【劇場版ウマ娘】好きポイントをひたすら語る!
はじめに
2024年8月中旬現在。
『新時代の扉』は約2か月半の公開期間を終えて無事、公開終了しました。
自分は7回見たのですが、毎回思いっきり泣いて心が洗われました。
同じ映画を劇場で7回も見たなんて人生でもちろん初の経験。
すごい面白くて、素敵な映画でした。
私はタキオン推しとしてずっとモルモットをしていますが、タキオンが主役の映画が公開されるというだけでも嬉しいのに、内容まで本当に素晴らしくて…。夢のような2か月でした。
制作スタッフの皆さんには感謝感謝です!お疲れ様でした!そしてありがとうございました!
公開終了で今さらではあるんですが、自分の気持ちの整理と制作スタッフへのリスペクトを込めて感想を書きたいと思います。
書きたいことは無限にあるのですが、好きなポイントにしぼ
すでに映画に関する記事は4つほど上げていて、この記事は5つ目です。よかったら他の記事も見てみてください。
好きポイント① BGMが落ち着いていてストーリに集中できる
ここは本当にすごいと思いました。
レースシーンや盛り上がるシーンでカッコイイBGMを大音量で流すのではなく、全体的にしっとりしたBGM。
こんなに大人しくていいの?って思っちゃうけどそれでいい。
特に冒頭のフジキセキのレースではそれが印象的で、どこか哀愁を感じさせるギターの音色でスタートします。
最初からこれなので、制作スタッフの「最高に良い物を用意した。さあ、ストーリーを存分に楽しんでくれ!」というメッセージを感じます。
BGMが全体的に大人しいのは、それだけストーリーに集中してほしいからでしょう。
物語のポイントポイントで必要最小限のBGMを流す。そのメリハリがきいていてウマ娘の世界観にしっかり没入することができました。
好きポイント② とにかくフジキセキのレースがいい
初めて見たときは「JAM世代(P:ポッケ、A:タキオン、M:カフェの世代のこと)の話なのにいきなりフジキセキのレース!?なんで!?」と思っちゃいました。
でもレース(弥生賞)を見終わったときにはすでに納得。感動するとともに、このレースにウマ娘の世界観が凝縮されてると思いました。
レースの疾走感
ウマ娘たちの体運び、背景がぐんぐん吹き飛んでいく速さから、ウマ娘の全力疾走がいかに人間離れしていて速いのか理解することができます。
フジキセキが最終直線でアプリでの固有スキルのような光の道を出現させたところはBGMとあいまって感動でしたね。
そこからさらに一段階加速してゴールまで駆け抜けていくのはすでにクライマックスのようでした。
レースへの思い
フジキセキ本人もですが、1着争いをする他の2人のウマ娘も歯を食いしばって「させるか~!!」とド根性むき出しで走っています。
このことから、トゥインクルシリーズとは単なる学生によるお遊戯会ではなく、全員がマジで勝利を目指す真剣な場であることが理解できます。
アプリをやったことがなく、映画から見たという人にはウマ娘の世界観がよく理解できるでしょう。
トレーナーとウマ娘の関係
フジキセキが1着でゴールすると、トレーナーのナベさんは涙を流します。
ここはナベさんが人情に熱い人であることを示すと同時に、「トレーナーとはウマ娘の育成に情熱と愛情をもって取り組む存在である」ことも示していると思います。ただのコーチじゃないぞ、と。
そしてフジキセキはトレーナーのほうへ向かってマジシャンがするような礼をします。
これはレースを見てくれた人たちへの感謝の気持ちを表すことと、
「映画化までこれたのはトレーナーの皆さんのおかげだよ!」
というCygamesの私たちトレーナーに対する感謝の気持ちを表しているのかと思いました。
