海の家_1


彼は"二世"だという。

私がこの塩水を避けながら、今日を終えることができるのかと考えているときに、彼は生まれたのだ。
「すみません、初めて母以外の人間にあったものですから、動揺してしまって...。」先ほどの圧はとうに消えている。生真面目な、すこし自信のなさそうな声に、目前の彼の母親の像が浮かぶ。
「いえ、こちらこそすみません。久方ぶりに人をみて、声をかけずには居られなくて。」
人には、2、3年に一度しか合わない。この環境で往年の平均寿命というものがあてになるとは思わないが、それに倣うとあと14、5人に合うか合わないかだろう。
その中の一人が彼だと思うと、毎回のことだが、ふしぎな気持ちになる。彼の背後に見える家は、さまざまな木と藁と、海藻作られた質素なものだが、その分丁寧に作られているようで、住み心地が良さそうだった。

私がみた中で一番立派な“家”だった。

家というのはこの時代にはとても貴重なもので、木が自生していることはまず無いので、流木を使うことになる。海水にさらされ続けた流木は中が腐り、脆く、回収も容易では無い。
藁に至ってはどこで手に入れたのか、私には想像もつかない。
そして一番の疑問は、道具である。あの時、私たちの文明は一瞬で消え去った。殆どの工具類も、海に沈んだままで、浮かんでくるはずもない。ごく少数の人が集まっている身を寄せ合っている町ですら、岩陰を利用して作成した、“雨風をしのげるもの”でしかなかった。

「ここに住んでいらっしゃるのですか?お母様はどちらに?」
藁でも取りに行っているのだろうか。言葉を終えた瞬間に、彼の顔を見て分かった。悪いことを聞いてしまった。
「母は、2年前に亡くなりました。」
もとから翳りのある顔である彼の雰囲気が、一層濃くなった。真昼の陽光がそれを際立たせる。
「そうですか。すみません...。」
母に先立たれた2世のことを思うと、よい返答が思いつかなかった。しかし、人が絶滅した訳でもない。ここは話題を少々明るい方へ持っていこうと、
「ここから西へ...2年ほど歩いたところに、町があるんです。小さいですが、文化を感じるいい町ですよ。そこでも、こんな立派な“家”は建っていませんでした」と言った。

すると、彼はふふ、と笑った。

「すみません、母と同じ事をおっしゃられたもので...。」
笑うと少し幼い印象を受ける。と言っても、恐らく20代前後であろうので、実際に幼いのだろう。
「と、するとあの町に行った事がおありで?」
「いえ、私は。母が私を産む前に、父と訪れた事があると。」

どうあがいても話がほの暗くなってしまう。すべてこの海のせいである。
「それなら、なおさら一度、訪れてみてはどうですか。貴方はお若いので、1年ほどでついてしまうかも知れませんせんし。」
我ながら無責任な事を言った。過酷な旅路である。日陰の無い長く続く道を、歩き続けるだけの毎日だ。彼が耐えられるという保証はなかった。だが、
「そのつもりです。このままここに居てもしようがないですし。」と割とあっさりと言った。ただ、と言葉を止める。
「ここを動かなかったのには訳がありまして...。でも、今日で解決しそうです。」
「貴方が、ここにいらっしゃったので。」

なにを言っているか分からないが、なんとなく嫌な感じがする。
こう言う時に、この世界の荒唐さにあてられてしまった私の頭は、己が命よりも、興味がまさってしまう。
「どういうことですか?」
なるべく悟られないよう、声を抑えた。
母親は実は死んでおらず、彼女に食べさせる栄養を探しているのだとか、
はたまた私を奴隷にでもして、留守の間この家を守らせようとかしているのかも知れない。どちらにせよ、訊きかえさずに逃げたほうが良かったかもしれない。
波の音と、太陽の光の前にかききえそうな彼の言葉が、確かに聞こえた。


「菅沼さん…。あなたは、“葬式”って知ってますよね?」

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