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祖父に愛されていたという事

こんにちは。
10月に入ったというのに汗ばむ陽気が続きますね。
先日子ども達の運動会がありました。日差しが痛かった~!
今日は、運動会でママ友と話していたら、なぜか20年前に亡くなった祖父の事を思い出したというお話です。

長男との挨拶

さて、昨今の運動会はコロナにより余計な種目を省略し、午前中で終了します。今年もそんな感じで場所取りもなく保護者は立ち見、早起きして作る二段弁当も必要ありません。
そんなわけで、今年も気軽に運動会を観戦しておりました。そして、うちの子達が出演していない時間にママ友と談話中、近くに座る長男と何度か目が合いお互い手を挙げて挨拶したのでした。思春期に入ってきてますからね、控えめにやってくれました。
(こうゆうの、なぜか低学年の次男には無視されます(-_-;))

するとママ友が、
「長男君、下校の時に会ってもそうやって挨拶してくれるよー」
と教えてくれました。不愛想で恥ずかしがりで、よそのお母さんにろくに挨拶しないヤツだと思ってたので意外でした(もちろん挨拶するように教育していますがね)。

耳の遠い祖父との思い出


うちの父は末っ子長男で、祖父母にとって遅くにできた子どもでした。そのため内孫を持ったのも遅かったのです。高齢だった祖父母とは一緒に遊んだというよりは、一緒の空間にいたという感じです。小学生の時は、いつも大岡越前の再放送を観ながら母の帰りを待っていました。
私が中学生頃になると祖父の耳は遠くなり、会話をしても通じないことがよくありました。家族で夕飯を食べていて、父が祖父に何か報告があってもなかなか聞き取れず、祖父は「そうか」と短く言い、分かったふりをしていました。子ども心に何だか切なく、しかし祖父の毅然とした態度はかっこよかったのを憶えています。

また、母は仕事に出ていたので、私が学校から帰ると出迎えてくれるのも祖父でした。ただいまーと言っても聞こえないので、いつしか私たちは手を挙げあって挨拶をしていました。そう、今の長男と同じです。
離れた場所からでもいい、言葉を交わす必要もない、ただお互いの存在を認め合う、というところでしょうか。

見守られ、愛されていた


前項で述べたように、祖父母と遊んだとか、どこかに連れて行ってもらったという記憶はありません。高齢の祖父母はテレビを観たり、オセロをしたりのんびり過ごしていて、その空間に孫の私がこたつでごろごろしながらお邪魔させてもらっていたという感じです。それでも、私が母から怒られるとかばってくれたり、いろんな事をほめてもらったり、祖父母のいる空間は安心できる場所だったのだと思います。

「そうだ、愛されていたんだ」
私は運動会の日の夜、20年前に亡くなった祖父を思い出し、こう確信して眠りについたのでした。
「じいちゃん、ありがとうね」

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