『終わらない歌を歌おう』北杜山守隊に参加して感じた「こだま」の存在
自然VS人間。
自然界と人間界の線引き。
ナウシカ、もののけ姫、ぽんぽこ…。
スタジオジブリが扱うテーマで、主たる根幹となるのが、自然の中で生きる人間の存在、である。
姫姉様やサンといった、自然界に理解を示す崇高な主人公が、自然を破壊しようとする人間の暴挙を食い止めるため、1人叫び戦い続ける姿に胸を打たれる。映画を見ている最中は、はっきりと人間の愚かで浅はかな行為に腹を立て自然界目線になっているにも関わらず、実生活では、僕らは明らかに自然に対して破壊行為を繰り返している。人が現代的生活を営むこと自体が、地球のバランスを崩すことに直結するしているのは、揺るぎない事実だ。9月になっても異常なほど連日猛暑日を記録し続けたり、24時間で1ヶ月分の雨量を超える豪雨が各地で頻発しているのは、自然界が発する悲しい叫び声に他ならない。
北杜山守隊とは?
秋分の日、昨夜から降り続いた雨も朝方にやみ、朝8時30分に集合場所に着いた時には、薄い雲の切れ間から澄んだ青空がのぞいていた。
暑さ寒さも彼岸まで。その言葉通り、昨日までの暑さが嘘の様に、今朝吹く風は明らかに秋の粒子を多分に含んでいる。半袖だと、露出した腕が冷たく感じられ、僕は慌てて長袖のインナーシャツに着替えた。
山梨県北杜市。水が綺麗なことで知られ、大手飲料メーカーが販売する天然水の、採水地としても有名だ。その水を仕込み水に使って醸す、ウィスキー蒸留所も観光名所のひとつになっている。
これから行く日向山(ひなたやま)を見上げると、雲はなく、山頂まではっきりと見ることができる。
「北杜山守隊」は、人間が入ったことで壊れてしまった山を修復する目的で立ち上げられた団体だ。
※北杜山守隊に関する詳しい記事はこちら。
その主たる活動のひとつ「登山道保全ワークショップ」がユニークなのは、ボランティアでもアルバイトでもなく、参加者の方がお金を払って環境保全活動に参加する点にある。代表の花谷さんは、この活動を「体験学習型コンテンツ」と位置付けている。花谷さん本人も、3年前に初めて体験し、そのあまりの面白さに事業化を考えたのだという。
今回、僕は2万円を支払い、この活動に参加した。前述の記事を事前に読んではいたとはいえ、正直、こちらがお金を払い、さらに肉体労働することに全く抵抗がなかったといったら嘘になる。これが同じゼミで学んだライター仲間からの誘いでなかったら、断っていたと思う。と言うより、この活動自体を知ることはなかっただろうし、もし知ったとしても、興味を抱くことはなかっただろう。自然の保全活動など、自分の守備範囲を大きく超えている。僕は、それほど聖人ではない。
良い登山道とは?
登山道を登ると、秋の気配はいっそう強く感じられた。道のあちこちに落ちている大きなドングリや栗の実の視覚効果もあるだろう。木々の葉はまだ色付いてはいないが、盛夏の青さとは明らかに違う色が、日光を優しく反射させている。紅葉樹の木陰が、登山道の気温をさらに数度、下げる。
午前中は、座学の時間(と言ってももちろん現場にて)。花谷さんの案内で、この山の歴史や人間との関わりを学ぶ。巧妙なクイズ形式で、一気に興味を惹かれる。
そして、今回の活動の核心へ。
良い登山道とは?
この問いは、実際に投げかけられたものではないが、この活動中、ずっと僕はこのことを考えていた。
僕たちの目的は登山道の修復にある。その登山道に、良し悪しがあるのか?
もちろん、歩きやすい登山道が一番だろう。
しかし、座学を受けるうち、次から次へと新しい答えが浮かんでは消えていく。
そして、歩きやすい登山道を良しとするのは、登山者の目線のみ、であることにすぐに気がついた。
そんな登山道では、山の修復にはつながらないのだ。
水の気持ちになって考えよう
今回の座学で最も時間を割いたのが、「水」の流れ道についてだ。
当然、水は高き所より低きへ流れる。その流れ道を考えることが、登山道の修復に不可欠な視点であるという。どう言うことか?
落ち葉に埋もれ、木々や草花が生い茂った斜面より、平坦で歩きやすく整備された登山道を伝って水が流れやすいことは、容易に想像がつく。
昨今、日常と化したゲリラ豪雨が発生した場合には、登山道は川となり、その流れは平滑な登山道をえぐり、削り、破壊していく。すると、登山者は歩きにくい箇所を避け、その脇を歩く様になる。脇道に生息していた植物は踏み潰され、そこに新しい登山道が誕生する。
この日、ほんの少し登っただけで、その様な脇道新道がいくつも散見された。新道もやがて水の通り道となり、削られ、さらにその新道の幅は広がっていく。本来自生しているはずの植物のない部分が増加していくのだ。それは、登山道だけでなく、山そのものを削り、破壊していくことに他ならない。
花谷さんは「水の気持ちになってどこへ流れていくのかを考えてみてください」と何度も話した。流れる道筋がひとつなら、水は集まり、勢いに乗り、濁流となってその破壊力は増していく。流れを分散させ、速度を落とさせる。水を破壊兵器に変えないために。
そして、今回の整備場所にたどり着く。下の画像がそれだ。左側の登山道を整備する。
水をゆっくりと流す登山道とは?
