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思い出してほしい。2018年、愛媛FCは行動をおこし、『この街』を助けてくれた。今度は、ぼくらが行動をおこし、選手たちを、クラブを、支えるときだ。

愛媛FCを応援するきっかけとなった川井監督

こんにちは。たちばなと申します。私は愛媛県宇和島市で生まれ、高校を卒業する2002年まで宇和島で暮らしました。親戚のおじさんと、いとこの兄ちゃんがサッカーをやっていたので、サッカーボールやスパイク、練習着をもらったりして、物心がついたときには、サッカー好きの少年でした。小学2年でサッカーチームに入って、その後、中学、高校、大学のサッカー部でサッカーを続けてきました。自慢できるような大きな成績は残せなかったけど、サッカーを通じて心から信頼できる友だちができたし、忘れられない思い出がたくさんできました。私の人生の大きな部分を作りあげてくれたのはサッカーです。最初に勤めた会社も大学サッカー部の先輩に声をかけてもらったから入社試験を受けました、すぐに退職しちゃったけど…w

社会人になってからは、サッカーをプレーする機会はほとんどなくなってしまい、日本代表戦などテレビ中継されるような注目度の高い試合だけを見る程度だったんですが、2018シーズンから熱心に愛媛FCを応援するようになりました。キッカケは愛媛FCの監督に川井健太さんが就任したことです。

川井さんとは中学が同じでした。私が中1のときの中3で、サッカーもできるし、背も高いし、イケメンということで、地元のサッカー小僧だけにとどまらず、川井さんの前後の二学年で、川井健太さんを知らない奴はいないというぐらいのスーパースター的な存在でした。大してサッカーがうまくない中1の私が話をするチャンスなんて、1ミリもありません。でも、先輩に憧れるのは自由ですから、いつも『川井くんのシュート、がいな(スゴイ)ねぇ…』などと同級生と小声でおしゃべりしながら、3年のシュート練習のボール拾いをしていたものです。川井さんとは、まともに練習を共にする機会すらなく、そのまま中学を卒業して愛媛FCユースに入団されました。同じ中学の先輩ということで、ときどき、ふと思い出しては、今どこでプレーしているのか、試合に出て活躍しているのか、友だちに聞いたり、ネットで調べたりしていました。

川井さんが大学卒業後に愛媛FCに入団、その後JFLからJ2に昇格したと知ったときには、お兄さんの川井光一さんとともに、とうとうJリーガーになったんだ!地元宇和島の誇りだ!と思いました。でも、現役を長く続けられず引退を知ったときには、プロの世界の厳しさに、あんなにサッカーがうまかった川井さんが活躍できないなんて…と素人なりに想像し、落胆すると同時に、Jリーグでプレーするサッカー選手たちに対して、これまで以上の尊敬を持つようになりました。

そんな川井さんが愛媛FCの監督に就任すると知ったとき、まず、当時36歳という年齢に驚きました。また、就任の経緯が、リーグ戦の真っ只中、成績不振での監督交代ということで、かなり大変な仕事になるだろうなと思いました。でも、期待もしました。大きな経験を積んで、立派なサッカー指導者になって欲しいと思ったからです。それ以来、愛媛FCの情報を今までよりも積極的に取りにいくようになりました。次第に試合観戦へ足を運ぶようになり、勝ち負けのたびに一喜一憂する日々の始まりです。

最初は川井監督を応援しよう、ぐらいの気持ちだったのですが、試合を観るうちに、選手の特徴や個性なども見えてきます。私は都内に住んでいるので、関東開催のアウェイ戦を観戦することが多いです。現地観戦で忘れられない試合は、2019年のフクアリでのジェフ千葉戦。前半で2点リードされながらも、タフに戦って後半に3得点を挙げ、逆転した試合です。この試合は、前半のハーフタイムのときには、もう、今日は負けだと、正直諦めていたんですが、選手たちは諦めずに戦い続けていたと、目の前でハッと気づかされた試合でした。攻撃的な選手だけど感情をあまり出さないタイプなのかなと、勝手に思っていた丹羽選手が逆転ゴールを決めた直後、アドレナリン大放出で興奮そのままに、ゴール裏に控える愛媛サポの目の前に来てくれたときの驚きと嬉しさったら、女性に告白して初めてOKをもらったときと、大学受験に合格したときの次くらいの喜びでした。川井監督だけでなく、愛媛FCの選手たちを応援したい気持ちはどんどん大きくなりました。

