第11話 花魁道中
弥生三月。華の宴。
あたしの花魁初道中が、ついに決まった。親父様もお袋様も、上や下への大騒ぎであたしの花魁道中の準備をしている。
ぬしさま……カオナシの噂は、吉原ではもう聞かない。
野菊姐さんも、カオナシには会っていないと言うし、吉原ではもうすでに、覆面のテツジのことなど、都市伝説程度の扱いでしかなかった。
失恋の痛手はないかと、野菊姐さんはあたしを心配してくれる。
「お前という恋仲がありながら、大黒屋のお嬢さんに流れるなんて……遊女より、大金持ちのお嬢さんを選んぶなんて、テツジのダンナをみそこないんした!」
野菊姐さんは、あたし以上にカオナシを見限ったと言って怒っている。
だけど、そもそもこの恋は「花魁になるまで」という期限付きの恋だった。花魁になるとハッキリ決まった今、あたしはその修行に忙しく、カオナシのことを思い出すことは、少なくなっていた。
「ひな美姐さんにも、千代菊姐さんにも、お見せしとうございんした」
あたしの花魁衣装の着付けを手伝ってくれながら、野菊姐さんは、小さく溜息を吐く。
「お前は、ほんに気の強い子でありんすから、旦那様方にご心労、おかけしませんように」
野菊姐さんは……口うるさい。小姑みたいだ。
だけどそれは、あたしが思っていたのと違っていた。
あたしが嫌いで怒っていたわけじゃなくて、ただひたすらに真面目なだけだった。
カオナシと少し離れた今……姐さんを見ていると、カオナシと姐さんは良く似ているのがわかる。千代菊姐さんみたいに、器用じゃない。ひな美姐さんみたいに、鷹揚で、懐が深いわけじゃない。ただ、ひたすら真面目に、不器用なくらい真面目に、花魁という仕事に取り組んでいる、要領の悪い人。
だからカオナシは、野菊姐さんに女としてではなくて、人間としての信頼を置いていた。
今のあたしには、それがよく分かる。
「きよ菊」
野菊姐さんは、あたしにそう、呼びかけた。そして、そっとあたしの手を握る。
「お前は、今日からきよ菊花魁」
「きよ菊……」
お前が大好きな千代菊姐さんに似た名前を付けてみたと、野菊姐さんは笑った。
「よう、おきばり」
姐さんが、あたしの背中をバチンと叩いた。
きよ菊と書かれた提灯を、禿が提げる。
太鼓に笛に、いろんな楽器が道中を奏でる。
「行こうか」
まつりが、高下駄を履くあたしに手を伸ばした。
「……頭、もう、大丈夫?」
あたしがまつりに微笑みかけると、まつりは後ろ頭をポンポンと叩いて、眉間に皺を寄せる。
「アレがテツジの旦那だとわかりゃあ、もうちょっと本気でやれば良かった」
まつりはそう言って、あたしが立つのを手伝ってくれる。
そして、あたしはまつりの肩に手を乗せた。
花魁道中に、たくさんの人が集まってくる。
その人集りのなかに……あたしは、人より頭ひとつ分どころか二つ分突き抜けた、大きな大きな男を見つけた。立派な同心の着物を着付けた、若侍。
……なんだ。ゴロツキのくせにイヤに真面目な男だと思ってたら……お武家様だったんだ。
可愛らしい小袖を着付けた女の子を隣に連れた男のその顔は……かわいそうなくらいに、たくさんの生々しい傷があった。女の子が、心配げに若侍に寄り添う。
「よ! きよ菊!」
それでも、若侍は元気にあたしの名前を呼びかけた。それに呼応するように、道中の見物人達があたしの名前を口々に呼びかける。
「まつり、待ちゃ」
あたしがまつりを呼び止めると、道中がぴたりと止まった。
――ぬしさま
唇の動きだけで、あたしはその若侍を呼ぶ。
彼も、それに気づいたようだった。若侍と、あたしと……そして、まつりの視線が、あう。
あたしは、ついと重たい着物の袖を持ち上げると、袖から指先を出す。それからそっとその手を持ち上げて、ゆっくり、ゆっくりと、人差し指に口づけした。
……彼が小さく頷くと、あたしは彼から視線を外して、空を見上げる。
「行きゃ、まつり」
まつりにそう命じると、また、道中が動き出す。ゆっくり、ゆっくりと、道中は進む。
「待って、さち香さん!」
背後から、りさの声が聞こえた。
……あの、お奉行所で聞いた太い男の声じゃない。とても可愛らしい、女の子の声だった。
だけど……あたしは、振り返らない。
遊女と侍の恋など……叶うわけがない。
期限付きの、禁じられた遊び。
だけど、ぬしさまはそのあいだ、あたしの恋人であろうとしてくれた。それで、良い。
あたしはこれから、花魁になる。
好いた惚れたは御法度で……心と体とお金が舞い散る世界に、あたしは生きる。
カオナシはきっと……りさと、共に歩むのだろう。あたしが共に出来なかった「好いた惚れた」を、りさとつなげていくのだろう。
ぬしさま。
おさらばえ。
あとがき
そういうわけで、外伝11話、すべてUPしました。
ここまでおつきあいいただいて、ありがとうございます♡
「noteじゃあ、長編は読めねえ」言われ続けて1年半。
まあまあ、いいから、読んでみ。
マガジンにいれとくし、カクヨムにだって明朝体versionを置いてあるから。
好き嫌いはいかんよ。
と、言う気持ち。
江戸時代物といっても、本格的な時代劇ではありません。
ノイタミナ枠、土曜20時枠を目指したライトな読み物にしたかったため、「江戸風味」「江戸セット」というような、軽い風合いで江戸の町を表現しています。
りさは完全に戦後言葉だし。しかも江戸じゃなくてどちらかと言えばハマッコの言葉遣いだし。
美的感覚も、現代風にあわせています。
あくまでも「ライトな江戸」「江戸シティ」という、フィクションの世界をお楽しみください。
あ、この小説内では言及してませんが、お奉行様は当然、りさのお兄ちゃんの忠直くんです。
最初に、「お奉行様のおなり」から始めれば良かったかもですが、外伝なので、読者さんはそこはすでに知ってる設定なのです。
え? 誰よ? となった方はごめんなさい。