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ルー・ゲーリッグと映画「打撃王」

「今日、私は、自分をこの世で最も幸せな男だと思っています」
(ルー・ゲーリッグ)


いよいよMLBのキャンプが始動しましたが、大谷選手の昨年に続く活躍を期待する人は多いと思います。

大谷選手MLB初ホームラン


大谷選手がメジャーデビューしたのは2018年4月ですが、ちょうどその時期に器質化肺炎で入院していた私は暇を持て余し、初めてのブログ(アメブロ)を書いていました。

その時の記事の一部を紹介します。

・4月10日(2018年)に無事退院し、4月12日から仕事に復帰した。
・入院中に観たテレビで面白かったものを3つほど。

◆大谷翔平選手の活躍
・入院していたおかげで、大谷選手の活躍を堪能することができた。初勝利、3試合連続ホームラン、7回1死までパーフェクトピッチング。連日ベッド上でイヤホンを耳に大興奮。

・特に初ホームランを打った後の「サイレントトリートメント」は最高。メジャーは粋だね。

あれれ、ホームラン打ったのにみんな無視?
ねえ、ホームラン打ったよ。ねえってば!
おめでとう!!

2022年に引退したプホルスの背中も見えますね。
今年もファンの想像を遥かに上回るような活躍を期待してしまいます。

好きな映画


ところで、最近はほとんど映画を観なくなりましたが、子供の頃から好きでよく観てました。今まで観た中で好きな映画を思いつくままに上げると・・・

「冒険者たち」
ロベール・エンリコ監督 アラン・ドロン、リノ・バンチュラ、ジョアンナ・シムカス
「12人の怒れる男」
シドニー・ルメット監督 ヘンリー・フォンダ、リー・J・コッブ、E・G・マーシャル
「ゴッドファーザー」
フランシス・フォード・コッポラ監督 マーロン・ブランド、アル・パチーノ、ジェームズ・カーン
「アラビアのロレンス」
デビッド・リーン監督 ピーター・オトゥール、オマー・シャリフ、アンソニー・クイン
「インディ・ジョーンズ」
スティーブン・スピルバーグ監督 ハリソン・フォード
「シェーン」
ジョージ・スティーブンス監督 アラン・ラッド、ヴァン・ヘフリン、ジーン・アーサー
「ショーシャンクの空に」
フランク・ダラボン監督 ティム・ロビンス、モーガン・フリーマン
「スティング」
ジョージ・ロイ・ヒル監督 ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、ロバート・ショウ
「スピード」
ヤン・デ・ボン監督 キアヌ・リーブス、サンドラ・ブロック
「ナバロンの要塞」
J・リー・トンプソン監督 グレゴリー・ペック、デビッド・ニーブン
「ニュー・シネマ・パラダイス」
ジュゼッペ・トルナトーレ監督 フィリップ・ノワレ、ジャック・ペラン
・・・

他にも、スター・ウォーズやクリント・イーストウッドの作品など、たくさんありすぎてキリがないのでこれくらいにしておきますが、スポーツ映画のなかで強く印象に残っているのは「打撃王」(原題:The Pride of the Yankees)です。

ルー・ゲーリッグ


映画「打撃王」は、1995年にカル・リプケン・ジュニアに破られるまで、56年間もの長い間MLBの連続試合出場記録(14年間に渡り、2130試合)を保持していた、ルー・ゲーリッグの活躍と引退を描いたドラマです。

ルー・ゲーリッグは、1903年にドイツ系移民の父母の間に生れ、父親が病気持ちのため母親が生計を立てていました。
母親は息子が野球で成功するとは思えず、当初は野球選手になることに反対していました。本人もコロンビア大学を卒業して就職するか、あるいは野球選手になるか迷ったものの、母親が肺炎を患ったため、医療費を補うためにヤンキースと契約しました。

1923年に入団後、数年間は出場機会が限られていたものの、1925年には左投げ左打ちの一塁手としてレギュラーに定着し、当時看板選手だったベーブ・ルースと並ぶ主力打者に成長していきます。

生涯で本塁打王3回、打点王5回獲得。1927年には打率373、47本塁打、175打点、218安打と大活躍。ワールドシリーズもピッツバーグ・パイレーツに4連勝で制覇し、60本塁打を放ったベーブ・ルースを差し置いてアメリカン・リーグのMVPに選出されました。また、1934年には3冠王も獲得しています。

特筆すべきは、1931年に184打点をあげましたが、これは未だに破られていない、アメリカン・リーグの最多打点記録です。(MLB記録は1930年、カブスのH・ウィルソンの191打点。ちなみに2024年、アメリカン・リーグはアーロン・ジャッジが144打点、ナショナル・リーグは、大谷選手が130打点で、ともに打点王を獲得しています。)

筋萎縮性側索硬化症(ALS)

