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🌸疫病神-まくら-
えー…誹謗中傷と言う言葉がございます。
昔は面と向かって「おい、そこの馬鹿!」「とんま!」と罵ろうもんなら、「やいやい!お前さん、それは誹謗中傷でぃ!」という事になったものではございますが。
今は時代がとんと違う。
インターネット―とりわけSNSの世界は、とにかく複雑で分かりづらいものでございます。
うっかり特定の誰かをネガティブな言葉で表現しようものなら、どこからともなく警告が入る。
今時はAIを導入し、オートでマティックに誹謗中傷を検索するシステムもあるらしい。
それで世の中、人と人が傷つけ合わなくなるんだったら、どんなに話は簡単か。
でもねぇ、人間ってのは誹謗中傷を規制されてもまったく懲りやしない。
それどころか、AIに見つからねぇよう、一見誹謗中傷に見えねぇようなあれやこれやの工夫をして、他人を言葉でこき下ろそうとする。貶そうとする。
言葉ってのは、使い方一つで毒にも薬にもなるものでございます。
そういえば最近、回転すし屋に悪さする人の話がニュースになったでしょう?
あれね、アタシとても恐ろしかった。
何が怖いって、義憤にかられた大勢の人間が、悪さした人達の住所やら学校やら、ご両親のお仕事やら…何もかにも調べつくして、インターネットで情報をさらしたでしょう?
大勢の人間が、正義の心とか「こんな奴は、断罪されるべし!」という気持ちで、犯人や犯人の家族の個人情報を次から次へとリレーした。
アタシの会社でその話が出た時、若い子が当然のように「犯人ざまぁみろ。個人情報をさらされて、社会的に滅びればいい!」って言ったの。
ぎょっとしてアタシ、何にも言えなかった。
これが、今の時代の価値観なのかしら。
悪人は法で裁かれても、人が人を断罪する権利なんざない。
アタシには、ツイッターで流れてくる犯人の個人情報が増えるたび、大勢の人が正義の笠を着て、一人の悪人を殴っているようにしか見えなかった。
こんな事件、歴史を見渡せば数限りなくある。
かの有名な推理小説家、江戸川乱歩の八墓村。
そのモデルとなった事件、津村百人殺し。
あれも悲惨な事件だったね。
突然、発狂した男が、罪のない村人達を猟銃で撃ち殺していく。
犯人自死の後、残された村人のやるせない怒りは、犯人のご両親に向かった。
頭蓋骨、陥没。内臓破裂。
村人達のリンチで殺されたご両親の遺体は、顔の原型も留めていなかったそうだよ。
なんと、悲惨な結末だろう。
会社の若い子が「ざまぁみろ」と吐いた時、アタシ、なぜか津村百人殺しの結末を思った。
傷ついた時、人はその悲しみを暴力にして他の誰かに向けることがある。
時代が新しくなって、暴力の種類もたいそう増えた。
そういえば、言葉も暴力になりうるね。
SNSで巡る謂れのないアレコレは、それを受けた人にとって暴力に等しいのかもしれない。
まぁ、ムカつく奴を完膚なきまでに叩きのめせたら、そりゃ清々するだろう。
でもそれで、何が解決する。
暴力の果ての清々しさは、誰を幸せにしてくれるんだろうね。
やれやれ、人間はいつまで同じ事を繰り返すのか。
そんな人間を、捨てずにずっと見守っている存在がございます。
日本は八百万の神様の国ということで、ありがたい神様もいれば、あんまりお世話になりたくない神様もいる。
例えば、貧乏神、疫病神、死神なんて神様もおりまして――…
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