「そんな大げさな…」と思うかもしれませんは、次に書くようにこの映画では1つの場面に複数の意味を持たせることが多くあります。
映画の冒頭にそのような演出をもってきても不思議ではないと思うんですよね。
好きポイント③ 暗に示す表現が多くて時間以上に楽しめる
ポッケがもっているプリズムの考察記事でもさんざん書きましたが、この映画では「構図・色・光」などの表現によってキャラの立ち場や感情、物語の状況などを暗喩するシーンがとても多いんですね。
目に見える表のストーリーと、表現の裏に込められたメッセージ。
「このシーンってこんなことを表しているのでは?」と考えることができ、約100分の映画ですが実質その倍は楽しむことができる非常にオトクな映画なんです。
例えば地下道シーン
ホープフルステークスではタキオンが初登場。
本馬場入場までの地下道をポッケとタキオンが歩いています。このとき、2人の間は柱で遮られており、明確な実力差があることを示しています。
これは皐月賞でも同様で、ポッケのトレーニングも虚しく実力差は埋まっていないこと(=タキオンの速さがほぼ神格化されている域に達している)を示しています。
タキオンが無期限出走休止を表明したあとの日本ダービーでは地下道でダンツがポッケに話しかけていますが、このときダンツはポッケ側に立っていました。2人は最終直線で激しく競いますが、ダンツもポッケと同レベルに近づいていること、またはタキオンというライバルを失った同じ境遇を表しているのではないでしょうか。
エピローグでの有馬記念?ではタキオンが復帰し4人が出走していますが、このとき地下道の中央の柱は描かれていません。
そしてタキオンは画面中央から姿を現します。これは、ポッケが成長して自分が最強であると自信をもって言えること、4人に実力差はなく同レベルになったことを示していると思います。
夏合宿:ポッケのモチベーション低下とカフェの上昇
日本ダービー後に夏合宿が始まります。
すでに行きのバスの中でポッケが虚しい気持ちを抱き始めていることは見てとれます。それでもトレーニング最初のほうでは砂浜のランニングでポッケは先頭を走っていますし、食事ももりもりと食べています。
しかし、途中からポッケはモチベーションが低下していきます。砂浜のランニングでは先頭ではなく後ろの列になり、食事の量もだいぶ減っています。
それに対してカフェはご飯をおかわりするくらい食べ、鋭い目つきでトレーニング。砂浜ランニングでもダンツとともに先頭を走っています。
これらは暗喩表現というより直接的な表現かもしれませんが、こういう何気ないシーンでも色々と意味が込もっているのが素晴らしい。
語らないことが美徳
私は語りすぎる映画やドラマが好きではありません。
登場人物が気持ちや状況をまるで視聴者に説明するようなセリフがありますが、不自然すぎる。
現実で人がそんなこと言うでしょうか?
だから俳優の演技が芝居がかったようになり下手に見えてしまうんですね。
その人が何を考えているのか、物語がどう進行しているのかは、人の表情、声、間、構図などで見せるべきであって説明するものではないと思います。
語りすぎてはいけない。
語らずにいかに理解させるか。視聴者に考えさせて理解させる。その作業を楽しませる。
その意味で『新時代の扉』はそれがよくできた作品だと思います。
私の持論では、映画を見たあとにいろいろ考察させる(=脚本や演出が練り込まれている)映画が素晴らしいと思っていて、そういう作品こそ何回でも見たくなるんですよね。
(もちろん、1回限りでも面白くてスカッとする映画も良いと思います。)
好きポイント④ ダンツフレームの存在
途中からすんごい人気に
