈強な男達に有無を言わせない、圧倒的な迫力があった。
赤鼠たちは一瞬でしずかになり、檀上のりさを見あげる。
お奉行様の姿をしたりさは咳払いをひとつ。そして、佐平の方を見つめた。
「佐平。テツジには病の妹がいる。その薬を調合していたのは、お前だな」
「左様でございます」
……あたしは……りさの言葉に、引っかかった。
「妹?」
その言葉を、ハチさんが聞き咎める。
「どうしやしたか?」
「テツジの旦那には、病気の娘御がいるはずでありんす」
「ああ。テツジの旦那が育ててらっしゃるのは妹御でやんすよ。十二も年が離れてて、親子にしか見えませんでね。娘だと言えば、結婚しろとうるさいおなごたちが逃げるってんで、外では娘だと言いふらしておいでなんです」
驚くあたしに、ハチさんはもう少し、言葉を続けた。
「永らく、咳の病気を患っておいででしたが、りさお嬢様が小石川の療養所をご紹介されましてね。そちらにお住みになることになったんでさぁ」
だから、赤鼠を続ける必要がなくなったのだと、ハチさんは締めくくった。
「この赤い包み。テツジからこのさち香に渡って、お前の妾に届けられる予定だったものだが……この包みに見覚えは?」
佐平への尋問は、続いている。
お奉行様の尋問をのらりくらりと交わす佐平に、あたしはイライラしていた。
包の中身がアヘンだとか、赤鼠だとか、赤鼠に佐平が渡した間取り図がどうとか……お宝をうっぱらっちまったとか……お奉行様姿のりさが色々話していたけど、あたしにとってはそんなこと、どうでも良かった。
あたしの耳には、ただ、佐平の言葉だけがはいってくる。
「かが水《み》など、存じませんな。手前が囲っているのは、ひな美という妾で……恋文もひな美から……」
「はあ!? なにが囲ってるよ!」
あたしは、佐平の言葉を受けて、思わず佐平を指さしながら立ち上がる。
「姐さんが病になってから、ちっとも姿見せないで。姐さん、アンタを待ち焦がれて、去年、死んじまったさ!! そんな事も知らなかったんでしょ? 死んだ人が、どうやって恋文を書くって言うのよ」
あたしは思わず、立ち上がって佐平に向かって怒鳴りつけた。佐平は、驚いたようにあたしを見つめる。あたしは興奮したまま、檀上のりさの方に向き直った。
「お奉行様! 左様でありんす。あちき、ぬしさまからお預かりした赤いお薬、間違いなく、遣手のかが水《み》姐さんにお渡ししておりんした。姐さんに届けているつもりのぬしさまには申し訳ないとおもいんしたが、たったそれだけで毎月一両……。ですが、かが水《み》姐さんがこの薬を吸うてらっしゃるのを見て……尋常ならざる薬と思いました。それでその薬を持ってお奉行所に向かう途中に、かが水《み》姐さんに見つかって……」
「拐(かどわ)かされた。ということだな」
お奉行様の姿をしたりさの、男らしい重々しい声の問いかけに、あたしは頷く。
「で、あるか」
りさは納得したように頷いて、一冊の帳簿を開いた。
「ここに、花魁道中を記した帳簿がある。奉行所に控えてある赤鼠が出た日と、とある花魁が座敷に呼ばれる日が、驚くほど一致している」
おそらく、昨日、りさが言っていた赤鼠の痕跡というのが、あの帳簿なんだろう。「店の主人が留守で、屋敷の警備が手薄になる日を狙ったのだろう」と、帳簿を読みながら、りさは付け加え、佐平をにらみ付けた。
「花魁の名は、野菊」
男の低い声で、りさは野菊姐さんの名前を読んだ。
「そして、赤鼠が押し入ったすべての日。野菊のお座敷を差配していたのは……かが水《み》だ」
佐平が、今まで薄気味悪く微笑んでいた口元を、醜く歪める。
「お前さん、これでもまだしらばっくれるってのかい?」
「知らぬ。私は、アヘンのことも、赤鼠のことも、存じませぬ! わたしはひな美への薬をテツジの旦那に頼んだんだ、そのかが水とかいう女が、ネコババしたんだ!」
「ほう?」
りさが、佐平を睨みながら不敵に口角を挙げる。
りさの隣に居た大きなおじさんが命じると、黒装束の役人達がたくさんのお宝を持ってやって来た。
「テツジがお前からの指示を受けて、財宝を隠していた場所を白状した。赤鼠に盗まれたものとほぼ一致したぞ」
りさのことばに、佐平がおもわず舌打ちをして、ぬしさまを睨み付ける。
「……この……恩知らずが……!」
佐平の言葉に、ぬしさまは一瞬うなだれ、あたしは佐平をにらみ返した。
「赤鼠およびアヘンの件、下手人を変えて、別途詮議を致す。越後屋佐平をひったてい」
りさがそう命じると、お宝を持ってきた役人達が佐平をどこかに連れて行ってしまった。
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