都合の良いやりかたに辟易し、情報公開の重要さを知る
はじめに
これまでに僕が書いてきた記事を読んでいる人は分かると思うが、引退競走馬に関する話題において「殺処分は存在しない」というのが、僕の主張したいことである。
だからこそ、報道各社が引退競走馬に関する話題を記事にする度に、殺処分という文字が入っていると「その報道は違うだろう」と言及し、記事にしてきた。
なぜこんなことをいちいち言うのか?といえば、事実に向き合った上で、しっかり考えて欲しいという思いがあるから。
近年は、引退競走馬に関するクラウドファンディングでも「殺処分」という言葉が出てくる。実際に馬をやっている人間が殺処分という言葉を用いることについて、同じ馬をやってた側の自分だからこそ、そう発信することに憤りを覚える。
僕はこれについて、殺処分という言葉はインパクトがあるからこそ、その言葉を使ってカネを集めたいんだろう?という結論を書いて記事にしている。
いわば、カネを集めたいから強い言葉を使うけど、最終的にはそれが周囲の誤解を生む要因になると思っている。だからこそ、事実と向き合って欲しいのだけど、なかなかそうならない現実がある。
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スクリーンショットしたもの
先日、記事を公開したけれど、このクラウドファンディングも「殺傷処分」という、人の心を揺さぶるような強い言葉を使って、資金を集めている。
クラウドファンディングに関しては、企画者が文面を決める訳だからこそ、都合の良い情報を発信しやすい。それは、企画が終わったあともネット上にページは残る。だからこそ、世間に間違えた認識を広める要因のひとつになっていると思う。
どうすれば、こういう状況を変えることが出来るか?考えてみた。
食肉利用を悪にするな
僕の言いたいこととして、「引退競走馬に殺処分という言葉を用いるのは間違っている」と共に、「食肉利用を悪とするな」という思いがある。
以前、書いた記事でも触れているが、「肥育場から救う」という表現をしていたら、救う人が善で肥育場が悪という印象を人はどうしても持ってしまう。仮に、肥育場のあり方を否定しなかったとしても、救うという表現を用いた時点で、読んだ人はどう思うか?を情報発信する人間は考えなければならないと考えている。
都合の良い取材
僕は、記事を書いて間違っていると言ってきた。それでも僕の投稿は、この取材によると「非難する行為が目的」と思われたのか、何も得られるものは無かった。
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「セカンドキャリア 引退競走馬をめぐる旅」
の一説より
この中で、「投稿への反応は最小限にとどめ」とあるが、僕は記事を投稿して批判した段階でブロックされた訳だから、ここで言う「最小限にとどめ」は「ブロック」のことになる。
ブロックするということは、反応をしない、無視するということ。だから何をもって「最小限にとどめた」が、僕には分からない。
僕以外にも直接質問された方が居るようだが、その後、ブロックされたと話していた。要するに「最小限にとどめた」と書いているが現実としては、「無視をした」のだ。
これは、彼らの活動を記事にして批判を行った僕だからこそ、片野ゆか氏は僕に対して取材をすれば、「ブロックした・無視をした」と答えるが、実際のところ取材交渉は無かったからこそ相手の言い分を書くに留まった。
要するに、双方向からの取材をしていない時点で、この連載記事は相手の言い分を書いただけだと僕は思っている。
そもそも、なぜ批判されたか?と言えば、所有馬をサラブレッドオークションで売却したのが判明したからなのに、その事について記事内で触れてすらいなかった。
都合の悪いことには触れることもなく、連載記事にしたものを書籍化したからこそ、そこにリアルはないし、都合の良い内容しか載っていない。
僕は、そんな都合の良い内容しか載ってない本を読んでも、間違った知識しか得られないのだから、結局のところ世間に対しての理解は進まないと僕は思っている。
「否定する意図はない」と言ったのに
肥育場から救うという取り組みは、このような事があって、現在では代表者が替わっている。
内容も細かいところで変わっているが、相変わらず最後まで面倒を見るとは保証されていないし、売却することを前提としているのだから、それはれっきとした商売であって「救う」というのは誤解を生む表現だろう。
救ったからには、責任を持つ必要があると思うが、売却して1年後に報告してください。あとは何もありません。だと、肥育場へ戻る可能性もある。それを否定出来ないとなぜ説明しないのか?
これは、発足当初から知っている僕は気付くけど、動画を見て知ったとか、いわゆる「パッと見」ではそんな背景が分からない。
そして、人間はパッと見で騙される生き物だ。だからこそ、僕は注意喚起のつもりで記事を書いている。効果は然程無いと分かっているけれど。
数字を並べて説明し、競走馬のセカンドキャリアとして食肉利用という道もあるのだから、そのことを否定するなと僕は訴えている。
ちなみにだが、「屠畜や食肉を否定する意図はない」という説明があるけれど、その後に公開した動画内の説明で「命を全うして過ごせる馬社会が来てくれることを私は望んでいます」と書いているならば、それは「屠畜や食肉の否定になる」と僕は思う。
すなわち、「否定する意図はない」としていたのは嘘じゃないか?