ダンツフレームの人気はすごい勢いで上昇しましたよね(笑)
映画公開前や公開して数日はモブに近い人気というか評判だったと思います。
なにせ我々はタキオン・カフェ・ポッケをアプリ内で見ていますから、どうしてもその3人を中心に見てしまいます。ダンツはいずれ実装されるキャラとはいえどんなキャラなのか分かっておらず、実際に映画を見ても第一印象としては「地味だなぁ」と思った人は多いのではないでしょうか。
実際に自分も最初はそう思いましたし、SNSでの感想を見てもそういう意見が多かったように思います。
しかしどうでしょう。
公開2週目くらいから、「ダンツ可愛くね?」「あの容姿と声がイイ!」などダンツの魅力に取りつかれる人が続出。絵師さんによる2次創作でもダンツのイラストがすごい勢いで増えていきました。
ちなみにブレイクのきっかけになったのは「オッチャホイ」でしょう。劇中でダンツのセリフの中で登場するのですが、「オッチャホイって何?」という議論がSNS上で飛び交いトレンドに。
「うまぴょい」にも通じる語感の良さとダンツのふわっとしたキャラが相まって人気に火がついたと思います。
大器晩成型
多くの人がダンツの魅力に後から気づいたのは、前述したようにこの映画を「タキオン・カフェ・ポッケ中心」に見ていたからでしょう。映画の前にアプリがあるわけですからこれは当然のことです。
1回映画を視聴してストーリーを知ることができた。そして振り返ってみたり2回目を見たりしたときは一歩引いた視点で冷静に映画について考えることができる。
そうするとダンツの魅力にじわじわと気づいていくわけですね。
そもそもダンツの容姿ってアニメで主人公にもなりそうな王道的美少女です。性格も明るい、優しい、ちょっと天然も入ってそうときたもんだ。そんなキャラが努力して一生懸命レースで走るんだから好きにならないわけがない。
史実でもダンツがGⅠを勝つのは古馬になった宝塚記念のときです(2002年)。史実でもキャラ人気としても大器晩成型と言えますね。
キャラクターバランスとして必須
ダンツはタキオン世代のクラシック戦線でポッケと共に皐月賞・日本ダービー・菊花賞にすべて出走しています。だから、レースやストーリーを盛り上げるために必須の存在です(クロフネはペリースチームとして登場)。
また、キャラクター性としても必要と思いました。
というのも、ご存じの通りタキオン・カフェ・ポッケはかなり濃ゆいキャラをしています。
タキオン…マッドサイエンティスト。可能性の果てを追求したい。
カフェ…オトモダチが見える。ストイックで影がある。
ポッケ…不良っぽい。ケンカっ早い。負けず嫌い。
もしダンツがいなかったらどうでしょう?
この3人だけでストーリー作ったらかなり前衛的というか、殺伐としそうです。タキオンが何を言い出そうとポッケが突っ走ろうとカフェは静観し誰もツッコまない。正直話が作れません。
それにポッケとタキオンのライバル関係を描こうとするとどうしてもカフェが浮いてしまいます(菊花賞からしか参戦してませんし)。
というわけで、ツッコミ役として、振り回され役として、華として、癒しとして、カフェの相方として、ダンツはストーリーに必須な存在だったわけです。映画を見返せば見返すほどダンツがいなければこんなに面白くなっていないと思います。
ちなみに私もダンツに脳を焼かれてますので実装を待ちに待ってますし早く育成したいです。
ところで、タキオンとポッケがライバルとして、主人公として描かれているので、自然とカフェとダンツがペアになります。
合宿中でも2人で走っているシーンが多く、新しいカップリングの誕生を嬉しく思います。
好きポイント⑤ ストーリーの良さ
ストーリーをつくるのは難しそう