登山道を整備することは、水の流れ道を作ることと、同意だ。そこに導いた水の流れを、どうすれば穏やかでゆっくりとしたものにすることができるのか?
答えは、ズバリ「蛇行」だ。
上画像は「北杜山守隊」の活動記事から拝借したもの。
水は、整備された右側の登山道を、どうやって流れ落ちるだろうか?実は、丸太に対して垂直に落ちる様に設計されたいる。水をジグザグに蛇行させることで、山を下るスピードを殺しているのだ。
この三角に整備された足場の優れた点は、もうひとつある。今度は登山者目線で考えて欲しい。登山者は、年齢も性別も、体格までもそれぞれに違う。当然、歩幅の大きさも違うし、歩くリズムも異なる。何度か登山経験のある人ならわかると思う。自分が登るペースを崩されると、普段より遅い速度になったにも関わらず、疲労が一気にたまり、呼吸まで乱れてくる。この三角足場は、登山者それぞれに自由なペースを与えるためのものにもなるのだ。
今回の箇所にも、同様の修復を施していく。
大自然の中、頭と体をフルに使ったアクティビティが生み出すもの
午後から、実際に修繕活動が始まった。
まずは完成イメージを全員で共有する。何段の足場を作るのか。今回は、6段に決まった。
足場のステップとなる木材を運び、
組み合わせる。
木材の座りが良い向きを探り、回転させたり、左右回転させたり。
もともとある樹木や、根っこを引っかかりに利用して、ステップの安定化をはかる。
体を使うのはもちろんのことだが、何より、頭をフルに使う。この場にあるものだけを利用して(多少の加工はできる)、最初に共有した完成イメージに近づけていく。
限定された環境の中、人間がフルに頭を使った時に自然的に発生するのが、アートだ。僕は途中から、この修繕作業のことを、アートの創作だと疑わなくなった。崩れた数メートルの登山道という空間に、今回のメンバーにしか造れない作品を組み上げていく。水の流れをコントロールしながら、登山者にも歩きやすいトレイル(森林や原野、里山などにある「歩くための道」のこと)だ。あまりの楽しさに、僕は時間を忘れて夢中になってしまった。大自然の中、頭と体をフルに使って活動することが、これほどまでの刺激的で、享楽性に満ちた行為だとは!
山の空気を使って有酸素運動を繰り返しているせいか、体の細胞が本来の活性を取り戻す様に踊り出している。周りのメンバーたちの顔にも、疲れより笑顔が多くみられたことは、皆同じ体験をしている証拠だろう。
今はまだ馴染んでいないこの道も、雨が降り、落ち葉が積もり、人が歩き踏み固めることで、自然とこの場所に一体化していくそうだ。
終わらない歌を歌おう
登山道の修繕。
これは、人間が山に入る限り、終わることない作業だ。
例えば、登山道をすべて舗装する。するとどうなるか。このヒントも、花谷さんが話した「水の気持ちになって考える」に集約されている。それはそのまま、山の気持ち、自然界の気持ち、と置き換えることができるだろう。舗装路を下り始めた水は、一切地面に吸収されることなく速度を上げ続け、曲がりきれない箇所では溢れ、山肌を削っていく。人間の手で無理に崩れたバランスは、大きな崖崩れや土砂災害を発生させてしまうかも知れない。
共存。
こうなると、自然と人間は、共存していない。
当然、人間がこの山に、誰ひとり、一歩も足を踏み入れなくなったら、山は驚異的な回復力で、登山道を一瞬で亡きものに変えてしまうだろう。
これも、共存ではない。
もたろん、人間も、自然の中の小さなひとつに過ぎない。だからこそ、支配ではなく、共存していくのだ。支配が生むのは、先ほどの舗装路の例の様な、軋轢によるバランス崩壊だ。それを、環境破壊と呼ぶのだろう。
冒頭に挙げたジブリの映画でも、登場人物たちも見る側も、大切なのは、やはり共存であることに気づく。人間も、自然界の中で「生かされている」自然の要素のひとつだからだ。
その場にあるものを使って修復した登山道を後にする時、振り返ると、そこには「こだま」の存在を微かに感じたような錯覚があった。豊かな森に宿るといわれる木々の精霊。
下山しながら、僕が思ったのは、この活動は「終わらない」ということ。
人間が自然界で共存するためには、終わらない活動なのだ。終わらせてはいけない活動なのだ。終わらないことが、全てにとって最高の結果をもたらす、現時点での最適解なのだと思った。
幸いにして、この活動は思い切り楽しい。次は一泊二日のコースに参加してもいい、本気でそう思った。
さあ、終わらない歌を、歌い続けよう!