立庭和奈の人生はペーソス 1その2
しかしその思わぬ凸凹に潜む落とし穴こそ、日々の生活に彩りを加えてくれるものであり、いわば人生におけるペーソスの持つ醍醐味です。以前お話しした、ブラック企業や働き方改革にまつわる仕事のあり方にしても、これと同じです。企業が新入社員を子供扱いしてしまい、若者が会社の仕事を通して、自分自身の成長を感じられなくなってしまった、と言う事は、新しい制度の元用意された、ある意味平坦な道のりでは、つまらないと言うことです。そしてこの状況は多くの識者が指摘する様に、もはや不可逆的なものであります。
この事は、およそあらゆるものに当てはまり、世の中全ての現象に見られる事なのです。つまり、制度や基準が整い、洗練されてしまうと、ある種の旨味や面白味が減ってしまうと言う事です。この場合は、企業経営者がある程度お金に物を言わせて、労働者を思うように動かす事が出来たり、上司や先輩が経験則により、社会性を逸脱しながらも、結果を出せる道を指し示す事が出来た、そんな企業にとって一面黄金期であった時代は過ぎ去ったと言う事を意味します。そしてそれに合わせて、理不尽で予測不能で不可解でサプライズ的な出来事は影を潜めることになります。
料理もそうですよね。もしも給食が、コース料理のように完璧に出来上がったものであれば、そこには受け手の創造性が介在する余地はほとんど無くなってしまいます。シェフの作り上げた作品を、享受し賞賛するのみのやり取りになるのですから。そうすると、一昔前の学校給食を知る物からすると、洗練され行き届いているであろう現在の給食は、食育という観点からは申し分はないものの、凸凹からうまれる面白味は無いように思われますし、ルールや制度が整った職場環境では、時に上司やお客さんに、グルングルンに振り回されてしまうような、ダイナミクスは生まれにくくなってしまうと思われ、一抹の寂しさを感じてしまうものです。不謹慎ですがね。
児童や学生は、給食の時間以外に楽しみを見出せば良いですし、新しい時代には、また違った不都合を乗り越えて行く努力も必要となってくる事でしょう。ひるがえって、若い人や新人の社会人は、これまであったような会社や上司が砥石となり、自分を磨いてかつ楽しませてくれる機会は減って行くなかで、どうすれば良いのでしょうか。それに対する答えは簡単です。一つは、前にもお話ししました様に、それらの企業を道具として利用してしまうこと。自分に必要なスキルを身につける機会ととらえなおすこと。つまり一昔前の雇用者と被雇用者の立場が、逆転する状態ですね。もう一つは、自らが起業家になってしまう事。人からイベントを与えられるのを待つのでは無く、自分でイベントを作り出して行くという事です。しかもこれは、これからの時流にも合った行動となり得ます。今後、大企業の時代から、ますますスモールビジネスが大手を振るう時代になると言われています。製造業の作り出すモノからサービス業の提供するコトへの移行、銀行融資を柱とした実績重視からクラウドファンディング等を利用したアイデアや熱意が形になる時代という説明の他に、産業活動の主役である働き手の、楽しんで参加できる舞台が移り変わるという、こんなところからも時代の趨勢が読み取れてきます。