約100分という尺を考えると、ジュニア級から始まりクラシックにおいてライバルとの競争を描き、ジャパンカップをフィナーレ、オペラオーをラスボスとして幕を閉じるというのは自然に思えます。
しかしクラシック戦線を中心に描くといっても、JAM世代のストーリーをつくるのはけっこう大変だと思います。何せタキオンが皐月賞で離脱してその後はレースに出ないのですから。しかもカフェは菊花賞から参戦。
タキオンが早々に離脱する中でストーリーをどうつくるか。ここがこの映画の一番のキモだと思いますが、見事にクリアしていたと思います。
ポッケはタキオンに2連敗し、日本ダービーでリベンジを誓うも最大のライバルは出走休止を表明。
ダービーに勝利するも自分が最強であると自覚できず、タキオンの幻影を見る日々。自分は一生タキオンに勝てない=最強になれないとスランプに陥ります。
そこからフジキセキの助けもあり見事復活、立ち直ります。
皐月賞後のタキオンをどうするか
ポッケのストーリーは上記のようにクリアするとして、もう一つ難しい問題があります。
皐月賞以降はレースシーンがないタキオンをどうするか。
1つはアプリでの「プランB」のように、タキオンはポッケとカフェのサポートに回りウマ娘の可能性を追求するというもの。
しかしこれではタキオンが身近すぎてポッケのスランプを上手に描けません。
映画では、タキオンは日本ダービーのレースを観戦しに行ったり、菊花賞のレース映像を見返したりして研究活動をしています。
その中でも足がうずき、「レースに復帰したい」という本能が彼女の中でゆっくりと大きくなっていく描写が多く見られます。
ストーリーで見事だなと思うのが、この映画のテーマの1つである「走りたいというウマ娘の本能」を体現するキャラを、主人公のポッケだけでなくタキオンにも背負わせていることです。
しかしそれはよくよく考えれば当たり前というか自然とも言えます。
タキオンはアプリ内においても「ウマ娘の可能性を追求する。限界を超えた先を見たい。」という想いをもったキャラです。
だから映画内においてウマ娘の本能と向き合うという大役を担うのにこれ以上ないくらい適任だし至極当たり前なのです。
しかもポッケがテレビで有馬記念を観戦しているとき、タキオンが研究室で「走らずにはいられない、ウマ娘の本能なのだろうね」というセリフがあります。これはこの後のストーリー全体に関わる伏線となっているんですね。
そしてその伏線をタキオン自身が回収していく。見事な脚本だと思います。
失ったウマ娘の本能を徐々に取り戻していくタキオン。この過程が丁寧に描かれているからこそタキオンはストーリーからこぼれ落ちることなく、中心に居続けます。
このようにして「皐月賞の後のタキオンどうするの問題」をクリアしています。美しい。
(好きポイントというより解説になっちゃてるなぁ…)
失ったものを取り戻す物語~キャラクターの役割と相互関係~
前述したようなタキオンの役割を考えると、この映画はポッケとタキオンのダブル主人公と言えるでしょう。
多くのキャラが登場する中で、話の大筋をポッケとタキオンに絞ることで全体をシンプルに、スマートにまとめています。これが映画の見やすさに大きく貢献していて、何回でも飽きずに楽しめるのです。
さらに言えば、フジキセキも加えてトリプル主人公と言えるかもしれません。
「フジキセキの出番は多いけどさすがに主人公ではなくね?」と思った方も多いでしょう。確かにそうなのですが、キャラクターの役割と相互関係を考えるとフジキセキはもう主人公級と見ていいと私は考えています。
「『新時代の扉』のテーマは何?」と聞かれたら私は「ウマ娘の本能=走りたいという気持ち」と答えます。そしてそれを代表的に体現してるのはポッケとタキオン、そしてフジキセキなのです。
