都合の悪いことを隠すためには
この記事を作ろうとした理由は、以前僕が公開した記事が関係している。
なぜ林由真氏はエイシンミコノスをサラブレッドオークションに出品したのか?
なぜ、林由真氏はRetouchの代表を辞任したのか?
この記事を書いた理由は、「肥育場から救う」と謳うけれど、「救った」とする馬が再度肥育場へ戻る可能性がゼロではないことから、それは本当の意味で「救い」になっていないことが明らかであり、これを善として捉えるのはおかしいだろう、という問題提起としての意味合いがあった。
そして今は当初の代表であった林由真氏は辞任し、馬事学院の代表である野口佳槻氏が代表になり、肥育場から救うという活動を行っている。また、代表が替わってから昔より情報発信の量を増やしている。例えばX(旧Twitter)で「肥育場」と打って検索をすればRetouchの呟きが出てくるし、RetouchがYouTubeに載せている動画を紹介する一般の方の呟きも出てくる。その中で感じたことを書いていく。
都合の悪い情報を消すには
彼等からしてみれば、活動を批判する僕の記事にはそこまでの影響力がないから、本来は無視できる存在だ。
無視できる存在だからこそ、本当は無視をしたい。ただ、以前に僕が公開した記事にはそれなりの影響力があった。
それは、実際のところ数字にも出ている。
約1万PVを記録し、それなりの評価も頂いた。
僕の書いた記事で良く見られているのはこの記事で、3万5000PVを記録しているが、評価数だけで言えば大きく変わらない。
要するに、見ている人はそこまで多くはないけれど、それなりの評価がされていると僕は思っている。
だからこそ彼等は、僕の書いた記事を消させようと訴訟を起こしたが、結果は削除されなかった。そうなるとどうするか?
僕自身には記事を削除するつもりがない。
記事はnote社のプラットフォームを利用して公開しているから、note社が無くなるまで記事は存続し続けるだろう。
そんな否定的な記事を支援者に見られたら、向こうにしてみれば都合が悪い。
そんな記事を見させない為にはどうすればいいか?
「自分たちから情報を発信して、上書きするしかない。」というのがこの記事で書きたいことだ。
情報発信量を増やし、気付かないようにする
木を隠すなら森の中ということわざがあるように、隠したい情報があるならばそれを隠すために森へ押し込んでしまえばいい。
「肥育場」という言葉で検索をかけられた時に僕の記事が出てくるならば、自分たちから「肥育場」という文字を積極的に使って全体の情報量を増やすことで、否定派である僕の記事に触れる機会を出来るだけ減らし、自分たちの意見に触れて貰える機会を増やそうとしている。と、僕は勝手に思っている。
個人が同じことを繰り返し言うリスク
僕は記事でさんざん言ってきているけれど、「肥育場から救う」というが最終的には「売却する」のが目的で肥育場に行っているから、それは本当の意味で「救い」になるのか?っていうのと、「救った」とする馬が売却された先でまた売却されて、最終的に肥育場へ行く可能性がゼロじゃない時点で、「救い」になってないだろう。
というのが、僕の言ってきていることでもあるのだが、この文章を毎日のように僕がX(Twitter)で書いて批判していたら、見る人はどう思うだろうか。
この人ちょっとヤバい人なのかな?と、僕なら思う。だから僕はそんな風に書かないし、書くにしてもこういう裏付けがあって、僕はこう思います。という書き方をしている。
だからこそ、情報発信の量で負けている。そして支持者の拡散能力でも差がある。これはもうどうしようもない。僕が劣っている。
もっと言えば、彼等は金儲けのためにやるから真剣にやっている。僕は持論を展開しているだけで金儲けをしたいと思っていないからこそ、どうしても熱量として弱い。
だからこそ、僕の持論が正論だとしても、情報量と拡散能力、その他諸々で押し潰されているというのが現状なのだろうと思う。
いわば、個人の限界がある。
規模・市場が小さい
最近はネットでのつぶやきが波紋を呼び、社会的制裁を与えられるケースが多々あるけれど、競馬は大衆がやるマス市場にしては世間に対する影響力は小さい。そのなかでも引退競走馬となれば市場規模はもっと小さいものになる。すなわち、知っている人が圧倒的に少ない分野。皆が知っているような分野じゃないからこそ、誰も間違っていると指摘することが出来ない。それに対する専門家もいないし、世間の周知も進んでいない。
要するにやりたい放題になっているのが現状で、だからこそクラウドファンディングの乱立という現状があるのだろうと僕は思っている。
そして、そのクラウドファンディングのページはいつまでも残る。だから普通の人がこの問題を知ろうとした時に知識・情報をクラウドファンディングのページから仕入れてしまう。それが間違いなのか、正解なのかも気付かない。
いろんな捉え方があっていいはずなのに規模が小さいからこそ、そもそもの情報量が少ない。情報が少ないならば信用に足る情報も少ないのが現実だが、そこで自分達にとって都合の良い情報を発信し続けることで大衆を洗脳出来てしまうのが現実だろう。
というのが、僕なりの分析だ。
まとめ
簡単に言えば、都合の悪いことを隠したいなら情報の量を増やす。木を隠すなら森のなかだという話。
個人がずっと同じことを言っていたら、それは批判ではなく中傷として扱われてしまうのが現状だと思う。だからこそ、個人はまとまればいいが市場規模は大きくないし、知ってる人が多い分野でもない。
僕からすれば、間違ったことが蔓延っているのが引退競走馬に関する現状だと思っている。
気付かない人は気付かないだろうし、だからこそ競馬界を含めた大きな波を作れない。マスコミも引退競走馬関連で報じるのは社会面で、競馬面で報じることもない。この流れが変わらないなら、何をやったところで大きな変化は望めない。いつまで経っても引退競走馬関連は寄付金頼みの運営は安定しないし、潰れるところが出てきて、という状況になっていくのは目に見えている。
そのときにいちばん可哀想なのは何か?と言ったら馬だ。人間が安楽死を望む時代で、馬も早く殺してくれと言っているかもしれないのに、そのことを棚に上げて生きていてくれたらいいとやるのは、ある意味で馬の尊厳を奪っていると僕は思う。草を食んで生きていてくれたらそれでいいと考えるのも、人間の傲慢なのではないか。
その辺りもしっかりと考えなければ、本質は見えてこないだろう。
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