見出し画像

イマイサキコという人生 第1章-何も上手くいかない人生-


北海道の片隅で、私は生きていた。表面的には「普通の生活」を送っているように見えても、実際には何もかもが上手くいかない日々だった。


音楽に向き合いきれなかった甘さ

20代の私は、音楽を心から愛していた。
でも、今思えば、人生を音楽に捧げていたわけではなかった。
ただ、「好き」という気持ちだけで頑張っていただけだった。


練習は嫌いで努力する才能がなかった。
だがバンド活動は大好きで、仲間たちと一緒に自主制作のCDを作ったり、ジャケットデザインを手掛けたり、ラジオ番組やイベントに出演したりもした。

ワンマンライブも成功させた。それでも、どこかで「これでいいのか」という迷いがあった。

そんな中、時代は急速に変わり始めた。
ニコニコ動画が流行し、プロ顔負けの技術を持つ素人たちが次々と登場してきた。

その圧倒的なクオリティに触れるたびに、私の心の中で、「こんな才能あふれる人たちでも埋もれているのに、私たちなんて到底無理だ」という思いが膨らんでいった。

やがて、「音楽に向き合うのが怖い」という感情が、自分でも気づかないうちに心を支配していた。

そんな時、友人の紹介で出会った男性と付き合うことになった。
その出会いが、音楽を辞めるきっかけとなったのだ。

幸せを求めて選んだ結婚、その先は地獄

彼は穏やかで優しい人だった。
彼と一緒にいるときだけは、音楽の挫折や未来への不安を忘れることができた。
私は彼との結婚を決意し、「これが新しい幸せの始まりだ」と信じていた。

だが、結婚生活は、幸せどころか地獄だった。

結婚後、夫の転職に伴い、私たちは東京へ引っ越すことになった。

慣れ親しんだ土地を離れ、私は友人も誰もいない状況の中、夫婦二人三脚で新しい生活を築こうとしていた。
最初のうちはお互い努力していたけれど、徐々に歯車が狂い始めた。

些細なことから喧嘩が増え、怒号が飛び交う毎日。ついには手が出るようになった。

さらに、夫が隠し持っていたクレジットカードの存在と、多額の借金を知ったとき、私は完全に崩れ落ちた。

そして思い出した。
結婚前、夫の友人から「本当に結婚して大丈夫?」と言われたことを。

「別れたい」
そう訴える日々が続いたが、夫はそれを拒み続けた。
別れることもできず、仕事も続かず、友人もいない。
東京の生活で溜まったストレスは、ついに私を限界へと追い込んだ。

人生のどん底、本気で死を選ぼうとした夜

私は絶望し本気で首を吊ろうとした。

けれど、いざ行動に移したとき、首を吊った紐が切れた。
私は死ぬことすらできなかった。
それどころか、命の電話に助けを求めたり、友人たちに電話をかけたりと、とても多くの人に迷惑をかけてしまった。

「死ぬこともできない、臆病者。私には生きる価値なんてない」

それでも、どうにか命を繋ぎながら生き続けた。そんな中、やっと夫が離婚を認めてくれたと思ったら、彼は私に隠れて浮気をしていたのだ。
それが、とどめを刺すように私のメンタルを引き裂いていった。

もう何も信じない。誰も信じられない。
強く感じた事を今でも昨日の様に覚えている。

私の伝説のメンヘラ時代として、今も(私の中で)語り継がれている。

離婚後、札幌への帰還

私は夫を家から追い出し、気持ち新たに引っ越し、1ヶ月間これからの人生をどうするか、飲み歩いて考えた。

「このまま東京に残るべきか、それとも札幌に帰るべきか?」

答えは明白だった。
誰に聞いてもそう言われたし、自分でも札幌に帰るべきだとわかっていた。

でも、東京にいるチャンスを逃したくない気持ちも強かった。
悩んだ末、私は離婚し、札幌に戻る決断を下した。

札幌に戻った後の私は、一時的に慰謝料で気を紛らわせるように過ごしていた。

毎日のように合コンに明け暮れたが、どの恋愛も1年と続かなかった。

仕事で居場所を見つけたけれど…

「恋愛なんて期待できない。もう仕事に生きるしかない」。

そう決めた私は、初めて仕事に本気で向き合った。
苦手だったExcelを死ぬ気で覚え、昇進を勝ち取った。
派遣社員から社員になり、結果を出すことで居場所を得られた。

その努力が認められ、上司の引き合わせで取引先の社長と出会い、彼から猛アタックを受けて交際がスタート。

貧乏だった私が体験したことのないような贅沢な生活をさせてくれた彼との関係が、また新たな地獄の始まりになるとは、このとき夢にも思わなかった――。


-続く-

いいなと思ったら応援しよう!