・ポッケはダービーの勝利後、ウマ娘の本能を見失います。
・タキオンは皐月賞の勝利後、ケガで引退して自分の足で走ることを諦めます。
・フジキセキは弥生賞の勝利後、ケガで引退して現役を退きます。
このように3人は状況は違いますがウマ娘の本能を失います。
そして映画では、この3人がどうその本能を取り戻すかという過程が描かれているのです。
こう見ればフジキセキはサブキャラの一人というポジションながらも、映画のテーマに合致したキャラであることが分かると思います。
3人は異なるきっかけや方法でウマ娘の本能を取り戻します(レースへの復帰を決意する)。そしてそのきっかけ自体が3人の相互関係です。
・ポッケはフジキセキとの河原でのレースで
・タキオンはポッケのレースを見て(ダービー、ジャパンカップ)
・フジキセキはポッケのレースを見て(ダービー)
さらにさらに、ポッケがトゥインクルシリーズに身を投じるきっかけになったのはフジキセキです。また、ホープフルステークスや弥生賞でタキオンの凄まじい走りを見てやる気を出しています。
このように、物語の主要な流れはこの3人で完結しているんですよ。
複雑なようで冷静にヒモ解くと、ポッケ・タキオン・フジキセキを中心として話が回っていることが理解できます。
この美しい関係性に気づいたとき、映画をもっと好きになっていました。
好きポイント⑥ フジキセキとのレースからジャパンカップの流れは神すぎる
河原でのポッケとのレース
ここは短い時間ながらめちゃめちゃ熱い。
勝負服を着てることから分かるように、フジキセキは現役に復帰することを決意しています。決意した瞬間は日本ダービーでポッケの走りを見たときでしょう(考察記事<前編>を参照)。
このレースで、フジキセキはポッケと勝負するために誘ったわけではありません。自分の決意をポッケに目の前で見せるために誘ったのです。
光の道再び
レース後半でフジキセキの前に光の道が現れます。
これは映画冒頭の弥生賞のときと同じですね。
フジキセキは「苦しいよね…辛いよね…。でも、まだキミが走りたいと願っているなら…!」と独白します。
このときフジキセキはポッケのほうを見ていません。
あくまで前を見ている。ケガをしなかったら引退しないで走っていたであろうもう一人の自分を。
フジキセキは言葉でポッケを励まそうとしたのでなく、「現役復帰=走ろう!」という気持ちをもった自分の姿を見せようとしたわけです。
「ウマ娘の走りを見ると、ウマ娘は本能で走りたくなる」
まさにこの映画のテーマをもってしてポッケを目覚めさせようとしています。
フジキセキは、ポッケがトゥインクルシリーズを目指したのも、自分の走りを見たのがきっかけというのをポッケから聞いていたのでしょう。
だからそれを再現することで、ポッケが走る気持ちを取り戻すと信じたのだと思います。
このシーンは涙が止まらないですね。
研究室での語り、ジャパンカップへ
無事ポッケは復活し、自分がなぜ走るのか、トゥインクルシリーズに出るのか思い出します。そしてオペラオーを倒すために、併走のお願いをしにタキオンの研究室を訪れます。
この場面でのポッケとタキオンの語り合いは幻想的ですごい引きこまれます。プリズムが太陽の光を反射・屈折し部屋の中はカラフルに彩られます。前みたいにタキオンをどやすわけでなく、自分の素直な気持ちを語っていくポッケ。
そしてそれを聞いて自分の中で何かが動き出すのを感じるタキオン。
シーンはジャパンカップへ。このときのBGMが素晴らしいんですよ。
ふつう、これからクライマックスだぞってときはもっと盛り上げるような派手なBGMが流れますよね?
