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遠くない?狭くない?しっくりこない?

「生活の感覚の違いを感じた出来事はありますか?」という質問があったのなら、私は「食卓の食器の位置です。」と答えます。

私は食事の席に着くと、両親からよく「遠くない?」と言われて、食器の位置を手前に近づけて置かれていました。両親にとって、子どもが手を伸ばさずに届く食器の位置が心遣いだったようです。

そんな私も結婚し、夫と2人で食事をとるようになると、少し「しっくりこない」ことがありました。初めは何か「しっくりこない」のかすら分かりませんでした。ある日、鍋を囲んだ時にふと気付いたのです。
「あ、鍋が遠い。」

それから食事の度に夫の観察を始めます。夫が食器を並べる時は、私の食器のほうが夫の食器より少し遠い位置で置かれていました。自分が取りやすい位置に置いているのかしら?気が利かないわね?くらいに思っていました。ですから、私は自分で食器を近づけて置いてみました。すると、夫が言いました。
「そっち、狭くない?」

あぁ、そうか!夫は私の食事のスペースが狭くないように食器を置いてくれていたのか!
夫にとって、食事する場所にゆとりがある食器の位置が心遣いのようでした。
その日初めて、私はもう少し近くに食器があったほうが取りやすいんだと、伝えられました。

その少し後に、夫の実家で食事をとる機会がありました。食卓に着くと義父から「(私)ちゃん、狭くないか?」と言って、食器の位置を奥に寄せてくれました。

夫と同じだ!と微笑ましく思いました。彼はこの家族に育てられたのだと。一人一人の場所を大切にする優しさを教えられてきたのだなと。

私が両親から受け取ってきた「近づける」という気配りも、夫が両親から受け取ってきた「広げる」という気配りも、どちらも形が違った相手を思いやる表現です。

誰かと一緒に生活する時に、きっと「しっくりこない」はたくさん出会うと思います。でも、それは自分と違うところで育ったのだから当たり前です。その「しっくりこない」を、自分基準で相手にぶつけず、どうしてだろう?と観察できたのが、今回喧嘩にならなかった理由だと思いました。
一概には言えませんが、自分を思いやってくれた行動だと知ると、「しっくりこない」ことでも嬉しいと思えました。

写真は、ガマ。
花言葉は、「慈愛」「素直」「慌て者」。

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