ふつうの人間だと分かるまで
ふつうの人間だと分かるまで
23年かかった
私の考えることや思うことは
世の中の人、みんなと同じだった
1年前の私や高校生の私、中学生の私やもっと前の私が
今の私を知るとすごく悲しいかもしれない
けど
私
何にもなく ふつう よ
何がやりたいとか何がしたいとか全然わからんし
何をするにしても体力と時間のせいにして
見たくないものには蓋ばかりして
自分や周りに期待しては
はぁとため息をついたりする
ふつうの私を受け入れるのには
すんなり やった
あら、あなたも。また、あなたも。おお、あなたもか。
そんな感じでみんなのことが知れる世の中なんやもん
特に悲しくもならず
むしろ 緊張していた 肩 が少し
解放されたような感じで
ふつうの人間になれて
楽になった
そんな気分だった
でも
ふつうの私も
生きるために
何かをしなければならない
ふつうの私は「目的」なしでは生きた心地がしないのだ
でも目的が
簡単に出てくるわけでもなく
まあ簡単に出てきてもらっても困るもんやけど
何か、見えてきたらいいなあと思って
手段として
ブログを書いてみようとnoteを開いてみたのである
ようわからんくなったけれども
だらだらとふつうの日記を書いてみようかなあと思ったりしたのである
何にもない、ふつうの私の今日
明日は7時に起きたいと思う
ノンフィクションの毎日