そうではなく、ピアノによる落ち着いたメロディが流れています。まるでエンディングのような落ち着き様です。
これはもうね、憎い。演出が憎い。
ポッケは「勝つぞ!」っていう気持ちではなく、「またレースに戻ってきた。すっげぇ怖いけど、俺はまた頑張れるかな。最強を目指して頑張っていたあの頃に戻れるかな」という落ち着いた気持ちでいます。
BGMはきっとポッケの落ち着いた心情を表しているんですね。
最後のレースだというのにピアノによる美しい旋律…。
好きポイント①でも書いたけど、派手なBGMでガシャガシャかき回さないのが本当に良いですね。
好きポイント⑦ つまりテーマがブレてないんだ
結局のところ、終始一貫して映画の土台にはこの映画のテーマである「ウマ娘の本能=走りたい気持ち」があって、ブレてないんです。
ストーリーも演出もキャラのセリフも全てがこのテーマに沿っています。
ジャパンカップのレース中に、ダンツがボソッと「走りたいなぁ」とつぶやきますが、さりげないこの一言に映画のすべてが詰まっていると思います。
ポッケも、タキオンも、カフェも、ダンツも、フジキセキも、オペラオーも、モブウマ娘も、みんなが「走りたい」んです。
それがストーリーの中心で、隅から隅まで一貫して描かれている。
だからこそ見ている人は作品に引き込まれるし、とことん没入できる。感動する。
この作品からはクリエーターのプライドとこだわりが滲み出ていて、美しく、芸術的なレベルに仕上がっていると思います。
ファンや視聴者に媚びない。妥協しない。最高のものをつくる。ウマ娘というコンテンツの素晴らしさを世に伝える。
そういう制作スタッフの気概を感じました。
ついで語り① ファンサもいいよね
冒頭でたづなさんがいつもの語り「ウマ娘。彼女たちは…」をしていますが、フィルム映画の再生のような演出で、ウマ娘のキャラがたくさん登場します。
すべてにキャラに必ずファンがいます。すべてのファンが映画を見て「あ!自分の推しがいた!」と思ってもらえるように、オープニングで全キャラを登場させるのは非常に優しい気づかいと思いました。
また、作中でもウマ娘の学園生活シーンが描かれますが、チヨノオー、ヤエノムテキ、マーチャン、ファインモーションなどなど挙げればキリがないですが、今までアニメで登場してこなかったキャラもわずかな時間ですが見つけることができます。
さらに桐生院トレ、樫本理事長代理、ライトハロー、メイ、ソノンエルフィー、都留岐さんまで…。
これらはファンサではあると思うのだけど、制作スタッフの「ウマ娘をプレイしてくれてありがとう!ウマ娘を好きでいてくれてありがとう!いっぱい楽しんでね!」というメッセージを感じました。
作品の出来の良さもさることながら、こういうところまでしっかり作ってくれた制作スタッフを尊敬します。
ついで語り② 残念ポイントももちろんある
作品のすべてが良かったとは思っていません。
一番残念だったのはカフェの扱いですね。
SNSや他の方が書いた記事をいくつも読みましたが、私と同じ意見を多く見ました。
映画公開前は「JAM世代の映画」という煽りで、ポッケ・タキオン・カフェの3人がメインのクラシック戦線を描くのかと思っていましたが、実際はポッケとタキオンが主人公で、カフェの扱いがあまりにも小さすぎる。むしろカフェよりフジキセキのほうが出番が多いくらい。
ダンツフレームは日本ダービーで見せ場があったけど、カフェの見せ場どこ…?
