決闘
物事を忘れている時というのは、妙にそわそわするものだ。
なにかが違う、いつもと違う。
14時開演の落語会の開口一番。出演は僕と師匠のみ。
いつも通りの時間に楽屋入りし、ケータリングをつまみ、根多帳を見ながらネタを選び、着物に着替えて帯を締める。
普段となんら変わらない作業なのに、なぜか、しっくりこない。
「なんだろう、この違和感」
そうして急に、なにか大事なことを忘れているのではないかと不安に襲われる。
たいていそういった不安は的中するもので、思い出した頃には、その用事が終わっていたりするのだ。
「もういいよ、貴方が来なかったから、すべてこちらで済ませました」
この冷たい台詞が、ひとの用事を蔑ろした者への報いである。
こうなればひたすら、詫びるしかない。
「なんだっけ…」
こめかみに指を当て、しばらくして「もしやっ」と携帯の履歴を見返す。その不安の種が見つかった。
三日前の着信で「ヴォルデモート」としてある。
そうだ。
今日14時からヴォルデモートとの対決だったのだ。
三日前の夜だった。ナッツをつまみにウイスキーを舐めていたから、おそらく23時を回っていただろう。
記憶が徐々に曖昧になってくる時間帯に、急に着信が入る。心地よいまどろみは終わりを告げ、代わりに緊張状態が訪れる。
知らない番号だ。
深夜の知らない番号ほどおっかないものはないが、必ず電話は取る。芸人たるもの、いつ何時も仕事をうける心構えでいなくてはいけない。
画面をスワイプして電話を取ると
「やぁ」
とこれまた知らない甲高い声である。
「はい、文吾です。それか、中西です。どちら様ですか」
「ふふふっ」
不適な笑みだが恐ろしい、とは思わない。
物事を端的に言わないで含みを持たせる人間は、たいがい小物であるから。
「おれだよ、わからないかい」
わからないから「どちら様ですか」と聞いているのだ。要領が悪い。
「はい、わからないです。誰でしょうか?」
「おれだよ、ヴォルデモートだよ」
ヴォルデモート。
たしか、小説「ハリー・ポッター」シリーズの悪の親玉。ハリーの両親を殺し、ハリー自身にも強力な魔法を掛け、額に稲妻の傷を負わせた張本人。
鼻が欠け、皮膚がガサガサのあの魔法使いだ。
「ヴォルデモートって、あの、ヴォルデモートでいいんですか」
「そうさ。ヴォルデモート本人さ」
少し疑ったのは、声が「フリーザ」とそっくりだったのと、「名前を言ってはいけないあの人」のはずなのにがんがん名乗っているから。
「怪しいですね。本当に本人?ヴォルデモートって名前、そんなに連呼していいんですか?」
「いいんだよ。一般人は名前を言ってはいけないだけで、おれは連呼していいんだよ、だっておれは本人なんだから。本人が名乗れないって不便だろ」
急にオタクみたいに早口でツッコんでくるが、まぁ一理ある。
「はい、で、なんのご用でしょう?」
「おれと決闘しよう」
非常に面倒くさかった。緊張も解け、酒が再び回ってきたところで、決闘のことを考えなくてはいけないのだ。引き受けるなら闘い方も思案せねばならない。
「えー、いつですか?」
「三日後の14時。場所は伊豆だ」
カレンダーをみると空いている。翌日はあげの稽古だったが、とりあえず台詞は覚えていたので、問題はないだろう。
引き受けることにしたのは、断ると、それはそれでねちねち言われそうだったから。この会話も終わらせて早く酒を飲み直したかった。
「はいはい、わかりました。14時に伊豆ですね。行きます。詳細教えて下さい」
「おう、いいだろう…」
すんなり引き受けたので上機嫌のヴォルデモート。それから当日の新幹線の時間や、チケットを持った男の特徴などを矢継ぎ早に伝えてくる。
さらには、伊豆に来るまでの途中で、どうしても食べてほしい「みずまんじゅう」のお店をゴリ押しされた。ここはどうしても寄ってほしいと懇願されたのだ。
決闘を引き受けた時点で興味を失った僕は、水割り片手に「へいへい」と頷く。
なぜこういう細かい説明を深夜にするのだろ。常識的に翌日の朝するべきだろう、と考えていたら「じゃあな」という声と共に電話が切られていた。
ここで、カレンダーに「ヴォルデモート14時」と記入しとけば良かったのだが、三日後だから忘れないだろう、高を括ってしまったのが失念の原因だ。
その翌日、文蔵独演会の電話をもらい「はい、その日空いてます」と返事をしたのだ。
さて、困った。
あと30分で決闘が始まる、しかも場所は伊豆。落語会の会場は渋谷なので、どう考えても間に合わない。
隠してもしょうがないので師匠にわけを話すと
「そっちが先約なら決闘に行きなよ。ちゃんと詫びるんだぞ」
と優しいお言葉。すんませんと頭をさげて、着替えた時に着信が入る。ヴォルデモートだ。
