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vol.3 ハーフ風の女


僕は末期のセックス、ギャンブル、アルコール依存性だと思う。

そもそも「依存性」とは…
ネットで検索すると無数に出てくる「依存性」の定義。

個人的には、セックス、ギャンブル、アルコールを

・やめたいけどやめられない
・やるために嘘をつく
・やってもやっても満たされることはない

という感じで、マッチングアプリをやめたいけどやめられない。
そして浮気相手とセックスするために、これまで息を吐くように嘘をついてきた。

僕の尊敬するノーターさんは、こう言う。

「心の拠り所が無いから、こんなに虚しいのか。」

そう、僕には心の拠り所が無い。いくらセックスをしても虚しさは消えない。
虚しさを紛らわすためにギャンブルをする。虚しさを忘れるために昼夜問わず酒を飲み続ける。

そして今日も狂ったようにティンダーをスワイプし続ける。終わりなきティンダーの旅。

そんな中、マッチングしたハーフ風の美女。
「新宿で飲みませんか?」「いいですよー、いつにします?」ってな具合に簡単にアポが取れた。

待ち合わせ当日、僕は早めに仕事を切り上げすぎて、約束時間の30分前に新宿に着いていた。
こういった待ち合わせ場所では、マッチングアプリ特有の何とも言えない緊張感がある。
ティンダーで共有のあった相手の写真は1枚のみ、それを自分のスマホに保存して、拡大したり色んな角度から見たりして、今か今かとハーフ風の美女が待ち合わせ場所に現れるのを待つのだ。

当たり前だけど、ここは新宿、眠らない街、歌舞伎町。ハーフ風の美女など無数にいるし、さっきからいったい何人もの美女が目の前を通りすぎただろうか。いちいちハーフ風の美女が通るたびに「この人だったら良いのになあ」なんて思いながら到着を待った。

あれは待ち合わせ時間の15分くらい前だったか、ハーフ風の美女からのメッセージをスマホが受信した。
ちなみに彼女とのやりとりにはティンダーのメッセンジャー機能を使っていた。「ごめんなさい。5〜10分遅れます。」「全然大丈夫です。気をつけて来てくださいね。」と返す僕。
さらに胸が高鳴る、この何とも言えない緊張状態がさらに続くことになる。

どんな女性が来るだろうか、どんな女性が来ても良い。何より僕はセックスがしたいのだ、セックスするまでは1日が終わらない。

事前に予約していた居酒屋さんから、歌舞伎のホテル街まで経路を入念に確認した。

ふと目の前にブルーの花柄のワンピースを着た、ハーフ風の美女が立ち止まった。距離にすると10mくらいか。彼女のティンダーの写真は帽子を被っていたので、10m先の彼女がいまいち本人なのか確信が持てないでいる。
また、目の前にいるハーフ風の美女はスマホを操作しているため、顔をはっきりと確認することが何より難しいのだ。

僕が判断に迷っていると、またティンダーのメッセンジャーが鳴った。スマホに視線を落とす。

「どこにいますか?」

慌てて視線を目の前に戻す。
すると先ほどのブルーのワンピースを着たハーフ風の美女は消えていた。僕がもたもたしてる、その間にもハーフ風というか、数多の美女が目の前を通りすぎる。

僕は「東口のビックカメラの前に居ます。」と再度、ティンダーでメッセージを送った。

その刹那、ティンダーから彼女から消えた、
いや正確にはティンダーから彼女の名前が消えた。名前が消えた瞬間も見ていた。現実を受け入れるのにはそんなに時間はかからなかった。

つまり彼女がマッチングを解除したのだ。

ティンダーはスピード感が重要だと、誰かのYoutubeチャンネルで見たことがある。
あのブルーのワンピースを着たハーフ風の美女が、本当に彼女だったのだろうか。
彼女に声をかけたら結果は違ったのだろうか。お分かりいただけただろうか。

まず考えられるのは、ハーフ風の美女が遠目から僕を確認し、僕のビジュアルを見た後にマッチングを解除した。
恐らくこの説が最も可能性が高いだろう。
(僕はビジュアルに、全く自信がない)

あとは気休め程度に、そもそも待ち合わせに来なかった?はたまた彼女は存在しない?とも考えた。実際のところは不明である。

様々な憶測と情念が渦巻く新宿東口。

これがティンダーだ。
これがティンダーの洗礼。
これがティンダーの怖さ。

約1時間の緊張状態から解放された僕は、何とも言えない疲労感に苛まれ、まずとにかく酒が飲みたかった。
一方で大人しく帰宅することも、選択肢の一つだった。
自宅では妻も10歳になる愛娘も待っている。
妻には「小学校時代の友人が亡くなり、お通夜に行ってくる」という嘘をつき、まさに僕は今新宿でティンダーの洗礼を受けている。

一方で友人が亡くなったは事実だった。
交通事故、享年37歳。
トラックと軽自動車の正面衝突、命ってこんなに簡単に無になってしまうのか。

彼とは小学生時代、毎日のように遊ぶ仲だった。2人で毎日のように自転車を漕ぎながら、様々な場所を冒険した。
今でも思い出すのが、2人だけの自転車旅。2人だけで利根川を目指した時の話。
自宅から利根川までは片道20キロぐらいだったか、小学生の2人にとってみれば近くは無い。2人にとっては人生初の大冒険。
不安と期待でいっぱいの旅、お昼は吉野家の牛丼。少しだけ背伸び、大人の階段を登ってみた経験。ほろ苦い紅生姜と生卵の味。
ろくな下調べも準備もせずに、汗まみれで夢中で自転車を漕ぎ続けた小学生6年生の夏。
自転車のカゴに入れておいた地図を頼りに、ただひたすら前だけを向いて利根川を目指した。

利根川に着いた時の達成感は、実は良く覚えてない。ただ川沿いに牛がたくさん放牧されていたのだけは今でも鮮明に覚えている。
利根川に着くと急に不安になった。遠い遠い見ず知らずの土地に、取り残された僕たち2人だけ。

果たして僕たちは家に帰れるのだろうか、少し薄暗くなって来た。僕たちは家に帰れるかどうか、不安でいっぱいだった。
気づいたら泣きながら思いっきりペダルを漕いでいた、後ろは振り返らずただひたすら漕ぎ続けた。

家に着いた。実家の玄関は真夏なのになぜか暖かいと思った。そして何ともいえない実家の匂いが嬉しかった。

そんな彼はもうこの世には居ない。
でも一生消えることのない記憶、思い出。
新宿東口改札から、届くはずのない彼への想い。

ありがとう。さようなら。
そしてまた会える日まで。

僕は踵を返し、人混みを書き分け歌舞伎町方面に向かった。

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