カフェは脇役というほど扱いがひどかったとは言わないけど、もっと見せ場はあっても良かったと思います。
特にカフェの一番の見せ場である菊花賞はまさかのダイジェスト。タキオンのレース分析で少し振り返っただけです。
これにはカフェのファンはがっかりかと。
タキオンの弥生賞のように、スタートシーンはなく途中からのシーンでいいからちゃんとリアルタイムの場面が欲しかった。
最終直線手前くらいから始まって、最後ぐいぐい伸びてくるカフェ、という短い時間でもいいではないですか。せっかく夏合宿でぐんと成長するカフェを描いているのですから、その成果が最も発揮される菊花賞もきちんと描いてほしかったなぁ。
ただ物語の大筋としては菊花賞はポッケがスランプにより成績不振に終わるところですし、映画全体の尺の都合もあり仕方なかったのかなとも思います。
理解はできるのですが、自分がカフェのファンだったら残念に思うよなぁ、と。ダンツはまだ日本ダービーでの見せ場がありますが、カフェにも大きい見せ場が1つくらいは欲しかった。
ついで語り③ 楽曲について
『新時代の扉』では、恒例のED曲『うまぴょい伝説』を除き3曲の楽曲があります。
・主題歌『Ready!! Steady!! Derby!!』
・挿入歌『Beyond the Finale』
・挿入歌『PRISMATIC SPURT!!!!』
素直な評価を言うと、「今までのウマ娘楽曲のようなキャッチーさはないものの、映画の場面と結びついて心に残る良い曲」です。
”キャッチーさはない”と言っているように、第一印象としてはやや地味な印象がありました。
「ROAD TO THE TOP」の主題歌『Glorious Moment!』は一発で記憶に残るようなインパクトがありました。同時に曲としても素晴らしく、名曲だと思います。
制作がRTTTと同じ「Cygamespictures」なので『Glorious Moment!』のような曲を予想していたら、だいぶ大人しい曲がきたなという感じです。
しかし低評価というわけではありません。3曲とも映画のそれぞれのシーンと結びついてしっかり盛り上げ、記憶に残る良い曲と思います。
映画やアニメの曲って、曲単体ではなく作品のシーンとセットで記憶に残りますよね。だから、後々で音楽を聴いたとき、作品のシーンが脳裏によみがえります。
『Ready!! Steady!! Derby!!』を聴いていると「これから物語が始まるぞ」というワクワク感が沸き上がります。
ー(勝ちたい!)そうこれは本能
ー(走りたい!)止まらない衝動
この歌詞も映画のテーマを表していて良いですね。
好きポイント①でも語りましたが、この映画ではBGMが全体的に大人しい。その中で唯一、テンションを上げる演出で流れてくるのが『Beyond the Finale』です。
ジャパンカップで、ポッケがラストスパートをかけるとともに流れてくる
曲。ポッケが今までの弱い自分を乗り越えて壁を壊す重要なシーンであると同時に、タキオンが自分の正直な気持ちに気づき、走り出す。
『Beyond the Finale』のメロディを聴くだけでこの場面がよみがえります。
同じように、『PRISMATIC SPURT!!!!』を聴くと最後のライブシーンが脳内に再生されますね。
激しいというよりは明るい曲。主役4人の物語がハッピーエンドで終わったなっていう爽やかな気持ちにさせてくれる素敵な曲です。まさにエンディングにふさわしい。
ちなみに、最後に出るタイトルロゴの左下で、ウマ娘の影がポッケ、タキオン、カフェ、ダンツと変わるのが憎い演出ですごい好きです!
まとめ
今までいろいろと語ってきたので細かいことは触れませんが、自分の大好きなウマ娘の映画がこんなに高いクオリティで素晴らしい作品となっていることがとても嬉しい。
昨年末に発表された当初はポッケ・タキオン・カフェのライバル関係が描かれるんだろうなぁって単純に思ってたけど、それ以上に、
・いろんなキャラ出てくる!?
・ダンツフレーム可愛すぎない!?
・裏に込められた意味多すぎない!?
・それでいてストーリーが感動すぎるんだが!?
・涙止まらないんだが!?
・スタッフどんだけ頑張ったのさ!?
と予想をはるか上にいく出来でビックリしつつ大満足でした。
早く円盤が発売するか動画配信が始まってほしいですね。
あの感動をもう一度。
あとは次の映画化はあるのでしょうか。「シンデレラグレイ」がアニメ化する雰囲気がありますが、長さ的に地上波でしょう。
映画だけのストーリーなら、ダスカやウオッカの2007年世代、あとはオルフェやジェンティルドンナ、ステイゴールド、ヴ3姉妹などなど…
ぜひとも制作してほしいですね。
最後に。
アプリを始めたときから好きだったアグネスタキオンというキャラが映画化して主役にまでなったことは本当に嬉しかった。
モルモット万歳!
ここまで読んでくれてありがとうございました!
感想があればお待ちしています。
※画像は劇場版『ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉』公式Xより引用しています。