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【#3】ルッキズムが加速する理由【こころは「せともの」】

鏡(かがみ)
…人の姿やものの形を映し見る道具。人の手本、模範という意味もある。

お久しぶりです、ぺんたごんです!

先週はゆっくりと執筆にとりかかれる時間が作れず、投稿が少し停滞してしまいました…

気を取り直して今回は、最近よく聞く「ルッキズム」という言葉について考えていきたいと思います。




インフルエンサーという理想像


インターネットの発達により、わたしたちは他人の生活の様子や、それだけでなくその人となりを容易に知ることができるようになりました。そして自分自身について発信することもまた容易にできるようになりました。そうして生まれたのが、


インフルエンサー


という言葉です。テレビというある種現実とは切り離された世界でしか存在していないように見えた


かわいい美しいかっこいい


人々がSNSを通じてさまざまなところから世間に顔をのぞかせるようになりました。

これはトートロジーかもしれませんが、ある人が多くの人からフォローされ、支持を獲得するということは、その人が世間から憧れや羨望の眼差しを向けられていることを意味しています。つまりインフルエンサーは、世間の人が思う理想像あるべき姿、あるいは望ましい姿なのです。

インフルエンサーが世間の人々にとっての理想像であると仮定すると、そこから極端な二分法が生まれます。


容姿端麗であることが正義、そうでないことは悪


あえてきつい表現をしましたが、そのくらい最近同世代、あるいはそれ以下の子どもたちはこの恐ろしい強迫観念に縛られている節があると感じています。こうした極端な二分法がSNSという自他相対評価ツールと、そしてインフルエンサーという世間の声を集める拡声器によって世間に浸透してきているのです。


コンプレックスが映す自分の偏見


人間だれしも自分自身に対してコンプレックスを抱いています。例えば、

「鼻が低い」

「数学が苦手だ」

「優柔不断である」

などです。このコンプレックスという概念もまた恐ろしいもので、あることに対してコンプレックスを抱くということは、自分がそれを重視しているそうではない状態が望ましいと考えていることの裏返しなのです。先の例と照らし合わせるなら、

「鼻が高い」

「数学が得意である」

「すぐに決断を下せる」

ことが理想的だと無意識のうちに考えているのです。わたしたちは知らず知らずのうちに先述したようなあるべき姿、望ましい姿を脳内でイメージしているのです。


価値観の檻から抜け出すために


価値観というのは自分一人で形成されるものではありません。インフルエンサーは、多くの人々から「こんな風になりたい」と思われることではじめてインフルエンサーになるのです。一万円札に一万円の価値があるのも、人々の間にこの紙切れに一万円の価値があるという共通認識があるからです(これこそトートロジー)。価値観の檻に囚われていることに気づくこと、これが檻から抜け出すための第一歩なのではないかと私は思います。外見はもちろん、人の魅力にはなり得ます。…が、魅力ってそれだけじゃないですよね?

外見至上主義になりつつあるこの世の中を少し批判的に見つめながら___


今回は以上になります。最後までお読みいただきありがとうございました!

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