1.貌(かお)
その人には、貌(かお)が無かった。
赤ちゃんの頃に、囲炉裏に落ちたときの火傷の痕が酷いと言い、薄汚れた紺色の大きな布を顔に巻いていた。だけどその人は、いつもみんなの真ん中で楽しそうにゲラゲラ笑ってた。
「カオナシ」
あたしはその人をそう呼んでたけど、その人は全然嫌がりもせずに「なんだ」と返事する。
あたしは禿(かむろ)とはいっても、もう新造の姐さん達と同じ年頃だったから、他の禿の子達みたいにカオナシにベタベタくっついてはいけない。
だから、あたしはいつも少し離れたところで、その人が禿のチビ達と遊ぶ姿を見ていた。
「かへで」
カオナシは、あたしをそう呼ぶ。
この桃源楼(とうげんろう)に来る前に育ててくれてたひな美姐さんが一生懸命考えて、名付けてくれた名前だから、あたしはその名前が好きだった。
あたしが「さち香」になったのは、数え十四の春のこと。
花魁(おいらん)の千代菊姐さんがあたしを気に入って、自分の部屋に引き取ってくれた。
「ほう? 振袖新造になったのか。かへで」
てっきり留袖新造になるのだと思っていたと、カオナシは余計なことを言ってからかう。
振袖新造になった次の日から、あからさまに禿だった頃とは待遇が変わった。
あたしのために千代菊姐さんが用意してくれた着物は、周りの娘達が着ている小袖や留袖じゃない。金の糸の刺繍が入った、綺麗で豪華な振袖だった。襦袢だって、ただの綿じゃない。豪華な絹の襦袢。そのすべてが千代菊姐さんのお下がりではあったけど、あたしはそれでもよかった。千代菊姐さんの道中の時にしか着せて貰えなかった豪奢な着物が、その日からあたしの普段着になった。
「短い稚児髷を早く伸ばさなければね。美しい髪の毛は、女の子には大事だよ。たくさん食べて綺麗におなり」
親父様がそう言って、あたしの御膳におかずの数を増やしてくれる。
「勉強しなさい。本を読みなさい。三味線のお稽古を、お琴のお稽古を、踊りのお稽古を……」
親父様も千代菊姐さんも、あたしの教育係だという振袖新造のほの香姐さんも、あたしにたくさんのことを言う。
言われたことをひとつ、ひとつ、こなしていたら姐さんたちも親父様も喜ぶから、あたしは一生懸命に言われたことを頑張った。
数え十七になったら、さち香を花魁にするつもりだと……。親父様からそう聞いたのは、数え十五のある秋の日のこと。
仄暗い月明かりの中で、カオナシと親父様が酒を酌み交わしながら紅葉を見上げていたのを覚えている。
紅葉が風に軽く揺れて、さらさらと心地の良い音を奏でる。
カオナシは、きっとあたしが花魁になることなどに興味はなかったんだろう。縁側に寝そべり、ほの香姐さんの膝に頭を預けて、庭の紅葉が揺れるさまをただ、ぼんやりと眺めていた。