🌸『走れ、白狐。』
どちらかと言えば、体が弱い。
医師からも、激しい運動は控えるよう言われている。
それなのに、走らねばならない。そんなこともある。
数年前。私がまだ、祈祷師ではなかった頃の話。見える(だけ)子ちゃんだった時分のことだ。
旧青森駅の改札を抜け、連絡通路へ向かうエスカレーターに乗った。
ぴちぴちギャルだった私は、ハイヒールのロングブーツ。
ちらつき始めた雪をも恐れぬ格好で、ヒールの音高らかに闊歩していた。
青森から、他県にある自宅に帰る途中だった。
スマホをいじりながらエスカレーターを降り、連絡通路を渡る。
ふと、目の端に色が飛び込んできた。
顔を上げて見れば、通路の壁に掲示されたポスター。
緑豊かな背景に、所狭しと並ぶ狐の石像。
十や二十ではない。ざっと数えても、五十はいる。
それは、東海地方にある大きな稲荷神社のポスターだった。
京都の伏見稲荷大社に参拝したことはあったが、ここには参拝したことがない。
青森は、いい所ではある。しかし一方で、どこに行くにも一苦労だ。
縁があったら、参拝に行くこともあるだろう。
裕福でない会社員は再びスマホに視線を戻し、ポスターを通り過ぎた。
――すると。
「おたま?」
小さな声が、鼓膜を揺らす。
私の名ではない。無視して歩いていると、
「おたま?お玉か?」
懐かしい人を呼ぶような声が、また響いた。
お玉。ずいぶん古風な名前だ。
視線を上げ、名前の主をなんとなく探す。
しかし通路にいる人影はまばらで、誰も声を聞いているそぶりはない。
誰にも聞こえない声。
嫌な予感がして、私はポスターを振り返った。
「お玉!やはりお玉じゃ!」
バチッと目が合った瞬間、ポスターの狐が全員揃ってこちらを見た。
音が出そうなほど、訓練された動きである。
後ずさりすると、案の定ポスターの中から狐がどんどん飛び出してきた。大きい狐、小さい狐。
姿は一匹ずつ違うが、みな総じて新雪のように真っ白だ。
「ひ、人違いです!」
私は逃げた。
動物は好きだ。だけど、五十匹か、それよりたくさんの狐の集団ははっきり言って怖い。
さらに言えば、私はお玉ではない。
橘は祈祷師名だが、本名さえ似ても似つかぬ名前だ。
お玉って誰やねん!
ヒールをカツカツ言わせながら、「あれは幻」と自分に言い聞かせる。
今までも人物写真や神社仏閣の写真を通して、被写体と繋がってしまうことは何度かあった。
だけど、これは幻!
閑散とした青森駅で、白狐に追われるなんて幻よ!
競歩で通路を進みながら、ちらりと振り返って様子を見る。
白狐の集団は、
「お玉じゃ!お玉が帰ってきた!」
嬉しくてたまらないと言わんばかりに、飛び跳ねながらすぐそこまで迫っていた。
このままでは、自宅までついてくるかもしれない。
私は意を決し、
「私はお玉じゃありません。人違いです。お引き取りを!」
狐たちを睨みつけ、そう念じた。
とたん。
白狐の集団はぴたっと歩みを止め、悲しそうに私を見る。
人懐こい何匹かがそろりと足元に来て、
「お玉じゃぞ?」
「お玉なのに…。」
不思議そうな顔でふんふん鼻を鳴らしたが、そのうちしょぼくれて一匹、また一匹とポスターへ戻っていった。
可哀想とは思ったが、あのままでは早晩通路が白狐で埋まってしまう。
自宅に戻った後、友人にこの話をした。
すると彼女はたいそう立腹し、
「何で逃げたの!白狐のご利益で、金運が上がったかもしれないのに!」
ひとしきり羨ましがった後で宝くじを買うよう真剣に勧めてきたが、私は買わなかった。
後日。
明け方なんとなく目覚めると、大きな白狐を連れた女性が立っている。
ふわふわの柔らかそうな髪に、真っ白い着物。半襟は朱赤だ。
「先日は、失礼いたしました。」
女性は、ポスターの狐たちのことを詫びた。
彼女曰く、私の元にいるお稲荷様の名がお玉らしい。
「お玉は昔、私の社で修業をしていたことがありました。ですから眷属の狐たちは、嬉しくなってしまったのでしょう。」
なるほど。それで、あの喜びようか。
神仏の昔が、どれほど前なのかは分からない。
しかしどれだけ年月が経っても、お玉はかつての同僚に歓迎された。
その上、神様みずから事情説明に来てくださったのだ。
よほど、働き者かつ人気者だったのだろう。
「あなたもいつか、参拝にいらしてくださいね。」
神様は微笑んで、消えていった。
まだ叶ってはいないが、いつか機会があればと思う。
そこからさらに、数年後。
伏見稲荷大社を参拝の折、
「あなたの元にいる稲荷で、うちで修業したものがいますね。」
本殿の神様にそう教えてもらったことがあった。その稲荷の名は、お玉。
聡明で優しく慈悲深い彼女を、私はずっと姉のように慕っていた。
だから名前が分かった後も、お玉ちゃんとフレンドリーに呼んでいたが…。
伏見稲荷大社。豊川稲荷神社。
もしかして、お玉ちゃん。稲荷神の中でもかなり古株なのでは…?
このエッセイを書くに至り、お玉ちゃんに確認したところ、
「そのようなことはありません。私は、修行中の身です。」
出会った時から一寸も変わらぬ微笑みで、首を横に振られてしまった。
大きな稲荷神社で修業を積みながらも、彼女はただ静かに笑っている。
神仏は決して、驕らない。また、必要以上に謙遜もしない。
どんな時であっても、己を正しく見つめている。
お玉ちゃんが修行の身というのであれば、彼女にとってそれが事実なのだろう。
そんな彼女を、大変誇らしく思う一方。
どこまでも己を高めるお玉ちゃんを感じるたび、私は己のぽんこつさに恥じ入るばかりである。