暮れの噺
正月か暮れかで言うなら圧倒的に暮れ派で、「明日できることは明日に回す」とか「年が変われば潮目が変わり、なんか突然爆売れする」など、ぼんやり考えてしまう噺家にとって、暮れは最高の季節だ。
あれやり残したなと思いながら呑む酒が
暮れだとなぜか格別美味い。
落語もそのためか、華やかな正月の噺よりかは暮れの根多に名作が多く、なかでも「芝浜」はその代表作で、僕も先日手を出してみた。
「芝浜」始めました。
同門の若手三人で定期的に開催している「三琳会」の話し合いで、半年に一度はゲストをお呼びしよう、ということになった。まずは夏に一朝師匠、その半年後の暮れに師匠である文蔵に来てもらうつもりで、会場の「日本橋社会教育会館」の空き状況を見てみると、たまたま12日が空いていた。
「あ、芝浜やろ」と決めた。
なんで?と疑問を抱く方もいらっしゃると思う。それは仕方ない、いま書いている僕自身「なんで?」ってツッコんでいる。でも、思っちゃったのだ。
少し真面目に考えると、「芝浜」という噺が自分の中で妙に神格化して手が出せないみたいな話を師匠としたときに「あれは筋がしっかりできてるから、普通にやれば形になるよ」と言われた。
確かに、演者が勝手にかかっているだけで、お客さんからすれば「あぁ芝浜だぁ」くらいで観ているはず。暮れの噺でタイミングも合ったので、手を出してみたくなった。
公演内容が決まると師匠に電話する。
「明日、家行っていいですか?」
「え、なんで?噺家辞めるの?」
「いや、もう少し続けます。師匠をゲストに呼ぶ会で『芝浜』やりたいので、お願いに行こうと思いまして」
「ああ、うん。いいよ。勝手にやりなよ」
「わかりました、あげはどうしましょう」
「ああ、うーん…当日で」
ガチャ
こうして有観客による壮大なあげの稽古が始まった。
当日は会場の関係で、18時45分開演で21時終演という、なかなかタイトな時間設定。前座を含む五人の落語を二時間の中に収める。
タイムスケジュール上では、朝枝、㐂いちが各20分。師匠が25分で降りてもらえば20時に高座に上がれる。一時間あれば充分。
お客さんも入り、前座が会場をあたため、朝枝にバトンが渡る。
「行ってきます」
いつもの言葉だが、その中に「トリ、頑張ってくださいね」という激励を感じるそんな「行ってきます」だった。可愛い、そして頼りになる後輩、盛り上げてくれ。
そうして彼は朗々と25分、たっぷり喋って帰ってきた。
「あれ、なんで伸びた?」
知らん。
記憶喪失という新手を使い朝枝はひょうひょうと楽屋に戻る。
「兄さん、任せて。時間戻しますから」
二番手の㐂いちが声をかけてきた。感情と情熱で動くタイプの彼が、人のために時間を気にするようになったとは。確かな成長を感じ、高座に送り出した。
情熱たっぷりで、25分やりきって帰ってきた。
「あれ、時計おかしくない?」
降りてきた芸人は常に何かのせいにしている。時間を戻す役目のはずの二番手は、傷を拡げて楽屋に戻っていく。
「あの、師匠。すみませんが25分で高座、お願いします」
「ばか、そんなにやらねえよ。面倒くせぇ」
格好良い。ぶっきらぼうの言葉の裏に優しさを感じる。やはり師匠という存在は偉大なもの。若手二つ目とは違う、どっしりとした余裕がこちらを安心させるのだ。
だから、どっしりとした存在感でたっぷり35分喋って帰ってきた師匠にはなんにも言えなかった。
「ごめん、やりすぎた」
変にごまかさない、まっすぐな謝罪の言葉が出るあたりが真打ちの度量だなと思い、中入りを迎える。
せめて中入りで巻き返したいという気持ちがアナウンスからも滲み出ていた。
「休憩になりますが、お手洗いにはなるべく行かないで下さい。すぐ始めますので」
聞いたことないアナウンス。そりゃそうだ。三人の芸人が25分延ばしているのだ。
僕が高座に上がるとき、すでに時間は20時25分。持ち時間は35分。芝浜は約40分だったので5分ぶん刈り込んで終わらせる。
どのシーンも抜かず、必要な間は取り、余計な言葉は省いていく。
かっつぁんが「夢になるといけねえ」と自ら戒めたとき時間は20時59分だった。
出来に関してはわからない。それでも心を込めて、時間も守った高座で、とりあえずはほっとして楽屋に入る。
師匠は帰り支度を終え、靴を履きながら
「おつかれ。まあ、いろんなところでやってみなよ。でも、ちょっと後半、トントンやり過ぎじゃない?もっとゆっくりやりな」
こうして持ちネタの中に「芝浜」が加わった。
この根多は十年後、二十年後、どう変わっていくのだろう。言われたとおり、大間で時間たっぷりにやるのか、逆にいま以上に短く軽くなるのか。
とりあえず台本の冒頭には「ゆっくりやる」と書き込んでおいた。