ぼくたちの愛媛FCが苦しんでいる。

前フリが長くなりました。すみません。今、愛媛FCは、27節を終えて最下位に沈み、浮上のきっかけを作れず、苦しんでいます。

コロナ禍の影響で、今シーズンは降格がありませんので、たとえ最下位でシーズンを終えたとしても、来シーズンJ2で戦うことができます。でも、それは、クラブが存続していることが前提です。事実、サガン鳥栖、ベガルタ仙台など、J1クラブが経営危機に陥っています。

コロナ禍という異常事態において「規模の小さい地方Jクラブの消滅」は十分に起こり得ると、とても心配しています。コロナ禍と成績不振というダブルパンチで、とにかく先行きが不安だらけで、希望が見えません。

愛媛FCの選手やチームスタッフ、そして、バックオフィスで働く職員たちも、『これから愛媛FCはどうなるのかな?』という漠然とした不安とストレスを抱えたまま、次々と目前に迫り来る試合に向け、日々、準備をしているのではと思います。

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思い出してほしい。2018年、愛媛FCは行動をおこし、僕らを助けてくれた。今度は、苦しんでいる選手たちのために、僕らが行動をおこし、彼らを支えるときだ。

ぼくは、いつものように、ツイッターで『愛媛FC』と検索し、少しでもポジティブな情報はないかなぁ、なんて思いながらスマホをいじっていました。そのとき、なんと言いますか胸がぎゅうっとなったんです。2018年の西日本豪雨のときに復旧活動に取り組む愛媛FCの写真や映像などを見たからです。『もう、あのときのこと、忘れてるじゃん、愛媛FCに何も返してないじゃん…』って。そんな感じのことを思いました。

2018年7月6日から7日にかけて、愛媛県内では大雨が降り、土砂崩れや河川の氾濫で、大勢の人が亡くなり、住む家を無くしました。ぼくの地元、宇和島も大きな被害がありました。

そんなとき、いち早く立ち上がって、復旧復興のために動いてくれたのが、愛媛FCの選手、スタッフたち。

この土砂のかき出し作業は、7月8日に行われた第22節アウェイ岐阜戦の翌日でした。その後も、9日、10日と連日にわたって、愛媛FCの選手、監督、コーチ、事務局スタッフの皆さんで、復旧作業に取り組んでくれています。

トップチームだけでなく、レディースの選手たちも仕事と練習をしながら、被災地に足を運んで作業をしてくれました。そして、サポーターも。

被災直後の岐阜戦は、リードされた展開から前野選手と有田選手のゴールで逆転勝ちでしたね。最高でした。嬉しかった。

そして、この岐阜戦から1週間後に行われたのが、四国ダービー。再三のピンチをDF陣の踏ん張りと、岡本選手のビッグセーブで守り切り、試合終了間際、有田選手がゴールを決め、1-0で愛媛FCが勝ちました。

日々のトレーニングをこなしつつ、空いた時間で宇和島市や西予市まで出向き、土砂のかき出しをやって、試合当日にはスタジアムの前に立って被災地支援を呼びかける活動をしたうえでの四国ダービー勝利。魂が揺さぶられて、感動しましたし、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

そして、連勝。

愛媛FCを離れていたときにも、愛媛のことを思ってくれていた選手も。

そして、時間が経っても、被災地のことを忘れず、風化させない。

そして、ここぞというとき、上位に勝ってくれた。すごく嬉しかった。

そして、いつも地域の人たちと交流して、繋がろうとしてくれて、

コロナで、身近にコミュニケーションを取ることが難しいときには、贈り物をしてくれたり、

コロナ対策の支援をしてくれたり、

ときには、出身地のことも気にかけたり。

これらは、ざっと振り返った一部です。

愛媛のためだけでなく、東日本大震災の被災地である名取市閖上で復興ボランティアとして作業したり、復興支援マッチを開催したり、また、南相馬市のマーチングバンドSeeds+と交流したりもしています。

愛媛県内外での様々な活動を通じて、ぼくたちを支えてくれている存在、これが愛媛FCなのです。こんなに大事なことを忘れていた。ダメだ。サポ失格だ。

選手が、クラブが、苦しんでいる今こそ、スタジアムに足を運んでルールを守って、私たちが手拍子で選手たちを支えるときだと思います。今シーズンが終わったとき、結果がどうなるかは、わかりません。結果がどうあれ、クラブとサポーターは、お互いに支えあう存在だと私は思います。

どうか、少しでも多くの人の心に、愛媛FCのこれまでの取り組みを思い出してもらい、愛媛FCのために、ニンスタの観客席をオレンジ色に染め、選手を後押しできたらいいなと思っています。選手たちに、クラブに、少しでも恩返しをしないといけないよね、と思うのです。頑張れ愛媛FC。諦めるな。

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