「おう、こちらは準備万端だ。お前を八つ裂きにしてやる。もう着くころだろぅ?」
「すいません、あのですね。ほんっっとに忘れてまして、いま渋谷です」
「なっ、なにぃ」
それからはヴォルデモートによる罵詈雑言の嵐。こちらがどんな気持ちで支度してきたか、新幹線代はどうするのか、など、苦情の山である。
そして、話の節々に「なぜ忘れたのか?」と聞いてくるのだ。
この小言は一番やっかいで、忘れたことに理由なんてないのだ。いつまでも解決しないことをぐちぐち言われても答えようがない。
ぼくなら日程を改めるとか、とりあえず早く来いと電話を切って新幹線に乗ってもらう。小言はそれからだ。
遅刻しているこちらが悪いのだが、いつまでも終わらない電話に付き合っていても仕方ないので「すぐ行きますね」とひとこと言って電話を切った。
道玄坂でタクシーを停め、運転手に「伊豆まで」と伝えると
「長旅ですね、付き合いますよ」とうきうきしている。
新幹線で行かなかったのは、新幹線代よりかかる交通費を自分で払ったことで、相手の溜飲を下げたい狙いがあったから。
到着時刻を伺うと約三時間後。タクシーに揺られている間もヴォルデモートからの着信は止まらない。無視をしていると、こんどはメッセージで文句を送ってくる。
そのすべては「なぜ、忘れたのか」の一点張り。学のないやつだ。
数々のメッセージを返すことなく読んでいると「みずまんじゅう云々」の文章で、また思い出した。
「運転手さん、すいません。○○っていうみずまんじゅう屋さん、わかります?」
「ああ、伊豆の名物ですよ。寄りますか」
高速降りて運転手が案内してくれたお店は、どうやら老舗の人気店らしく、のぼりにはでかでか「名物・みずまんじゅう」と書かれてある。
とっとと買って向かおうと思ったのだが、なんとそのお店は、自分でみずまんじゅうを手作りしなければいけないのだという。
「結構時間掛かりますよ、二時間くらいですけど、大丈夫ですか?」
悩む。もうすでに三時間遅刻のうえに、みずまんじゅう作りで二時間。五時間も待たせたら、かんかんどころか帰ってしまう。それではタクシー代も無駄になる。
だが、記憶のかすかにあるのは、三日前に嬉々としてみずまんじゅうのうまさを語っていたヴォルデモートの声。これは遅れてでも、味の感想は言うべきだろう。
二時間かけてできたみずまんじゅうはふたつ。皮が透明で餡が透けてくっきり見える。なるほど、ビジュアルは良いなと口に運ぶと、まあわりと想像通りの味で「おぉぅ」ってなった。感想どうしよう。
「ね、たいしたことないでしょ?見た目は綺麗なんですけど、味はねえ。まあまあなんで感想に困りますよ」
運転手も笑いながら同情してくれる。
ヴォルデモート、本当にセンスがない。
伊豆の荒野。砂吹雪が舞う砂漠の土地に、ヴォルデモートはひとりぽつんと座り込んでいた。
タクシーが着くやいなや、しわくちゃの金玉みたいな顔が真っ赤になる。
支払いを済ませ、車外に出た途端、信じられないほどの怒声で、今までの鬱憤をまくし立ててきた。
何時間まったと思ってるんだ。なぜ電話に出ないんだ。なぜ、忘れたのだ
口の端に泡をつけながら目一杯喋る。早すぎて言葉の量に舌が追いついていない。
「貴様、どんな風に育てばそんないい加減な」
「アバダケダブラ」
死の呪文を唱えたのは僕。杖から光線が発射され、ヴォルデモートの身体を貫く。
「うおぁぁぁぁぁ」
言葉にならない絶叫ともに、ヴォルデモートは絶命した。
見事勝利を収めた。
ヴォルデモートがやってしまったミスは、車を降りたその時点で決闘はすでに始まっていることに気がつかなかったこと。
遅刻は悪かった、しかし、決闘とは関係がない。
それに、電話やメッセージと同じことを繰り返し言っている。
こんな小言に耳は傾けていられないし、第一うるさい。
そして、一番許せないのは「なぜ、忘れたのか」という答えようのない質問を再度問いかけたこと。
小学校の頃、担任が忘れ物をした生徒に対し、長時間「なぜ、忘れたのか」と繰り返し問いかけているのをみて、腹が立ったのを覚えている。
注意としてのセンスがない。
その嫌悪感が、早々に死の呪文を引き出す引き金になったのだ。
さようなら、ヴォルデモート。みずまんじゅう、たいしてうまくなかったよ。
お別れを告げたところで、目が覚める。時刻は午前6時。
変な夢だった。
もういちど布団に潜る。
ぬくぬくしながら、解決しない質問を繰り返し、いまこうして早起きまでさせたヴォルデモートに向けて「アバタケダブラ」とつぶやいて二度寝した。
※夢の話なので「みずまんじゅう」
なんてありません。けど、たべてみたい。