毎日試合に出続ける頑丈さから「iron horse」(鉄の馬)と呼ばれたものの、1939年、体調の異変を感じ自ら欠場を申し入れ、連続試合出場記録は途切れました。その後の診断で筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され、引退を決意します。

1939年7月4日のセネターズとのダブルヘッダーで、ヤンキースはルー・ゲーリッグ感謝デーを制定し、メジャーの他チームを含む多くの人々がゲーリッグを祝福しに訪れました。

歴史に残る引退スピーチ

その試合でゲーリッグが挨拶したスピーチです。

ファンの皆様、ここ2週間に私が経験した不運についてのニュースをご存知でしょう。しかし、今日、私は、自分をこの世で最も幸せな男だと思っています。私は選手として球場へ17年間通い続けてきましたが、いつもファンの皆様からご親切と激励をいただきました(Fans, for the past two weeks you have been reading about a bad break. Yet today I consider myself the luckiest man on the face of the Earth. I have been in ballparks for seventeen years and have never received anything but kindness and encouragement from you fans.)。
・・・(省略)・・・
私を不運だとおっしゃる方もいるかもしれませんが、数え切れないほど多くの人々からの愛情を受けている私の人生は本当に幸せなものなのです(So I close in saying that I might have been given a bad break, but I've got an awful lot to live for.)。……ありがとう(Thank you.)

観客はスタンディングオベーションを送り、既に引退していたベーブ・ルースはゲーリッグにかけ寄り、彼を優しく抱きしめました。
翌日の「ニューヨーク・タイムズ」は「今まで野球場で見た光景の中で最も感動した場面の一つ」と報道しました。


ゲーリッグ引退



引退後、全米記者協会はゲーリッグの病の状況を考慮し、特例としてゲーリッグに対する特別投票が行われ、殿堂入りが決定したものの、36歳という当時史上最年少での殿堂入りにもかかわらず、病により式典に参加することはできませんでした。
(イチロー選手が今年殿堂入りしましたが、MLBの殿堂入り基準は、「メジャーで10年以上プレーし、引退から5年が経過した選手で、全米野球記者協会の投票で75%以上の得票を得ること」、です。)

37歳で亡くなる

ゲーリッグは、1941年6月2日に37歳で亡くなりました。
エレノア夫人はゲーリッグの死後独身を通し、残りの人生は筋萎縮性側索硬化症(ALS)の研究を支援することに捧げました。

また、ゲーリッグは、MLB史上初めて自身の背番号4が永久欠番に指定された選手にもなりました。

日本との関わりでいえば、1934年(昭和9年)、読売新聞主催の日米野球が行われ、ベーブ・ルースらMLBオールスターチームの一員として来日しました。
沢村栄治(大日本東京野球倶楽部。後の巨人軍)の好投による「あわや完封負け」の危機から全米チームを救ったのがゲーリッグのソロ本塁打による1点でした。

2021年、MLBはゲーリッグの命日である6月2日を「ルー・ゲーリッグ・デー」に制定しました。
ルー・ゲーリッグ・デーには、選手をはじめ監督やコーチの全員が試合中に特別なパッチ付きのユニホームとリストバンドを着用することになっていて、その両方に、背番号4にちなんだ「4-ALS」のロゴが入ります。


ゲーリッグとエレノア

映画「打撃王」

1942年に制作された映画「打撃王」は監督サム・ウッド(「チップス先生さようなら」「誰がために鐘は鳴る」)、ルー・ゲーリッグ役ゲーリー・クーパー(「モロッコ」「真昼の決闘」「昼下がりの情事」)、エレノア夫人役テレサ・ライト(「ミニバー夫人」「我らの生涯の最良の年」)、スポーツ記者役ウォルター・ブレナン(「荒野の決闘」「赤い河」「リオ・ブラボー」)のほか、ベーブ・ルースらヤンキースの元チームメート4人も自身の役で出演していました。


映画では、前年、わずか37歳で亡くなった国民的英雄ルー・ゲーリッグの生涯が劇的に描かれ、「筋萎縮性側索硬化症」(ALS)は映画公開後、「ルー・ゲーリッグ病」として一般に知られるようになりました。
映画で最も有名なシーンは、ゲーリッグがヤンキー・スタジアムで行ったお別れのスピーチの再現です。

「Today, I consider myself the luckiest man on the face of the Earth.」
(「今日、私は、自分をこの世で最も幸せな男だと思っています」)

出展:ウィキペディア他

この有名なセリフは、2005年にアメリカン・フィルム・インスティテュートが選んだ「アメリカ映画の名セリフベスト100」で38位にランク入りしました。

めったなことでは泣かない私が涙腺崩壊した映画「打撃王」と、ルー・ゲーリックについて紹介させていただきました。

次回の映画紹介は「冒険者たち」か、あるいは「12人の怒れる男」かな?

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