自分にとって都合の良いように、解釈を変えるなよと言いたい。
何が本当で、何が嘘か?
人は都合の良い生き物だから、自分にとって都合の悪いことを積極的に発信することは殆ど無いだろう。だからこそ、そこには嘘があったとしても、まるで本当のようにアピールする。
以前に触れたが、報道しないところに注目しなくてはいけない。それは、引退競走馬関連の話で言えば、肥育場や屠場になるし、肉屋にも取材をしなければ、本質的なところは見えて来ない。
馬肉を売ることが悪なのか?と言えば、悪ではないはずだ。それなのに、引退競走馬を肉にすることが悪だとするならば、それは矛盾している。
「サラブレッドの肉は硬くて食べられない」とよく言われるけれど、それならなぜ肥育場があるのか?という話だし、野生の鹿や猪、熊の肉もジビエ肉として流通し、食べられている現状で、馬肉が硬いから食べられないというのは、いささかおかしな話だ。
体脂肪率も肥えさせれば、豚と同じくらいになるサラブレッド。
ただ、これは知られていない。
知られていないからこそ、情報を公開して幅広く知ってもらう必要があると僕は思っている。
そうなったときに、初めて同じ土俵で議論が出来る。競走馬が引退したら殺処分される、それは可哀想だから反対!と言うならば、流通していることを反対すべきで、それは最終的に肉食・文化の否定になってくる。
この辺りをしっかりと報道するのが、巡りめぐって競馬の為になるのではないかと僕は考えている。
何が嘘で、何が本当かを判断させるために情報を公開することが、今の時代に求められることだと僕は思っているし、そうなって欲しい。
「どうにかしろ」では「どうにもならない」
よく「JRAがどうにかしろ」「馬主がどうにかしろ」と言うけれど、その「どうにかしろ」では「どうにもならない」ことを、周知する必要があると思っている。
要するに、馬主の立場になってみて所有した馬を最期まで養うことが出来るか?という話。その目線が足りないからこそ、「馬主がどうにかしろ」と言ってしまう人が多いのは容易に想像出来る。
買ったんだから最期まで面倒を見ろという理論を発表する人がいるけれど、面倒を見るからこそ乗馬クラブに譲渡したら、その乗馬クラブが業者に売ってました。ってこともある訳で、業界を深く知らないからこそ、そういうことを言ってしまうのは仕方ない。
これを「的外れな意見」と決めつけるのは簡単なのだけど、そう決めつけると新しい風は入ってこない。
だけども、これが業界の常識という一面もあるわけで、何とも言えない現実がある。
乗馬クラブにしてみても、会員を乗せたら危険だなと思う馬は、そのクラブにとって要らない馬にしかならない。そして、馬主は乗馬クラブに橋渡しをした時点で権利を放棄するから口出しが出来ない。
そして、買い取る業者がいる。これが現実なのだが、報道されないからこそ普通は知らない。
だが、これを知らないからこそ議論の本質的なところが置いていかれると思っている。
「情報公開」の必要性
僕がこうやって記事を作ってもあまり変わらないが、「インフルエンサー」と呼ばれる人たちのちょっとした意見で世間の風当たりはガラッと変わるのが今の時代だと思っている。
以前に僕はこんな記事を書いたが、この人たちも一種のインフルエンサーであることは言うまでもない。そして騒ぎ立てるのがこの人たちの仕事でもある。
逆に言えば、こういう人たちに騒ぎ立てられないようにするには、どうすればいいか?というのを考える必要がある。恐らくは何をしても騒ぎ立てると思うけれど、騒ぎ立てられた時に「アイツらの言うことが正しい」と思われないように、先回りして対策を取ることが今、必要とされているものじゃないかと思う。
要するに、「正しい情報を誰もが知れるように発信し続ける」ことが出来れば、騒ぎ立てられたとしても、その意見が的外れなものだという結論を出せるから強い対応が出来る。
これは、クラウドファンディング等にも言えて、その文章・内容はおかしいと皆が気付けるようになるはず。そして、メディアが使う文章にもそれが波及すれば、僕がこんな記事を作らなくてもよくなる。
僕がこんな記事を作らなくても良くなるくらいに、いろんな情報を個人が知っていればそれが良い形になる。
まとめ
僕は記事を作りたいからこそ、自分にとって都合の良い「あら探し」をして、記事を作っている訳じゃない。
僕の目指すところは、皆がそれなりに知識を付けて、自分で考えられるようにすること。
脊髄反射で「可哀想だから」と思う人を減らしたい。クラウドファンディングのやり方を否定しないが、やるなら真っ当に訴えてやればいいと思っている。
そして、真っ当にやるために情報を公開することも必要だ。こうなっているという現実を説明するようにすれば、少なくとも「隠していた事実」とか言われずに済む訳だから、向き合っているんだねとなるはず。
これが、今の競馬界に必要なことだと僕は思っている。
今までは隠してきたことが多い。でも、時代の流れでそれはそぐわない。ならばどうするか?情報を公開して、明らかにするのが一番の近道だと僕は思っている。
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